Who is KAZU?

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ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング

2011年12月30日金曜日

いつもこれの繰り返しだ

このまま前に進めばそれは獲得できる

すでに挑戦を済まし、勝利を獲得し
自分にはその資格と価値があることも証明されている

その時まで、ほんの少しだけ時間があって
あといくつかの手順を踏めばそれは獲得できる

で、ここにきて起こる不安・・・

前進をのぞみ
成長をのぞみ
発展をのぞみ
幸せをのぞんでいるのに

そこに到達する直前に現れるおそれ

誰かが云ってた
人は不幸せになることより
幸せになってしまうことのほうが怖いんだって

受けとればいい
受けとるだけでいい

変化は自然に起きている
変化は自然なことだ
その流れに乗っていればいい
いや、逆らわないだけでいい
拒まなければそれでいい

これまでだって
全部うまくいってたじゃないか
俺がビビらなきゃ
なんにも問題なかったじゃないか
みんな当たり前だと思っていたじゃないか

誰も俺を試してなんかいない
そうなる・・・
そうなることは誰のものでもない
ただ俺がそうなる・・・
それは誰も傷つけない
そうなる・・・
それだけなんだよ

2011年12月28日水曜日

「対応する」っていう落とし穴

現場によって演技を変える、というアイデアは間違っていないか?

これまでにあまり経験したことのないある特殊な作品に出演した際
「この場面ではこういう演技が良い」という考えを持ち
いつもとちょっと違うアプローチの演技をした
結果後に映像を見ると作品に合っていない演技をしている
・・・ように私には見えた

映像作品は監督さんのもの
OKはいろんな理由で出しているだろうし
監督さんへの信頼はその時も今も充分にある
もちろん他者からの評価は問題ではない
・・・ぶっちゃけ概ね好評だった
あくまで自己の探求についての考察だ

良かれと思って演じた演技がその狙いと離れている
現場に合わせる、作品に演技を合わせる
・・・のではない
演技は作品に結果的に合っていくものなのだ
こちらが決め込み固めていなければ

現時点で自分が理解しているATの手の使い方と同じだ
まずはこちらの在り方の質が問われる
そして・・・それだけでいい

どうも、状況を見たり相手の立場に立ったりという考えが先走り
結果本当に状況や相手を捉えられていないことがまだまだ起こる

「うまく現場のノリに対応した」とか
「作品に合わせて演技を変えた」とか
そういう言葉をこれ見よがしに言い出した時はかなり危険だ
大抵が実は全体的でなく「頭」で芝居をしている

どんな状況であろうが
どんな作品であろうが
私が役を頂いて演じる以上
まず私が私でいることが必須だ
私がぶれていたら私のすることはすべて・・・
より一層ぶれる

状況に足許を掬われるな
私が私でいさえすれば
どんな状況でも
私は自在に変化できる

演技を変えるな
私の協調作用が良ければ
演技は自然に変わり
自ずと作品に適応する

二番手や裏技などはない
自らが最も信じられる最高の理想のやり方で
妥協なく道を歩く
もうそれが出来る
もうそれをしていい

そうしていかなくちゃ
・・・死ぬとき後悔しないために

2011年12月8日木曜日

おもちゃのピアノ

最近時折せがれのおもちゃのミニピアノを弾くようになりました

いつも即興で
でもなんらかのメロディーがあって
しかも両手で

たまに、おっ!これ結構好くないか?
なんて思う曲も出来てくるのですが
もう二度と弾けません

すこしこころが動きます
・・・これを残しておきたい
昔の僕だったら残そうとしたり
曲を形作ろうとしたりしたかもしれません

でもそれは今の僕はしません
そんなことをしたら
今度また気まぐれに弾く曲が
つまらなくなってしまいそうだから

いつも新しい・・・
それは僕の最大の興味あるテーマです
舞台演技なんていう
何度も何度も同じことを言ったりしたりするのが仕事だからでしょうか
それをいつもいつも新しいことにするのが
この仕事の一番面白いところです

残そうとすること
繰り返そうとすること
なぞろうとすること
それはもう新しくなくて
物騒な言い方ですけど
それはもう僕にとっては<死>と同じです

「初心」ってことばがありますが
僕はこれを今この瞬間の自分の心遣いの理想としています
過去の「初心」に戻るのではなく
いつも「初心」でありたい
いつも新しいことにしたいのです

もちろん僕の弾くピアノは
結局はどっかで聞いたことのあるようなメロディーになります
でもそれは何かを
なぞったり、繰り返したりしたものではありません
だからその時の僕は創造性のなかにいて
楽しくワクワクしながら遊んでいられます

いつか自分が弾いていたものと同じ曲を
いつか自然と再び弾きはじめるかもしれません
そのときはそれが自然に残るものになる時でしょうか・・・

だとしても
それは決して僕が残したものではないし
そもそも僕のものでもないのだと思います

2011年12月1日木曜日

今年の11月を終えて

いつもの易では
11月の今月はあまり好くなく
でしゃばらずに目上の人の云うことをよく聞いて
おとなしくしているように
そう云われていました。

わたしにとって11月は正直好ましい月ではありません。
父の亡くなった月であることだけでなく
阿佐ヶ谷で13年一人暮らしをしていた時は
毎年といっていいほど気持ちがダウンして
引きこもりになるのが11月でした。

だからサイコロ振ってみたときは
まあ、やっぱりそういうことね・・・
そんな感じでした。

でも、終わってみたら
なんでしょう・・・
とっても幸せな一ヶ月だったなあと思います。

からだ、こころ(思考)、仕事、そしてわたしを取り巻く状況が
どんどん望ましい方向へ変容していきました。
望んでいた方向かといえば決してそうではなく
想定外のこともたくさんあったのですが
でも、結局はそれは向きあってみれば望ましい方向でした。

もちろんいくつかのマイナスもありました。
でもそれはあっという間にわたしの前を通り過ぎ
結果的には、なんでもないこと・・・になっていました。

もしかしたら易が外れていたわけではなかったかもしれません
でしゃばりたくなったときは抑制したし
ちょっとした局面では目上の人の云う通りにしてうまくいくこともありました
端から見て目立つってこともなかったと思います
・・・そのアドバイスを守ったおかげで得た結果かもしれません。

もうこれからの11月は大丈夫だな。
それくらい自信も持てた気がします。
去年父の七回忌もすんでいるし
20代30代の頃と比べれば少しは知恵もついて
ちょっとは上手に生きられるようになった
・・・そう思うことにします。

本当に今年の11月は
ずっと暖かい日だまりのなかにいるようで
何かに温かく見守られているようで
しあわせでした。

2011年11月24日木曜日

眠りの動き

早々に目が覚めて和室でパソコンに向かう

誰かのFacebookを読んでたら隣室の壁からもの凄い音

ゴーン!ゴンゴン!

驚いて覗くとせがれが平然と寝息...っつうかいびきをかいて寝ている

確か俺と女房の間に寝てたはず

いつのまに女房を飛び越えて壁側に?

確か頭もこっち向きではなかったはず

うちの女房はそんなに寝相の好いほうではない

この寝相の悪さは女房から

じゃあ、このいびきは俺からか?

・・・似て欲しくないものが似る

そういえば先日母が「一裕がよくベットから落ちてね」と話してたのを思いだす

寝相の悪さも俺からか?

急にせがれが目を覚まし何やら喋りながら女房の胸を探し出す

この寝言は女房のだろう

・・・何としても共犯にしたがる俺

大体、俺のいびきだって

亡父も母も、99歳のおばあちゃんも立派なもんだもん

・・・何としても自分のせいにはしたくない

朝五時

外はまだ暗い

寝てるせがれを見ながら

諦めねばならないものが見えてきて

それを受け入れようとしたら

少しまた眠くなってきた

2011年11月20日日曜日

せがれ一歳半メモ

13日に一歳と六ヶ月に。思いつくものをいくつか。

<ことば>

ばいばい…大抵の人とさよならするとき。電車が通り過ぎたあと。蒲団に入る前。

どうぞ(どうじょ)…ものを手渡すとき。洗濯物やお盆のお皿、自分の読んで欲しい本など。

ぶーぶー…乗り物各種。拙宅の軽とドラッグぱぱすのワゴンが特に好き。
     時折ぶーばーと変化するのはどうやらバスのことではないかと思われる。

ちんちん...自転車を見るというのでそのことであると思われるが、なぜかそう云いながら股間を叩く。

やああ〜...テレビでスポーツを見てて満員の観客席が映ると拍手をしながら声援を送る。

ぱい...おっぱい。

<黄色いものが好き>

バナナ、とうもろこし、たくあん、キリン

<振舞い>

風呂上がりに自分でオムツを取りに行き、親に渡してから裸で大の字に寝る。

親が自分に関心を示さない時は口に含んだ水をわざと吐き出す。その後「あ〜あ」と云いながら自分でティッシュで拭く。

みそ汁椀を両手で飲み干せるが、一瞬親が自分を見ているかチラ見してこぼす。

幾つか曲に合わせて手遊びをする。ロックに合わせて足を踏み、太鼓を聞くと椅子を叩く。ピアノも叩く。

村上佳菜子のスピンを見ると一緒に数回まわる。

風呂桶にお湯が入っていると必ず流す。

掃除機を使うのが好きだが、親が使っているとコンセントを抜く。

寝る前の歯磨きに死ぬほど抵抗する。寝かせて両脇を親の脚で押さえても、脚を屈曲させて親の顔面を蹴り込む。

2011年11月19日土曜日

体操のすすめ

10月11日浜松に向かうバスの中で長々とツイートしてたやつを
ここにまとめておきます。
ただ、えらくテンションが高くて
結局はただ吐き出したかったんだろうって今読むと思います。
でも、そういうことにブレーキをかけずOKにしていきたいと最近は思っています。

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 ここ数年、私の開く演技レッスンの中で、演技者が演技を終えるや否や出来るだけ質問するようにしてきたことがある。それは「演技直前にどんなプランを立てた?」「演技中に何を考えていた?」気になったとこがあれば「あの瞬間何を考えた?」という質問だ。
 興味深いことに、演者の演技が彼彼女自身が考えたことと異なったものになった試しが殆どない。時折何を考えていたか覚えていないとか、何も考えなかったとか言ったり、嘘を言ったりする演者もいるがよくよくインタビューするとやはり結果になるべく思考をしている。
 「思考は実現する」とはよく言ったもので、今ではそれを周知の事実と実感し実際に行動・実現している人も少なくないと思うが、私の今の実感としては「思考は存在そのもの」なんだなあ〜と心底思っている。
 アクターとしてはアクション則ち行動することが仕事だが、その質を高めるにはアクションを練習するより存在の質を高めることのほうが圧倒的に有効だと昨今の私は思っている。I see him.であればseeを稽古するのでなくIを稽古するということだ。
 ということは思考が存在なのだから、行動の質を高めるには思考の質を高めればよいことになる。よく何年やっても上手くならないとか、成長しないとか言って悩まれる方がいるが考え方が変わらずに変容していくことはあり得ないとやはり思う。
 この辺も今では常識なのか、まあ驚くほど何をどう考えるかをテーマにしたセミナーやワークショップが昨今は山積している。さて…では何故役者はからだを研くのか?思想が表現を変えるならそれだけ研けばいいではないか!?
 一時期の私は、からだが固かったり姿勢が悪かったりすると思っていることがそのまま演技に現れづらい。だからからだを解放する必要があるんだ。…と考えていた。しかしこれはどうも違うらしいと思うようになった。
 それは先に書いた、ほぼ100%思った通りの演技が実現するという統計的事実に気づいてからだ。どんなにからだが固くても姿勢の悪い人でも、その結果を気に入っているかどうかは別にして、考えた通りの結果を見事にそのまま演技でみせている。
 指導と実演の経験からどういう思考をしていけば所謂魅力的に役を演じられるか、その方向性と過程の踏み方はだんだんわかってきた…自分がそれを十分に出来るかは別ですが…(^^;)。だがどうしてもその方向性でモノを考えることができない…しない人がいる。
 したくない人はよいとして望んでいるのに上手くいかない人を観察すると、そこにはからだに対する意識の低さやからだに敬意を払わず乱雑に扱うといった傾向が見えてきた。すなわちからだの状態が思考に限界を作ってしまっているのではないか!?ということだ。
 ここで気をつけたいのが、ならばからだを鍛えようという安易な発想やからだに不具合があると思考も制限されるのかという誤解だ。それは多分に間違いだと私は思う。大切なのはからだに敬意を払うことでありもう少し突き詰めるとその扱い方なのだろうと思う。
 からだの可能性が思考の可能性を拡げる。望ましい思考が望ましい行動…パフォーマンスを導く。結果、望ましい未来がやってくる。だから役者はからだを研く のです。さあ皆さん体操しましょう!ただし鍛えるためでも軟らかくするためでもなく、からだに敬意を払い上手に扱うために。

10月のつぶやきから

10月終わって半月位で振り返るととても面白い。
アレクサンダーテクニークにつながるつぶやきは「生活禅として」に。
こちらは俳優業とプライベートです。

10月2日
今日はせがれの初動物園。実は十年前妻と初デートした上野。絵画展に入れず仕方なく動物園に。ゴリラ舎の前で俺がゴリラの物真似をしたのが決め手と妻は宣う。なんでもやっておくものだ…。今日はおにぎりと梨を切ったのをタッパーに持参。そういう女房で良かった。

10月4日
東名高速もうすぐ足柄なう。浜松学校公演第二節スタートです。今日は仕込みと場当たりですが、明日から三日間で五ステージというなかなかやりがいのある日程です。天気もよくバスからの眺めもなかなかです。

10月5日
浜松、2ステ終了。先週末の発見を「確かなものに」と思う迄 もなくそのステージは既に超えてるようで、どんどん「次」の発見が私に降りかかる。速い!速すぎるくらい速い。書留ることは勿論確認すらする間がない。本 番をやること…人前でパフォーマンスすることは、一人稽古の何倍もの変容をもたらす。

一週間ぶりにzazaのスタバでFaceTime。鼻風邪を ひいたせがれは甘い風邪薬が大好きらしくスポイトをずっとペロペロ。滅多に甘いものあげないからな〜。上野動物園で貰ってきた冊子の表紙がゴリラなんだけ ど、今日その写真見て「パパ、パパ」と呼んでたと笑う妻。その話作ってね〜か⁈

所謂地方での仕事、私は好きだ。あちこち出かけたり、ホテル に篭ったり。ただ、行動は大抵一人。地方の美味にもそれ程執着はない。たぶん仕事自体が大勢で賑やかにする仕事だから、あとは一人でゆっくりしたいんだろ う。おっとその前に、東京でなかなか一人の時間がないことも?ここぞとばかりに満喫!

今日思った。役者って役を通して自分の生き方…思想を表現す るアーティストなんだろうって。だから芸も技術も要らない。っつうか歌手も絵描きもみんな同じじゃないかな。生き方に自信がないとできない?そんなの要ら ないしあってもキモい。必要なのはその欲求…衝動だけ。それが起きる生き方をしたい。

10月6日
はまホールとなり五社神社諏訪神社に参拝。どなたかのお祓い最中、巫女さんのお神楽の舞いに立ち会う。演劇ってもとはといえばこういうことなんだよなあ。

今のミュージカルはロボットの話で命や死も大きく扱ってい る。先日の交流会で、死についてどうお考えですか?という質問を受けた。高校生を前に即座に簡潔に自分の考えを返すことができたが、そこには何年か前に YouTubeで見たスティーブジョブスのスピーチにも少なからず影響を受けてると思う。

10月7日
浜松出発!朝も午後もからだは凄く軽かった。芝居もどんどん変化していって面白かった。学生さん達もノリノリだったりチョー集中してたり。来週の課題も見えてきた。けど、その課題もこの週末にはクリアしてしまうか。さて、車中弁当いただきます。

10月8日
せがれ発熱。深夜に帰宅したら四十度越してた。少し驚いたが とにかく先ずは自分を整えて手をあて続けた。ぐったりしながらも全身での深い呼吸、羨ましいくらいのしっかりとした臀部や太腿。既に認識していることだが 改めて…こいつはこいつで自分を目一杯生きている…そう思った。今朝、熱は落着いた。

10月9日
今日は浜松公演中の振り替えで終日目黒です。半月ぶり位のアレクサンダーの授業だ。今朝の読売の社説がツイッターで流れてきたけど、逆にああいうこと言う人がいるから自分は自分の意見をちゃんと持とうと私は思うのです。しかし、新聞が権威とは…。

10月10日
今日は午前中日舞、午後から夜までアトリエSYMBION。 アトリエでは僕が今まで余りしてこなかった「稽古をつける」ってことをじっくりやってみました。自分自身も状況もそれが妥協なくできるようになっているっ てことがわかりました。今後はこれもレッスンに組み込みたいと思います。

10月11日
足柄に着いたら眠そうにしてる共演の女優さん。「寝てないの?」「クラモチさんのチョー長文のツイッター読んでたら眠くなりました」…どーもすみませーーん!「ブログに書けばいいじゃないですか〜」これがこの女優さんの魅力的なところ。

とにかく演出の言葉をそのまま役者の演技プランにしてはいけないのです。それが形容詞や副詞ならなおさら…例えば、もっと優しくとか…その言葉で演じたら終わりです。必ず自分の積極的な動詞に翻訳しそれをプランにする。それが演出に誠実に応えるということです。

10月12日
今日の本番は又もやこれ迄にないライム大佐になりました。 「ここを深められるものか⁈」って感じ。昨日のリハである女優さんの発声を観察してたら一つ気づいたことがあって、稽古したら悪くなくて、本番で全編通し てやってみたら方向性がクリアになり協調作用も好い感じだった。声の焦点をも少し前…⁈

「自分一人で出来るようにする」というサポート。そういうサポートは受けるのもするのも僕はいちばん好きだなあ。

10月13日
その人の務めが教育・啓蒙だとしたら、同じことを何度も繰り返し言ってもいい。何度でも言ったほうがいい。…んじゃない。

10月14日
浜松演劇教室は無事終了しました。カーテンコールで思わず飛び上がる自分がいました。終演後の交流会も大勢の参加者で盛り上がりました。ある女子高生が僕にオーラが見えたと、彼女見えるらしく何色?と聞けば濃い紫だったとw。確か俺は緑だったはず…変わったかな。

10月15日
東名で帰京の途につきました。昨日の自分の演技を振り返り、やっとここまで来たかって感とまだまだここからだなって感が入り交じってます。今夜は高校の部活動のOB会が大宮であります。僕は排球部でした。再会が楽しみです。

今朝方、二百人の参加者を相手に一人でワークショップをする 夢を見ました。一生懸命リードしようとするのですが、変な形の部屋に超満員、幾つかの大きな柱が死角を作り、声も届かず巧く進行しません。それでも二百人 の参加者はそこにいるのを楽しんでいるようで、賑かで誰一人帰ろうとしませんでした

二つ下までマネージャーや女子部も含めたバレー部会。みんな 試合の細かいことまでよく憶えてる。もう三十年も前のこと。話を聞きながら少しずつ思い出す。どうやら俺は好不調の波が激しく皆に心配をかけていたらし い。皆明るくて良い四十代を過ごしているなと思った。ぜひまた集まろう。

10月16日
午前中は一緒に親子スイミング教室。妻が出かけてる間午後は一緒に昼寝。夕方は手を繋いで近所のショッピングモールへ…たまに人混みで追いかけっこ…。帰宅して一緒に入浴。要は一日中せがれと一緒。…浜松で離れてた分だね。

10月19日
ありがとうございます。“@aktmym:相棒出てましたか?出てましたね(´▽`)”

10月22日
「君は役者としてもう一段自己解体する必要があるかもなあ」そうレッスンでアドバイスをして間もなく、丸一日も経たないうちに自らがしばらく立ち上がれないくらいの自己解体をさせられるハメになった。教師ってそういう仕事なんだろうかなあ。みんな、ともに頑張ろう!

10月24日
新聞の書籍宣伝で「ボーダーを着る女は、95%モテない!」と書いてあって目を上げたら妻がボーダー着てた。…十分後、歯を磨いてたら「なにコレ!?」と妻の大声。何のことかすぐにわかった。「別にアタシは着るけどね…」…それでいいと思うよ。

金曜の埼玉の高校公演に向けての稽古。いい稽古になった。改 めて座組の良さを思う。個人的には第一胸椎の気づきを声に応用。幾つか対応しきれない所もあったけどこれはかなりイイ。繊細さが課題だが、繊細に表現しよ うとすると固まるんだな…繊細に思うだけでいいんだろうなあ。

10月25日
意識的に持ち込んだプランが機能しないどころか、無意識のところでイントロに乗らないってプランに化けていたんだ。それじゃ第一声から流れが起こらないのは当然だ。うわー…トリッキーだなぁ!次はイントロに乗る、これだけでもいけるだろう。昨日の反省。

10月28日
Stepsのミュージカルboy be...は契約の全日程が無事終了。今年の舞台はこれで終り、来年も含め非雇用だ。昨夜の場当りで見つけた究極のニュープランを今日の二回に持ち込む。 洗練は持ち越すが、演技する体の探究は今日でひとつの明確な答を得た。これでいける筈だ。千秋楽に間に合った

10月30日
車をブーブー、バスもトラックもブーブー、電車もブーブー、おまけにiPadもブーブー。iPadには車や電車の写真と運転音の出るアプリがあるから。今日は散々ねだってついに運転席を占領。男の子だよなあ。

2011年10月19日水曜日

2011/9 from twitter@kazusangb

9月1日
今年の夏で今日が一番不快な暑さです。でも蒸し暑いなかよく稽古しました。横山先生の演出と指導はいつもとても参考になります。明日は振り付け。私がステップスで初めてロックを歌い踊ります!

三年半ぶりにご一緒する大先輩の俳優さんに「倉持ちゃん芸風変わったね」って言われました。どんな風にですかと尋ねたら「やわらかくなった」そうです。この数年ほどいて…ゆるめて…やめて…ばかりですからね。嬉しいお言葉でした。

9月2日
負けるとか敵わないとか参るとかってことが、特に男の子にとって、どんだけ貴重なことか。そういう意味では武道で放り投げられるとか芝居で心底傷つくとかってのは安全を確保されたなかで何度もそれを多いに体験できるから人間形成に効用大なんだろうと思います。

だから、敗退とか挫折とか絶望とかは本当に次なる変容への大きなチャンスなんでしょうが、やはり多かれ少なかれ仲間とか指導者とかのサポートは必要なんでしょう。孤独の力も凄いけどサポートなしには…。今朝の想うままに。目黒到着。

9月3日
エスカレーターで僕の前に立つ青年。Tシャツの背中にイマジンの歌詞。数十秒かな、ガツンとメッセージが入ってきた。

9月4日
足の小指と薬指がなんか気になると思ってたら、この二本だけ立方骨に集まってて、あとの三本は楔状骨を介して舟状骨に集まってたんだ。ってことは内側三本は内踝で外側二本が踵で…もうちょっと探究しよ♪

目の使い方を変えて何日か?声の方向性がより明確になり自分の声が変わっていってるのが分かる。それを探究していくと頬骨周辺の筋肉、そして舌の使い方にも無意識があることが分かり、その動きを選んでいきたいと思うようになった。面白い!

9月6日
所用で大学の事務所に。「倉持と申します。××課の※※さんお願いします」受付の女の子「かしこまりました。倉持先生でいらっしゃいますね」「いいえ。私はただのクラモチです!」因みに格好はジーンズにカジュアルシャツ。

それにしてもあのスロープを上ると一気に時間が遡る。反発と耽溺。酒と感情に泥酔した日々。夢のような日々が懐かしく恥ずかしく…でも今の方がやっぱりいい時間だな。たぶん今の方が健康でもあるな。

9月7日
事実を徹底的に突き詰めないうちに解釈って奴がやってきて望まない感情まで参加して早々に判断を迫ってくる。この解釈って奴はからだのカスに似てる。習慣 が作った思考のカス。徹底的にストレッチして分解して溶解して排出してやる。解釈なしに事実をまま見る。ここからだ、ここからが本番…新世界だ!

私のウエストサイズは91cm、一年前から7kg減量しても変わらず。ユニクロでは91cmが最大かと思いきや95cmがあった。因みにカーゴのLは92cmまで。すなわち私はLLではないのだ。

何が言いたいかというと、私は人によく大きいと言われ自分でも納得していたが、私は自分が思っている程は実際は大きくない。自分のサイズへの思い込みが私のからだの動きを鈍らせている。

かといって私は小さいわけでも細くも太くも高くも低くもない。ただ実際の私であればいい。私の全体がそのままいつもあればいい。

「あなたがどうしてもやりたいっていうなら…」「…正直言うとやりたいって気持ちじゃない。でもやらないと次に進めない、死ぬとき後悔する気がする」何かをするのにこういう類いの動機があることを思い出した。

過去に幾つかそういう類いのことしたっけ。友がしていたのも思い出す。大抵は陽の目をみない、苦しい修行になる…。だって当然、世のため人のためじゃない、自分の為にやることだもん。でも今があるのは、生きていられるのは、まさにその修行のお陰だとも思える。

9月9日
オープニング曲、後半盛上がるとこ。オクターブ上のメロ組の俺。歌練でいけてたのに振り付きだと声がのびない!?あれっ!?そんなに息があがる難しいダンスじゃないのに…ちょっと自主練…。

息が足りない…ってことは例の胸郭の向き?おお!やってるやってる。胸を突きだし右肩を引く癖。俺の深い深い無意識の習慣…。ダンス入るともう一段注意をしないとね。っつうか踊りながら歌うのってユースの練習にチョー有効だと思う。何より楽しいしな。

いろいろ探究する過程で、こちらは本気なのだか他人から見るととんでもないことをやらかし心底驚かしたり心配をかけてしまったりする。その驚かれ方にこち らが驚き自分の無能を一時嘆くが、仕方ない…私はそうやって学習していくしかないのだ。先生ごめんなさい!頑張れオイラ!

今日の稽古の結果…望ましくない結果を見て、いわゆる欠点はわかっている。ただそれをやめればいいってだけでは芸がない。積極的で創造的な前進のためのアイデア…ひとつじゃ足りない、三つは用意して一人稽古する。

そもそもそこに明確な意図があるならば、その行動が対象がハッキリしてる他動詞で言い表せるモノならば、ぶっちゃけ本当に何かをしたくてそこにいるのならば…後ろ足のかかとに重心が乗ったまんま…なんてことがあり得るだろうか?

9月10日
妻が美容院行くため今日はオイラがせがれと親子スイミング。水の中でぶるんぶるん振り回してたら疲れたのか、帰ってすぐに昼寝した。ラッキー!妻はいない、せがれは寝てる。久しぶりに我が家でひとり静かに新聞が読める。

今回のアップデートはかなり大仕事だなと改めて思う。いろいろとこれまでになかったミスやストレス、緊張も生まれる。でもそこでびびって過去の習慣に戻るまい!いい訓練だ。そんななか今日持ち込んだアイデアは結構使える気がする。名前は…付けられない。

9月11日
アフリカンダンス初体験!第一人者柳田先生直々のレッスン。最初ウォーミングアップと丁寧な解説のあと、生の太鼓でシンプルな振りをこれでもかと踊りまくる。不思議と疲れるとかはなかった。でも何だか肚の奥の方で眠ってたものが目覚めだしちゃった感じ…(^.^)

9月12日
一日に何度となくせがれが絵本を持ってくる。「読んでくれ」のサイン。何があってもすぐに読んであげてと妻の指導あり。見たら「おつきさまこんばんは」林明子作。今日を知ってかと思わず笑った。読んだら地味だけど好い本。聞けばロングセラーとか。

9月13日
アレクサンダー学びはじめて一年半?…あたま、あたまといつも言ってるけど、ここに来てあたまって奴をこれまでよりもっとクリアに分解しないと前にいけない感じがする。で、やっぱりそれには発声…っうか歌うのが、楽しみながらやれるからいいのかも。…他にもあるかな?

アフリカンダンスを一緒に踊ったアレクサンダーの先生が「カズさん鳥が降りてきたみたいに踊ってたよ」って言ってくれた。腕が長く使えるようになってきたってことかな。ヴィヴィアンと「今度会うときにはロングアームになってるね」って約束したこと思い出した。

9月15日
朝食はトーストに久しぶりのピーナッツクリーム。食べてて気づいた。歯の右側で噛むことがほとんどだった私が、意識的でなく、無意識に左側でもぐもぐしている!自前ストレッチでの捻れ調整の効果がここにも出てきてるんだと思う。無意識でってとこが嬉しい。

隔週図書館で十冊程絵本を借りる。倅が食いつくのはせいぜい二三冊。で、今回もまたあった林明子作。何がそんなにいいんだろう?倅は答えない…。妻がいく つか説明してくれたけど納得したようなしないような。子どもの心を忘れた大人。ひたすら声に出して丁寧に読み聞かせる…きゅっきゅっきゅっ…。

自分にとって実はとても大切なことなのにそれを他人に話す時ちょっと卑下して茶化すように話してる自分に気づく。照れ隠しか?分かってもらえないかも…の 恐れか?いずれにしてもこれはイカン!それを話す度に自分で自分を傷つけることになる。俺の場合、自分へのリスペクトを失うと何一つ前進しない。

9月16日
歌でも芝居のときのように直前にプランを窓の外に投げ捨て、今の瞬間に生きるってことが出来ないものかな~♪音楽的な知識も技術も少ない自分には、誠実にリズムとメロディを奏でながらも、一つ一つ明確な行動をしていくしかないのだから。練習、練習、練習!

今日稽古場で、僕がステップスで一番「天然でオモシロイ」と思う女優さんから、「クラモチさんて、本当に生き物としてオモシロイですね~」って言われました。…光栄です!?┐('~`;)┌。加えて「奥さん大変でしょう!?」…知るかぁ~!!(;_;)/~~~

9月19日
声が売りの役者だけど実はマイク乗りの悪さが弱点。一人せっせと頭骨を探究していたら先日紀美子先生にシンプルかつ大胆なマッピング法を教わった。あら⁈ 出る出る!頬骨に自分の声が響いてる。加えて俺があまり使ってなかったらしい顔の筋肉も発見。本番迄十日切った。目指せマイク乗りのいい奴!

なれるものならなりたいもの。医者、歌手、ピアニスト、サーファー、校長先生、トリリンガル、ちょい悪オヤジ…ちょっと待てよ…どれも実現可能なモノばかりじゃないか⁉*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
どこから見ても、どこを切ってもワタシだ!と思えるところまでいかないとダメは出続けるだろう。しかしとてつもなく新しいことをしているんだ。アップデートが一段落しないうちはダメこそワタシを導く指針と喜んで受け止めたい。

9月20日
昨日はアトリエSYMBIONサードシーズンの初日でもあった。二月ぶりの先生。「あなたは今どこにいて何を見てるの?」っていう問いと、僕が〈役者のオ タク性〉と呼んでいるものが同じ要点を示していることに気づいた。オタク性が消えてワタシになりえた人のbeingは圧倒的だ。

友達がリツイートしてくれて知ったミハイル・エンデのボット…ちょー面白い。以前地域通貨に関心があったころ少し触れたけど、今また違う印象…強くインパクトを受ける。面白い。この秋の読書はエンデか!?

初の通し稽古。気負いなく取組め、楽器の状態もすこぶる良かった。プロデューサーさんもにこやかなご様子(^^;…やっとライム大佐を生きられるところまで自分を拓くことが出来た気がする。さて、やっとこさここから本格的な創作作業が始まるんだ。

昨日までのもがきを経て、今朝目覚めたときに右肩が望むところに収まってくれていたことが大きな要因だと思う。細部に意識が行かなくなったお陰で、全体の協調作用のなかに身を預けることができたってこと?…。一人で歌うところが初めて怖くなかったんだ!

9月21日
自分は不完全だと思っている人が自分より優れていると思う人に問う。問われた人はそれが嬉しくて自分の経験から得た技術を渡そうとする。でもそのことばの やり取り自体にはレッスンの価値は余りない。共にいる…そっちのほうにどれだけのやり取りがあることか。どれだけの学びが「双方」にあることか!

自分は足りてない、力がない、人より劣っている…ところがある。そう信じている人の何と多いことだろう。かくいう私も、自分は努力が足りない…怠けているという強い信じ込みが周期的に訪れる。事実か?否!じゃあ無用か?…うむ、そうでもないような気もする。

本日は上肢帯のお勉強。右腕はまた新しく、だけじゃなく右目やら右頬やら腹の奥のほうまで一日中ずっとすごい更新作業が続いている。左腕に関してはレッス ン後にマッサージ師の友達にしてもらった施術でこれまた凄いことに。これはとてもことばにできない。とにかく今しばらくはこれを味わっていたい。

9月22日
「神話は、なにがあなたを幸福にするかは語ってくれません。しかし、あなたが自分の幸福を追求したときにどんなことが起こるか、どんな障害にぶつかるか、は語ります。」ジョセフ・キャンベル

9月23日
昨日だけど、根岸にある日舞のお師匠さん家の近所で鷹匠とすれ違った。剥製?と目を見たら、手甲に乗った鷹がきっと俺を目で射た!さすがにびびった。ひととき、頭と脊椎の関係どころじゃなくなった。

今日は家族組の抜き稽古。明日最後の通し稽古をしてあとは浜松に。横山先生の要求も細部に渡り一段と高まる。「格好イイ倉持でいて欲しいんだよ」こういう ことを言ってくれる人はなかなかいない。嬉しく思いながら、「ちょっと気を抜くと豊登になっちゃうからな」…とよのぼり…ってキッツイなぁwww

9月24日
「クラちゃん、俺今度こそタバコやめたよ」身近なとある先輩が言った。「マジっすか⁈すげー、ついに本気出すんっすね!」思わず口走った。失礼じゃないよね?

その方だけじゃない、オジサンになってくると残りの人生(の時間)が見えてくる。長生きしたいとかじゃないくて、生きてるうちにやっておきたいことをやるためにそれを阻む気のあるものを遠ざけるのはごく当たり前のこと。守りから断つことでなく、本気で望みに向かいだしてる人私の近くに少なくない。

ウォーミングアップとか準備体操とかいうものに否定的な考えを持っていた私だが今日その考えを少し変えたくなった。ただその意図がまだ整理がつかない。ゆえに違う名前をつけたいがつけられない。浜松の三週間で探ってみよう。楽しみがまたひとつ増えた。

「変わりたいと、強く望め。それ以外は、いらない。」HAL東京の学生募集コピー。これいいなあ。俺好き。

9月25日
今日は町屋で「親子リズム」。名前とはかけ離れて、かなりの肉体疲労。ミュージカルの通し稽古より疲れた。子どもの抱き上げ方でアドバイスをもらう、それが自分自身の(子どもだけじゃなく)他者との関わり方に深い気づきを得た。変えていこうと決めた。

明日は日舞のお稽古とシンビアンでの終日レッスン。帰り遅いし火曜日は浜松への出発が早いから、今夜中に荷造りをした。それにしても俺は荷造りが下手だ。旅慣れた役者とは到底思えない。ましてやボーイスカウトの風上にもおけない(~_~;)

9月26日
一分間勉強法とかフォトリーディングとかいうのは、僕がメガネをかけなくてもだいたいは見えるようになってきた(視力が回復したわけではない)過程と、脳 の回路的には同じ理屈なんじゃないだろうか。見るとか読むとかいうことへの自分の信念を変えちゃえばいいのでしょ⁈面白いからもっと練習しよう。

たったいま金町駅で自販機の入れ替えしてたズボンずりさげ系のお兄ちゃん。凄くいい動きしてた。どんな動きしてても脊椎が伸びやかで、肩は抜けてて腕長 く、上下の動きは頭高いまま下半身の三関節で滑らか。極めつけが全ての動きがスピーディー。思わず見とれた。いるものだ街中の達人。

グレン・パーク「変容の術」にあった、前のチャックを閉めるっていうのはこういうことか!…な?…。同じことかは判らんが、少なくとも〈これ〉は俺には有用だ。成る程こうやって身を護れば幾らでも前進可能な感じがするなあ。

9月27日
同じ俳優を生きていても求めているものは各々違うのです。自分と同じ動機でない俳優を前に面喰らうことも過去にはありました。今はその違いも受容できます。それはたぶん自分の求めるもの、私は何者なのかが解ってくるのと並行しているような気がします。

その動機は、端的に言えば生きる技の探求とその分かち合いです。探求においては宗教か芸術がやはり良いのでしょう。分かち合いには教育も良い分野です。禅、演劇、アレクサンダーテクニーク…自然に没頭したものだけどどうやらつじつまはあっているみたいです。
自分を動かすものの焦点がはっきりしてしまえば、もう分野やスタイルにこだわる必要はありません。手近なところからどんどん自分の務めをするだけです。

そうこうしているうちに浜松に入りました。今週の劇場は浜北文化会館です。

意図を持たなければ、ただの風任せだ。意図を持てば抵抗にぶつかる。そうすれば本当に価値のある情報を得られる。あらゆる意図に間違いはない、意図があるってことが大切なんだ。

9月28日
昨日は移動だけで、今日場当たりとゲネプロ。少し疲れたなぁ。ウォーミングアップの重要性をまたリアルに感じた一日。私にとってウォーミングアップとは長さと大きさを取り戻し、意図の焦点を絞り合わせることなり…今日のリアリティー。

9月29日
初日が開きました。浜北高校と浜松東高校のみなさんありが とうございました。そしてやっと浜松でFONの使えるところへ行けました。やっぱり基本ホテルで無料無線LANは必須です〜。とにかくSoftBank ショップを探せばいろいろ教えてくれました。これからスタバでゆっくりします。

脊椎の長さを取り戻し意図の焦点を合わせるという準備はとても有効でした。その上で特に胸椎が私の場合は取り戻し辛いことと、私には軽い自己陶酔癖があってそれが意図…って言うか自らのビーイングをぼやけさせていることがわかりました。

胸椎は特に五番あたりでしょうか。そういえば五年ほど前にアテローム(粉瘤)ができたのがその辺です。やっぱりその辺の流れが悪く、いろいろ溜まっちゃうんでしょう。ただそこだけに焦点を当てるのはまた違うんですよねえ。

自己陶酔は「今」にしてる分はちょっとはいいけど過去や未来に行っちゃうと存在が弛み行動…演技どころじゃなくなる。勿論舞台上は無いけど、袖の場合は暗 いしマジで色んな気が舞ってて思わず取り憑かれる時がある。ちゃんとチャックを閉めたいけど…肉体的に疲れてるとなかなか閉めらんない。。。

明日も五時半に起きて、九時半には開演です…はい、九時半です。正午に終演し、一時半に二回目の開演です。東京は寒いらしいですね。浜松は今日は暑いくらいでした。では、夕飯食べてホテルに帰ってシャワー浴びて本読んで寝ます。

9月30日
「折れた心を体で支えていたという特殊な現象があった。」やっぱイチローは面白いことを言う。

2011年9月8日木曜日

つぶやき selection from twitter@kazusangb ~2011年8月篇~

11/08/31 23:07
今回の「わたしアップデート」はかなり大掛かりなことになりそう。こんな時はたっぷり休息を取りながら時間かけて…って思う時に限って忙しかったり苦労すること多かったりする。まあ大丈夫、こういう自分の持つ《波》にはもう慣れっこだから。状況やからだは置いといて、気持ちは平静でいられる。

11/08/31 9:21
尾骨を取り戻し明けて次の日。会陰を通るエネルギーがちょっとスゴい…。人が、仙骨を頷かせるとか、ウンコ我慢とか、骨盤底筋を使うとか言っていたのは、こういうことかなあ〜とぼやっと想ってみる。次は尾骨が先導する動きを探ってみよう。

11/08/30 18:33
今日ついに尾骨を脊椎の仲間に入れてあげることができた。ようこそ僕のしっぽ♪君は僕の上半身なんだよ。

11/08/30 16:31
美輪さんの仰る〈正負の法則〉ってものが本当に存在するのなら、「これ」はそれを本当にみずから〈実践する〉ってことだろう。なぜなら離れることに感傷はなく、新たに取り組むことにも興奮がない、天の動きのように圧倒的で理由がなくて自然なことだから。

11/08/28 22:51
分解だ!徹底的に分解するんだ。そのためには僕の場合は柔軟体操が有効だ。できるなら一度解体したいくらいだけどw、それは無理だから徹底的に弛めて分解する。すると思考にも変化が起きる。最近気づいたこと…統合と分解は同じこと、少なくとも同じ方向性を持つんじゃないかな。破壊と創造みたいな?

11/08/28 22:40
今後の私の人生に無数の選択肢(少なくとも複数)があること僕は知ってる。でも本当に僕はその中から「選ぶ」ってことしてるだろうか?各々の選択肢をよく見てるだろうか?決め込み、思い込み、無意識の習慣的反応…。筋肉が固まって骨にひっつく様に、思考も当然のようにいつものとこへ行ってしまう。

11/08/28 0:32
昼間のドラマに大滝秀治さんが出てたそうで、帰ったら妻があの人スゴいを連発してました。彼女曰く、素人が言うのもなんだけど私が見た日本人の役者さんで一番スゴい…そうです。テレビであんな演技が見られるなんて思わなかった、って言ってたのが印象的でした。

11/08/27 13:16
自分が放っておくと行きがちな道は、社会と離れて独りで山ごもりして修行をすることだ。なぜならそれが一番楽チンだから。ではなぜそれをしないのか?なぜそれをやめたのか?なぜならそれは自分が本当に望むことじゃないってことを知ったから。楽チンなとこへ行くことと望むとこへ行くことは違うんだ。

11/08/26 23:54
人生には限りがある。それっぽいことでお茶を濁してる場合じゃない。自らの「核」となるところのことをしなくては!成功か失敗かは不問だ。でもどうせいずれやるんだ。来世でなく今世でやる覚悟は俺にあるか!?

11/08/26 23:52
現実を見て魂の声を聞いて、現実的でかつ最も自分を揺るがす…則ち自分の価値観がビンビンに鳴る選択をしたい。一見良さそうに見えても心からの勇気を要しない道はダメだ。

11/08/26 21:32
三時間歌いっぱなし、ステップスの歌稽古。でも凄く楽しかった。三年前より呼吸も楽になった感じ、キーも高くなっている。雨で靴濡れてたらスタッフの方が稽古中新聞紙で乾かしてくれてた…嬉しいよなぁ。こういう所でお仕事できる僕は恵まれてる。頑張らねばねば♪

11/08/26 12:47
統計学とか分類学とか、占いも含めて僕は大好きで楽しいと思うんだけど、今この瞬間を生きるって時には残念ながら使えないなあ。そもそも学問って呼ぶものはやっぱ娯楽であって実践的な生きる技ではないんだろうなあ。今更ながらですが。

11/08/26 0:09
よい結果を出したかったなあと思いつつ、よい結果を出したところで何も変わらないことを知っている。すなわち問題は結果ではないんだ。じゃあ何だ?即座に出てきた答えは準備だ。よい準備がよい経験に繋がる。
11/08/26 0:23
結果ちゃんはこちらがいくら愛しても僕を愛してはくれない。無駄なことはやめることだ、ご縁がないんだから。準備ちゃんは愛情を注げば注ぐほど何倍にもなって返ってくる。よほどの天邪鬼でない限り選ぶのは準備ちゃんだろう。
11/08/26 0:28
とか言いながら、結果ちゃんの口説き方もないわけじゃないと思うんだが、単純にオジサンはもう面倒臭いのはいやなんだな〜。

11/08/25 23:39
今日のような日こそ、起きた事実とそれに対して自分がどういう解釈を無意識の習慣でしているかを、まるで他人を分析するかのように見極めるべきなんだと思う。ちと重たいが…やるか。。。

11/08/25 16:22
右目だ、右目だ!ああでもない、こうでもないと右半身の使い方探っていたら、ついに右目にたどり着いた。右目周りの筋肉の使い方を新しくしたら、右半身のれやこれやがみんなおさまった。目の使い方に或る習慣があったんだ。

11/08/24 8:52
感覚を求めるイコール過程を無視する。然るべき過程を経なくては望む結果を得られない。故に感覚を求めてはこれまた望む結果を得られっこない。やることは事実をままに見て行動を選ぶ…感覚は感情も同じ。なんてこった!?これもまた演技と同じじゃないか!
11/08/24 9:16
さっきのは昨日感覚的左右対称を諦めたら早速今朝からからだが変容しはじめ、そこにアレクサンダーテクニックを使ったら、感覚的にも左右対称な感じに向かっていることの驚き。でも僕にはもう感覚的左右対称は要らないのさ(^-^)v
11/08/24 9:37
なぜ感覚的左右対称は要らないのか…たぶん僕がそれを安定と見なしているからだろう。安定はバランスとれてて一見良さそうだけどこれは居着きに繋がるからイカンのだ。感覚的左右不対称なら…不安定なら動き続けることができる。いつも…いつまでも♪

11/08/16 22:31
「見返りを求めない…求めてはいけない」って言い方よく耳にするし時折僕も使うけれど、そういう言葉が出てきてる段階ですでに「やりすぎ…やらなくていいことをしてる」「本当は自分はしたくないことをしてしまってる」んじゃないのかなって、このお盆に考えていました。

11/08/16 19:36
お盆だとハエが飛んできても誰か来てるのかななんて思ってしまって邪険にできない。

11/08/13 21:23
長谷川きよし、凄い!ギターも上手いけど、歌がチョー上手い。あんな風に声を出して、あんな風にギターが弾けたら…♪

11/08/12 14:24
正直言ってこれは冒険だと思う。何故なら痛みを伴っているから。しかし不思議なのはその痛みを感じながらなぜか嫌悪感が起きないんだ。かなり危険な冒険だと思うんだけど嫌悪感が起きないなら生まれるのは未来への期待とくすぐったい不安だけ…そして残るのは勝算しかない。

11/08/07 17:13
夏休み日曜日、パパとの楽しいサイクリング。チャリンコヤンキー乗りのパパ、ガニ股でゆらゆら。後を追いかける可愛いワンピースのお嬢ちゃん、一生懸命パパを追いかけペダルを漕ぐ脚が…ガニ股。挙句にふらふらして横転。叱るパパ、泣く娘。親子は似るのではない、子どもが親を的確に「真似る」のだ。

11/08/06 23:37
初心忘るる可ずの「初心」を「それを始めた頃の(謙虚な)気持ち」と解すのはどうも気にいらない。そもそも過去のそんな気持ちを憶えているのか⁈今に役立てるなら時間を過去に戻すことではなく未来への行動であるべき。わたしなら「今までにない新しい心持ち」と解し「初心忘るる可ず」といきたい。

11/08/06 15:57
昨夜の山田洋次監督と香取慎吾さんとの対談。こち亀の両さんは先ず何より生活が保証された国家公務員である、という山田監督の解釈。あの視点こそが逆にフウテンの寅さんにあれだけのリアリティーをもたらしたんだなあと感心、納得した。

11/08/04 9:04
今朝ふと坐禅を組んでみたら、これまで出来なかった結跏趺坐ができるようになっていた。連日連夜のストレッチの賜物だ…嬉しい!ただ、わたしの場合まだ出来るのは右脚上の形。道元さんの云う左脚上にするにはもっと右足首そして右半身をもっと解かないと。…こんなことでわたしはハッピーになれる。

11/08/03 23:07
「自分のことより他人の役に立ってはじめて幸せ」という人と話をした。わたしの目にそれは本当に見えた。わたしはと言えば「自分が幸せであって始めて他人の役に立てる」ってのが正直な気持ちだ。互いに逆だねと言いながら笑い合う。内心、彼をスゴい!と思ったが自分に引け目は感じなかった。

11/08/01 19:05
「苦しいときは私の背中を見なさい」本当ならこう言う名文句が流行語になって欲しいもの。女性が放つ魅力もあるけど、やっぱ男も言えないとなぁこういうこと。でもって自分は?と言えば…おお!これなら本気で言えるぞ「苦しいときはわたしのお腹を見なさい」…うん、言える、悪くない。触りなさいもど

11/08/01 14:22
ネットにぶら下げたサッカーボールを蹴り蹴りの女の子三人組とすれ違う。小学二三年か。妻曰くなでしこ金メダル以前からよく見かけたとか。心なしか堂々と幅を利かせながら歩いてる様子。すっかり市民権を得たよね。その後公園で見かけたが、いい動きしてた。将来が楽しみ。ガンバって!

2011年9月5日月曜日

つぶやき selection from twitter@kazusangb ~2011年7月篇~

11/07/28 22:13
演技に関する話をするとき「自由に」って言う表現は、とっても誤解が生じることが多いからちょっと気をつけよう。じゃあどんな言葉が好いかなと考えて、今のところ「思い通りに」って言うのが好いような気がする。何を思ったかが結果に出るっていうわかりやすさだね。

11/07/26 23:05
花火大会帰りの兄ちゃん達、なんでジーパンはあんなにずり下げるくせに、角帯をそんなヘソ上で巻くんだ〜!ユニクロも浴衣売るならバスタオルと腰ひももセットで売れ!…俺は自前があるから要らんけど(^.^)

11/07/24 16:15
スーパーのレジ奥の袋詰め台の先にあるカゴやカートが置いてあるあたりで、レジ終る母ちゃん待って所在無げに突っ立ってるオヤジの顔は演じるとしたら難易度は高い。俺だったら母ちゃんの袋詰めに手を出して「余計なことしないであっち行ってて」とか言われながらもちょっとニヤけてるプランかな。

11/07/23 18:06
「道具」を使う際覚えておくとからだの動きがスムーズになりパフォーマンスの向上が期待できる大変有効な基本的考え方を私なりにまとめてみた。たぶん「道具」と言われるもの全てに当てはまるのではないか。否、もちろん例外が見つかればそれはそれで嬉しい。でも考えれば考えるほど発展応用ばかりだ。
11/07/23 18:12
そもそも「道具」とは人間にとって何なのだろう?そんなことも考える。そして役者は自分自身を時折「楽器」という。ってことはわたし自身も「道具」なのか⁉さっきの考えに当てはめてみる。…ちょっと身震いがした(^_^;)

11/07/22 13:28
私が自分のからだ…動きに関して感覚的にセンタリングと言っているのは、表層に近い筋肉の使用感を減らしていって、軸骨格とそれに近い筋肉群で動くようになっていくってことなんだと思う。コリコリの砂肝串からぶるんぶるんの蒟蒻串刺しみたいな…もちろん串も動くよ(^^ゞ

11/07/21 9:39
歩行器は絶滅しつつあるけど、早々にお座りをさせたがる傾向、本にまで書いてある、は本当に直さないと可哀想だ。下手すると寝返りしないうちからお座りさせて挙句ハイハイをろくにせず歩くってことになる。小さい頃運動オンチで、大人になっても腰回りのことで本当に苦労してる私は酷く憂慮する。

11/07/20 13:56
他人に教えをこうっていうのは、自分が望むものを得るためではない。自分のやってることを正しいと言ってもらうためでもない。自分ひとりでは見つけることができないものを教わって、その新しい視点を得ることなんじゃないかな。そういう意味ではいつかの安心を得るより新しい不安を得る授業が好いな。

11/07/20 9:17
私は私を過小評価している。私は私を誤解している。そして、私は私の無能を恐れている。全てじゃないけど少なからず。でも…だからといって過大評価したり、正しく理解したりする必要もない。出来事と共に動き、学び、自ずと変わっていくだけだ。

11/07/19 8:36
昨日アトリエSYMBION五週目。動物練習の流れから今日はハイハイをトピックの一つに。普段動か(さ)ない所が動くことによる気分の変化、性格の変容、魅力の増幅等々。ハイハイによる野性の目覚め。可能性は莫大…「ハイハイワークショップ」今度個人でやってみようかな。

11/07/19 1:05
やりたくないことやらないとイイ思いできないとか、成功した人見てさぞやたくさんの犠牲を払ったんだろうって考えは好きくないです。本気で望んで、やりたいことやってやってやりまくって、やっただけの結果が得られる。他者から見たら正と負かもだけど当人から見たら正だけ…ってのが僕は好きです。

11/07/15 13:27
リラクゼーションやアレクサンダーテクニークなどを役者が誤解誤用してしまう件。アクターである以上多少からだを固めたって行動することが大事、てか仕事。役者は役や台詞から解放されながら演じるなんてことはない。単なる自由解放が望みなら…役者やめるこった。

11/07/12 16:07
今日の骨盤底筋の話は、毎日電車の中でこっそりしてる歌の練習でのマイテーマと重なるところが多くとても面白かった。僕の抱く仮説に偶々信頼する先生のサポートを得たことで、面白いことに急速にからだが変化をし始めてる。こういう後押しの力はやっぱすごい。

11/07/08 8:57
それが本当にそれであるならそれを何と呼ぼうが構わない。しかしいくら言葉を尽くしても、それがそれでないならそれは何の意味もない…どころか害さえあり得る。坐禅瞑想で私が学んだことと同じだなあ。

11/07/05 17:59
わからないことはわからない。いらないものはいらない。私の世界の中心は私だ。私が私の行動をすべて決める。私に見えるものはすべて私、だからとても良く見える。私は私が感じとるすべてのものと共にいる。そうありたい。そのように生きる。

11/07/05 0:59
アトリエSYMBION三週目。年間クラスとOpenクラスの違いがハッキリ。何れにせよ私のテーマはpracticalであること。実際に使える、次の演技が変わる、望みの実現に確実に近づく、明日が変わる…そんなレッスンをしたいといつも思っている。魔法なんかない、実用的な技があるだけだ。

11/07/04 0:29
認めてほしいという動機と、喜んでほしいという動機。雑にしてるとこれごっちゃになっちゃう。全然違うものだから…

11/07/01 10:55
今日は富士山山開きです。近所の浅間神社や冨士神社ではお祭りしてますか?富士塚のあるところは今日だけ開放して登れたりするからご近所の人はぜひ。富士山登ったのと同じ御利益とか…。小生は朝イチで近所の冨士神社にパンパンしてきました。

2011年8月31日水曜日

アトリエSYMBION月曜日クラスのご案内

いつもアトリエSYMBIONをご利用頂き有難う御座います。
以下に記した問題は私が役者として実際に問題意識を持ち、私なりに探究してきた(現在もしている)ことです。もしかしたら皆さんも同じような悩みをお持ちではないですか?探究は今も続きますが、現時点で私が教えることができる幾らかのアイデア(考え方)とテクニック(術)があります。このレッスンが参加される皆さんの助けとなるよう進化していくことを望みます。

<初級者>
演技になると声が上手く出せない(声を嗄す、不自然な声になる)
相手をとる、見るということがどう云うことか分からない
演じる時に起こるからだの癖がある(気をつけていても出てしまう)
一人ならできることが人前だと緊張してできなくなる
演出につけられた動きでやりづらい(できない)ところがある
稽古してる台詞でどうしてもスムーズに言えないないところがある

<中級者>
相手役を使えずにいつも自分一人で演じてしまう
気持ちの準備ができるまでなかなか演技を始められない
いつも同じような注意・ダメだしを受けてしまう
しばしば無意識に余計な芝居をしてしまう
相手が誰でも自分がブレない演技がしたい
どうしても演出に縛られながら演じている感じがする
役づくりやアクションのプラン、設定したこと等が逆に演技を不自由にする

<上級者>
演技に入るための準備の時間を減らしたい
もっと演技の「質」を高めたい
シーンにおける一つ一つのアクションの精度を高めたい
自分の演技がワンパターンな(役者として停滞してる)気がする
方法論は学んだが実際には使いこなせず、結局行き当たりばったりで演じてる
これまで自己流で演ってきたが自分の演技が良い方向へ向かっているか不安だ
経験を積んできたことで、却って自分の出来ないことに目を向けづらい

 現在の月曜クラスは、役者の楽器の演奏法(自分自身の操作法)をテーマに展開しています。特に演技中における(演技する直前の)役者のこころとからだに焦点を当ててレッスンします。演技基礎訓練、外的アプローチ、台本解釈や内面的役づくり、シーンスタディ等とは一線を画しますが、実際に演じるその時に持ち込める〈実践的な術〉としての効果を期待します。
 前半は参加者の皆さんが自ら持ち込んだ問いや課題を基に展開します。題材は、準備体操や踊りなどのからだの動きに関すること、台詞・歌・朗読などの声に関することを始めとして、シーンやモノローグ、役づくりの為にしているアクティビティー、オーディション対策、思考整理のためのコーチングなど、演技に関することなら何でもどうぞ。
後半は簡単な戯曲を演ります。主にからだ、呼吸、思考など役を演じる際の自分の使い方をテーマにします。あらゆる役に応用可能な基本的立ち居振る舞い、自分と共演者との間合いや空間の捉え方、演出家の言葉を自らの行動に翻訳するプロセス、ある程度こなせる人には、眼の使い方・体捌き・台詞術・感情の扱い方(感情が高まってきた時の自分の奏法)なども丁寧に指導していきます。写実的、古典的、喜劇的、ショー的問わず、俳優として繊細かつ大胆な思考と動きの獲得を目指します。
いずれの場合も観念や理論や議論ではなく、実際に演じる…身をもって取り組むことを大切にしていきたいと思います。
現在は月曜日クラスも水曜日金曜日クラスと同じように各々の技量による振り分けはありません。ご自分の演技に問題意識を持っている方ならどなたでも大歓迎です!皆さまのご参加をお待ちしています。
 
2011アトリエSYMBION月曜クラス 倉持一裕

2011年8月24日水曜日

ペテン師

「オレは役者だからね
言っちまえば大嘘ついて人を騙すのが仕事だからね」

そんなことを時おり気楽に言い放つ自分がいる

若い頃、自分に正直でいると生き辛くて生き辛くて
何にもうまくいかなくなってた時

ああオレは役者なんだから何もかんも心底から演じちまえばイイんだ
鬼だって悪魔だってそう言うことだろう
そんな生き方だってかっこイイじゃねえか

そう思って技を磨いて演じ始めたら
いろんなことがすごく上手くいき出した

自分のエネルギーが淀みなく流れ出し
それまで良くあったブスブスと糞詰まったようなオレはいなくなった

きっと人の中を生きるってこう言うことなのかななんて思った
そうやって磨いた技やアイデアを他人にシェアして喜んでもらうこともたくさんあった

そしていつのまにかそんな若い頃の悩みや
その後の努力も忘れ
いつのまにか適度にオジサンとして本来の自分に正直な生き方に戻っていた
つもりだった

ある日…

ある人に、あなたはペテン師…、と言われた

そこに悪意は感じなかった
ジョークまじりの会話
でもオレは傷ついていた
かなりショックだった

すでに無意識になっていたオレの〈人を騙す技〉
オレが人の中を生きるために必死で磨き
人を何度も何度も喜ばせてきた技を
掘り起こされズタズタに否定されて
「あなた本当はどう生きたいの?」
そう聞かれたような気がした

確かにその人に悪意はなかった
でもそうオレは受け取っていた
…そう受け取りたかったんだ
なぜならその言葉はあまりにも的確だった!から

わたしもそう(ペテン師)だからよくわかる
巧妙に平静を装っていたオレの深層の変化を察知したのだろう
その人はそう付け加えた

しばらくしてペテン師という言葉を一人で味わってみた

他人をそう呼んだり
自分で自分をそう呼んだりするのとは全く違う
やっぱりオレは傷ついていた

しかし
と同時にワクワクしてる自分も発見した

なんかこの傷ついた感情を味わい尽くしたあとに
(本当にじゅうぶんに十分に味わい尽くさないといけないだろうけど)

「あなたはペテン師…」と人に言われたという事実から
今自分が探し求めている
「自分が本当に生きたいように生きるって?」に向かう
建設的な思考が生まれてきそうな気がするのだ

今年の夏オレが体験したとっても刺激的なできごとの一つだ

+++++++++++++++++++++++++++++

ペテン師 かぐや姫
www.youtube.com/watch?v=5Kp7yY5P19U

マイブーム二十字要約
「他人にペテン師に見える自分を許したい」

2011年7月14日木曜日

望む生き方への考察過程

目的とか目標とかいう概念があるけど
わたしはこれらがなんか好きじゃない

ないものを得るために生きるとか
あるものを守るために生きるとか
そんなのって必要なんだろうか

そもそも「~するため」とか「~のためとか」
生きるとはそういうものなのだろうか

ないものを得るためでは、今を否定してしまうだろう
あるものを守るためでは、創造的な生き方から離れてしまうだろう

おお、なるほど…

ってことは、少なくともわたしは
今を肯定しながら、創造的に生きたいんだ

そして目標ということばを使うと全身的でなくなるようだ
…首と頭、そして顔の一部が収縮する感じがする
代わりに使うとすれば直観…かな
直観ならわたし全部でできる

今を肯定するっていうのは
イエスって言うことだからシンプルで具体的で好い

じゃあ、創造的に生きるってことをもう少し噛み砕いてみよう

時間でいうなら、今と未来の間に隙間がないことだ
(時間が未来へ進むことは逆らえないしそれは受け容れる)
では隙間のないその次の瞬間に向かう際
過去の習慣でなく
今までにない新しいわたしで動きが起こる

そう、起こすのではない起こるんだ
それが直観による選択……

うむむむむ
待てよ、そうすると直観も選択もわたしのものではないな〜
わたしではないな〜
なんだろう?
自然?潜在?霊…スピリット?
そうかあ、まだ確信は持てないが
わたしは少なくともわたしでないものに衝き動かされて生きたいと
それが心地よいと思っているらしい
いやこれもことばが足りない
わたしが認識しているものではないがたしかにわたしであるもの
で創造的に生きたいのだ
それはたぶん認識のあるわたしは不安でしようがないと思うけど(笑)

うん、そしてそれは間違いなくわたしにとっての演じてる時間
他者が喜ぶか否かはさておきわたしが演じる喜びを感じてる時と
同じと言ってもいいくらいとてもよく似ている

…誤解して欲しくないけど
役の人生を生きてさまざまな感情を体験することが喜びなのであって
演じながら演じる喜びを感じているわけではない

(尻切れだけど今日はここまで)

2011年5月30日月曜日

ずっとやりたかったことへ向かって

あれもやめるのか
これもやめるのか
まあ試しにやめてみよう

ひとつやめてみると
あたらしいものが見える
すると次にやめたくなるものが見えてくる

いろいろやめだすと世界が広がる
より繊細に世界が見えてくる
…ああ、これを見るわけね

そしてまた次にひとつやめ
ふたつやめ
ある時、やめるのが止まる

やめることがないわけじゃない
でも止まる
何でだろう?

怖い。。。うん
ここをもっと味わいたい。。。恰好つけ
これ以上繊細に世界を見るのがいや。。。ナルホドね

しばらくの間
恐れと好奇心が戦って
寄り切って好奇心の勝ち

勝ったのに進めないときは
人の助けを借りるのもいい
同じ道を歩いている人は結構いるものだ

そうやって
今度はあれやめて
次にこれやめて

ぼくはぼくになっていく
陽だまりのなか無邪気に駆けていたように
はるか昔夢見ていた道を本当に歩いていく

にこやかに
すこやかに
のろのろと

2011年5月16日月曜日

合意

とある出来事があって
深夜にせがれの眠る側で
夫婦でゆっくりと話をした。

いきさつとやりとりは端折って
いくつかの合意を得た。

「自分の人生の主役は自分にしよう」

「自分の人生の主役をせがれにしたり
せがれの人生の主役に自分がなったりはしないようにしよう」

「家族を支えたいならその前に自分で自分を支えよう」

「家族を護るためにまず自分で自分を護ろう」

「他人様や家族との付き合いかたを考える前に
まず自分自身との付き合いかたをちゃんと考えて実行しよう」

「家族の誰もがわが家の看板になれるよう各々が個々の務めに励もう」

どれも似たようなことだけれど
とても自分の肚に落ちる合意だった。
話しながら妻の背筋が伸びていくのが見えた。

その出来事は正直望ましいものではなかったが
最終的にはその出来事に感謝でき
まもなくそれは
大したことではなくなった。



+  +  +  +  +

ちなみに・・・

夫婦喧嘩じゃありません。m(_ _)m

2011年5月10日火曜日

無題

肯定しきれない自分の過去を
慰めきれない今の自分を
後輩を指導することで
消化してはいけない

人を導く立場にある者は
思わず…
本当に思わず、そうしてしまうことがある

…注意深くありたい

何の確証もないのに
ただ「ちょっといいかも」
っていう不安に満ちた直感を
後輩の指導に持ち込むことを
恐れてはいけない

人を導く立場にある者は
しばしば
本当にしばしば
その可能性を自ら閉ざす

…勇敢でありたい

でも
そんな先輩の未熟さや
そんな指導する者の恐れを
後輩たち…
指導を受ける者たちは

好奇心や向上心といった
純粋な寛容をもって
見事に昇華する

だから…

後輩を指導する者は
ゆっくりと
自分の過去を振り返ればいい
慌てずに
今の自分に向き合えばいい
安全な場所で…
自分ひとりで、もしくは安心できる人のもとで…

そして
自分の直感以外に何の確証もない
不安に満ちた新しいアイデアに
自らが先頭になって飛び込んだらいい

自分の未熟さを
自分の恐れを
自らの好奇心と向上心という
純粋な寛容をもって
浄化してあげたらいい

後輩たちがそうしているように

2011年5月9日月曜日

マジおもう

自覚があるにしろないにしろ
ヒーラーや
人助けをする役割りにある人や
人を導く立場にある人は
とにもかくにも
自分をきちんと整え
自身をしっかり護る方法を身につけないといけない

それはネガティブなエネルギーから自分を護る
ということではなく
自分が成すことができる素晴らしい能力を
充分に発揮するために必要なんだ

ある段階に於いては
その作業は苦行と感じるかもしれない
でもそれは大きな喜びへの下準備だから
にこやかに取り組めると思う

で、もし
そんなことをするのが嫌なら
苦行までして喜びを得たいと思わなければ
「いやだ!」とひと言いえばいい
すぐにその役から外してもらえるはずだ

そう
基本・・・
やりたくないことは
やらないほうがいい

マジそうおもう

2011年5月8日日曜日

2011『愛の讃歌』東京公演のつぶやき

すべての日ではないのですが
終演後千代田線の車内でツイッターしたものを中心に
ここにまとめてみました。

昼公演が多かったですが
せがれが風呂に入る時間に間に合うために
終演後はいつもせっせと足早に帰ってました。

読み返して見ると
自分がどんなことを思いながら芝居をやる役者なのか
客観的に観察できます。

他人様の評価でなく
自分の良い悪いの判断もなく
ただ自分が「どのステージも好き」と思え
悔いの残らないものであったことが
今年の収穫だったと思います。

全国公演もつぶやくつもりです。m(_ _)m

※ご存じない方のために
マチネとは昼公演、ソワレとは夜公演のことです。

+++++++++++++++++++++++++++

2011年04月09日(土)
今日の公演はマチネだけど外は雨で湿度が高い。劇場は面白いお天気で、いつもよりストライクゾーンが狭い感じ。でもその客席のエネルギーに引上げられ新しい緊張感の中で演じられました。お客さんのお陰で発見が出来た有難いステージでした。m(_ _)m

2011年04月10日(日)
同じ週末のマチネでもこんなに劇場のお天気が違うなんてね。まず外の天気からして全然違っていたもんなあ。だから舞台演技は面白い。終演後は日舞のお稽古。

2011年04月11日(月)
久しぶりの月曜日公演。夜公演ならではのダイナミックな劇場の気にぐいぐい導かれながら演じました。外は雨だったそうで…今は止んで涼しいです。

2011年04月12日(火)
晴天マチネ。予想以上にダーク&クールな演技が劇場に馴染んだ。意外と脚が長いんですね…と言われた。意外は俺の方です!

2011年04月15日(金)
休養充分の上にフライデーナイト。どんなにサイズのでかいエネルギーもいくらでも受け取ってくれる客席。余り好みでなかった金曜夜の演じ方のヒント見えたかも。楽しい一番でした。

2011年04月16日(土)
客席陽、芝居陰で流していって、最後はカーテンコール大声援。昼の佳い典型かな…。少し汗をかいたけどもうちょっとだけ涼しく演じたい。

2011年04月17日(日)
一期一会…二度と同じ芝居はない、なんて素晴らしいことだろう。天気よかったし、俺としてはやっぱダーク系で各色揃えた感じ。お客さんみんな幸せそうだった。明日からアトリエSYMBION!

2011年04月19日(火)
夜だし天気荒れて寒くなってきたから今日の公演は熱くなるぜって言ってたら本当にカーテンコールまで熱くて、ほらな!って言ったら最初に熱く始めたのはカズさんでしょ!?ってノリピーに言われた(^_^;)でもそうしたくてした訳じゃないのよ。ソワレ少ないから楽しもう…♪

2011年04月20日(水)
一言だけ、ブレス残っていたのにいつもしてるからって盗んで一瞬息入れたら…それだけでモメント逃した(^_^;)それくらい今日はテンポが大切な一番だった。月曜日の右肩詰まりは後戻りでなく、新たな進展だと思えてきてる!新しい自分で今日も幕が降りた。

2011年04月22日(金)
いつになくいろんな種類のエネルギーが充ちた劇場。役割りを演じるのが役者なんだけれど、こういうお天気の日はもっともっと「ひろく」「おおきく」演じられるようになりたいなとマジ思う。もちろん座長はそうされて総立ちのカーテンコール。

2011年04月23日(土)
こんな最初から護られた舞台は久しぶり。こうなると役者としては演じる必要がなく、ただいるだけで善いっていうくらいになる。カーテンコールの時吹いてた風…気持ちよかった。

2011年04月24日(日)
今日は確か最初に完売になった回。盛上りは必至!?金曜に気づいた自分のユースのやり過ぎを昨日今日と探って最後の出番で新しい声を見つけた。

2011年04月26日(火)
東京最後の夜公演でした。早いですがひとつの千秋楽でした。ふとしたところでちょっとした間…魔?が差し込んでくる日だったけど、集中していれば何でもなくて却って新しい発見にも繋がるわけです。面白かった。二日休演してGW突入です♪

2011年04月29日(金)
休演日もSYMBIONだから、今日から5日までGWは休まず駆け抜ける。銀座残り6ステージ!

2011年05月01日(日)
マチネだけで続くと劇場全体の空気の繊細さが増す気がする。でもそれは演技のストライクゾーンが狭まることにもなるから、難易度も増す。ポイントはやはり 「抑制」だ。やらなくていいことはやらない。本当にやるべきことだけをやる。やり過ぎは流れもダイナミズムも失う。勉強になるなあ。

2011年05月03日(火)
マチネの夜シーンとかってすごく創造的な作業で、今日みたいになると演じてて本当に楽しい。いつもより客席静かなんだけどダイナミックな芝居を凄く求めていたのがわかった。案の定芝居終わって一転カーテンコールは今年一番の盛り上がりだった。

2011年05月04日(水)
何でもそうだろうけど「序盤」って難しい。でも開演直前に舞台袖で美輪さんから頂いたアンサンブル全体へのアドバイスが凄く支えになってみんな迷わず飛び込めた。全般的にいつになくカラフルな芝居になったと思う。

2011年05月05日(木)
右半身が新しくなれば自ずと左半身も変化していく。言葉にするならセンタリングか。そうやって私は「さかな」になっていく。東京楽日にここまで来れたか。実に面白い。銀座に感謝♪

2011年5月5日木曜日

自尊 自励 自奏

自らを尊重し

自らを励まし

自らを奏でる

これがわたしが生涯探求し続けたいことだ

わたしはこれらをしたいと思っていることに
ある時期まで気付かなかった

今からすればどうやら自分の無意識は
これらを求めてきたのかもしれないと思える

今となっては
自分の人生に於いてしないではいられない
と、こころから望んでいる

その術はこれらの行動をし続けたことによる
副産物として自然に形をなすだろう

もし望む人があればそれを伝えることも
わたしの喜びとなるに違いない

自らを尊重し

自らを励まし

自らを奏でる

これがわたしが生涯探求し続けたいことだ

2011年5月4日水曜日

2011年5月1日日曜日

今、自分が意識的に選びたいこと

何かを学ぶ時や
人の話を聞いたり
何かを見たりしたとき
そして、実は演技の最中(相手役の台詞を聞いてる時)もそうなんだけれど
僕らは自然と
これまでの自分の経験や知識と照らし合わせて
その回路の中で
その情報を理解しようとする。

ある意味これは大切な
優れた能力なのかもしれないけど
最近僕は
この作業をできるだけしないで
人の話を聞いたり(相手役の台詞を聞いたり)
モノを見たりしたい(状況を受けとめたりしたい)
と思う。

人と話をしていてよく感じるのは
自分も相手も
その話の内容を
自らにとって都合の良いように
自らの理解できる範囲で
解釈してしまっていることだ。

「今はこの人には僕の言いたいことが伝わってないな」
ってことが会話の中でわかることがある。

同じように
僕もこの人の話を本当に丸ごと聞いているだろうか?
そう疑問に思うときが多々ある。

そんなことに気付いた時にふと考えた。

「わかる」ってどういうことだろう?

そもそもその場で「わかる」必要があるのだろうか?
すぐにわからないといけないの?

すぐに理解しようとすることは
実はそれを丸ごと受けとらずにいることなんじゃない?
(演技に関して言えば、わからないとできないの?)

自分が好きなものだけ食べてるのと同じで
丸ごと食べてから要らんものは排出するのとは
まったく異なる行為だと思う。

そういうわけで
今、自分が意識的に選びたいことは

理解しようとすることをまずやめて
自分の全体で今ここに居つづける

特に考えを持って今ここでの出来事に
解釈や判断を下しさない
ましてやそれで固めない

からだを変な風に使って流れを滞らせない
全身全霊で今ここに居つづける

ってこと。

今ここに居つづける
っていうのは
今ここに自分が属するんじゃなくて
今ここを自分のなかに統合するほうのやつ

これは全然違うから要注意。

ちょー自分のサイズを大きくして
この目前の出来事を丸ごと受けとめる

ってこと。

ん〜、ぶっちゃけ「生きる」ってこれだけでいいんじゃない?

大丈夫
消化不良起こしたら吐き出せばいい
自分のなかに入ったって要らんものは時期に排出される

難しいのは
無意識の習慣的反応を抑制することだ
これをしちゃうと丸ごと受けとれなくなる

まあ注意をすることだ
注意をしても簡単にはいかない
でも、とにかく練習することだ

2011年4月30日土曜日

おもう

「芝居におもいなんか要らねぇんだよ!
おもいを込めるなんてのは早い話が独りよがりだっ。
役者はおもうってことをするんだ」

「その、おもうのとおもいを込めるってのは違うんすか?」

「全然違うよ。お前、違いわかんねぇ?」

「いや、わかんないことないすけど…。確かにおもいは重たくなるかなぁ~」

「そんな言葉遊びじゃなくてよ。
ただおもうんだよ
おもいを込めるんじゃなくておもうの! 
何をおもうかはなんだっていいんだけどよ
っつうか選べるんだけどよ!
とにかく…おもうんだよ」

「でも思ってるだけじゃ動けないじゃないですか」

「そうかなあ」

「そうでしょ」

「たぶんねえ〜それはね〜
・・・本当におもってるとはいえないのだよ。
本当におもったら・・・人は自然に動くのだよ」

「その、自然に・・・てのが一番難しいんですけど」

「ほらほら、それ!君は今、君が自分を自然に動かす、って考えただろ?」

「えっ!?あっ!」

「なっ!することは自然に自分を動かすことではなく・・・」

「本当に、何かをおもうこと!」

「それがわかればたいしたものよ。は〜いよく勉強したね。今日はここまで!」

「ありやとーざぁしたーm(_ _)m」

2011年4月28日木曜日

「俺もその道とおったよ」

別に俺が先に行ってるとか
上を行ってるとか
そういうんじゃなくて

でも、「俺もその道とおったよ」って思う時って
・・・すごく嬉しい

同じ風景を見てるうれしさ
同胞の感覚

でも、「こうしたらいいよ」って
そういうことは云えない

だって本当にそれがいいとは限らないから

だから
見てたら見てるだけ

・・・でも興味を持って見てる

そして、相談を受けたら
「俺もその道とおったよ」っていう
・・・たぶん嬉しそうな顔をして

そしてその後、たぶんやっぱり見てる

どうすんだろう?
どうやって通るんだろう?
どこへ行くんだろう?
・・・興味津々

だって
その道を
また
俺がとおるかもしれないから

イヒヒヒヒ

2011年4月24日日曜日

退屈は敵

役を入れたりはしないし
声を変えたりはしない

わたしがそこで然るべきのぞみを持てば役は入るし

わたしがそこにある流れに身を任せれば声は変わる

わたしも時おり口にしてしまっていたが

役を入れる…とか
声を変える…とか
そういうことばはあまり使いたくない

役が入る…とか
声が変わる…とか
そういうことばで話す場合と
世界の見方に大きな隔たりがある

これはもしかしたら
わたしの状況対応型的な性質から生まれる思考かもしれないけど

いずれにしても
役を入れる…とか
声を変える…とか
そういう考え方をしていっても
わたしの創造性はどんどん失われていくだけだ

わたしは発見がしたいのだ
わたしは驚きたいのだ
わたしは変容していきたいのだ

望み通りに
思い通りに
イメージ通りに
ものごとが進むほど
わたしにとって退屈なことはない

そして退屈は最大の敵なのである

2011年4月23日土曜日

成功の秘訣

成功の秘訣は
これだ!
わかった!
と一筋の光が見えた時に
そこに留まらないことだ
それで固めようとしないことだ

誤解を恐れずに云えば
疑い続けることだ
まだ先があるんじゃないか
もっとよいところがあるんじゃないか
と欲し続けることだ

たしかにひとつのステージを越えたときは
とてもうれしい
思わずそこに酔いたくなる
それに執着しはじめる
でもそれはいけない

存分に味わうのはいい
でも酔っちゃいけない
ひととき祝うのはいい
でも手放さなければならない

泣くなら泣いてでも
さよならしなくては次はない
どころか
そこにいたらあっという間に
錆びる
腐る

前に進めばすぐにわかる
あの程度で喜んでいたんだと
あそこで止まっていたらと思うとゾッとする

成功の秘訣は疑うことだ
欲深いことだ
別れを惜しまないことだ

前に進むことだ

2011年4月22日金曜日

「いずれまた」

「いずれまた」それも「近いうちに」やるつもりだったことがある
過去にやってて、楽しかったし、たくさん学べたこと
でも、今はやっていないこと
ちょっとしたことでやめてしまっていたこと

これまでも数回、ふっと
「また、やるか!?」って思っていたが
その時ほかに一生懸命やっていたことがあって
(・・・それは今も続いている)
それに「一段落けりをつけたら」って自分で思っていた

それをまたやらない理由は見事に整っていた
でも、再開する目処は立っていなかった

するとなんと
先日わたしの舞台を初めて観てくれた人からそれを勧められた
唯我独尊のわたしがふっとその勧めに揺れた
今やらない理由は見事に整っていた・・・はず
たぶんわたしに潜在する内なる声を代わりに聞いて伝えてくれたんだろう
↑・・・この考え方が唯我独尊(笑)
う〜ん
ボディとマインドまでは何とかなっても
ソウルは他人様のおちからを借りないと読めねえなあ

「一段落けりをつけた」かったことに、けりがついたのか
いや、たぶん「あれをまた」やることが
今一生懸命やっていることをより進展させていくのだろうか

っつうか、そういうことごちゃごちゃ言わないで
いいからさっさとやれってことだわな
だってやりたがってるんだから・・・このわたしが

で、あらためてよく考えてみると
「いずれまた」どころか
早急に取り組まなければならない理由が
次から次へと出てきた
あげくに「けりをつけたい」などと思っていたことが
すでに目標を達成していることにも気づいた

すみません・・・楽してました m(_ _)m

2011年4月20日水曜日

今の俺にとって その2

左半身は 過去   右半身は 未来

俺の中心は   今

左半身は オンナ  右半身は オトコ
左半身は 陰    右半身は 陽
左半身は 空    右半身は 密
左半身は 受    右半身は 授
左半身は 守    右半身は 攻
左半身は 細    右半身は 太
左半身は 弱    右半身は 強
左半身は 長    右半身は 広
左半身は 大胆   右半身は 繊細
左半身は 無尽   右半身は 無限

まん中は   らせん

2011年4月19日火曜日

今の俺にとって

今の俺にとって

稽古は修行

移動は練習

楽屋は学習

劇場は整体

公演は祭礼

SYMBIONは試験

家庭は保養

睡眠は静養

祈りは鎮魂

・・・すべてが本番

*   *   *

時に・・・追憶

2011年4月17日日曜日

私の場合

しょっちゅうと云うわけではないけれど
数年に一度くらい自分のプレゼンスが大きく揺らぐ

そうなるととてもとてもつらく
自分が立っているだけで精一杯
しばらくの間みじめな気分を引き摺る

多くの場合それは他者との関係から引き起こる
ゆえにそのつらさはその他者によるものと
私によって(一時的に)解釈される

プレゼンスの揺らぎは
若い頃は経験不足でそこを乗り越えるのに相当な時間がかかった
しかしその中から何度か
自分の大きな飛躍と成長につながる経路を辿った成功例から
いつの間にか
こういう危機が来た時に(私の場合は)こうしていくのが賢明だろう
という学習を私はしているように思う

それにつけても自分のプレゼンスが揺らぐわけだから
それは私の人生にとって相当な出来事である
正負にかかわらず大きな
私にとってはとてつもなく大きなエネルギーが動く

わかりやすいところで
それは感情だといってもいい

どうでもいいと
本当にわたしの人生などどうでもいいと思えるならば
そこには感情は起こらないだろう

それはある意味理想ではあるが
実際にはどうしても、どうしても曲げられないものがあり
それが私を傷つけ、やけにさせ、そしてとてつもない怒りへと誘う

しかし怒りの丁点に達したとき
ふと私のなかにみなぎる生命力を感じ
突然にそれは創造的なエネルギーへと変容していく

その時点で私の魂はそれまでいた場所にはもういない
それまでいた場所を超越したところへ移動している
三次元的には何も変わらない
(変えないようにしている)
でも、私はもうそこにはいない

決してそこがそれまでよりも上等なところへ移ったとは思わない
しかし少なくとも
私には生命力がみなぎり
私は創造的になる
私は楽しくなる

プレゼンスの揺らぎ万歳
つらさを引き起こした他者万歳
どうしても曲げられないもの万歳
とてつもない私の怒り・・・万歳

そうやって私は形作られる
そうやって私は単純になっていく

2011年4月15日金曜日

終わった

修復しようとしても
すでに終わっていることってあるものです
少なくとも復旧ということはありえない
そして自分を納得させながら、自分が納得いくスピードで
変わっていくこともすでに難しいくらいに
なにか大きなものが(これもわたしだが)
変容していることもあるのです

もう捨ててしまわないと
あれはすでに捨ててしまったけれど
そしたらどうやら
これも捨ててしまわなければならないみたい
正直哀しいけど
いつまでも持っていたら
わたしが殺られてしまう

ひと思いに涙を流して手放してしまおう
生き残るんじゃなくて生き抜くってこと
もう終わった
あの頃は本当に終わったんだ
少し淋しいけれど
孤独なのは手放しきれないでいる間だけ
友を探している間のひとりぼっちなんて
なんか好い時間だと思う

もう変わった
わたしは変わってしまったんだ
とってもめでたいことじゃないか

2011年4月14日木曜日

誰だぁ?!

ふと、小ブログの国別ページビューを見た。

そこには、日本、アメリカ合衆国、中国、ロシア、マレーシア
の5カ国から僕のブログを見ていると出ていた。

まあ日本はいいとして

アメリカには何人か知り合いいるから見てくれてんだろうなあ。

中国はあいつだろうなあきっと。

ロシアはもしかしたらあいつかなあ。

マレーシア・・・

誰だあああああ!?

・・・コメントしてm(_ _)m

2011年4月13日水曜日

おまじない

いつかどこかの楽屋にて
「ぼくは正しくない…

もちろん間違ってもいない…」

僕を自由にするおまじない

2011年4月11日月曜日

これならいい。

なにかを自分に言いたくて

考えて

考えて

「私に見える世界はいつも明るい」

と手帳に書きこんだ。

・・・でも

いまひとつ

自分の全体に響き渡らない。

そこで再び

ちょっと

考えて

「私はいつも世界を明るく見る」

と書いた。

うん

これならいい。

2011年4月9日土曜日

変容のうねりの中心は?

ATの本格的トレーニングを始めて一年たった今年の初め
僕のことばで云うところの「背骨が通った」実感があり
それからは何となくではあったけど
「僕から見える世界が徐々に(でも確実に)変わっていく」
のを感じていました。

もちろんATの訓練としてはほんの入り口だろうし
それは確かに個人的な自分のなかのことなんですけれど
このたびの大震災にあたり
「その前と後ではもう世界が変わっているんだ」
という類いの発言をいろんなところでよく耳にするので
これは僕の個人的な変容とどう関わっている(いく)のだろう
という問いが僕に生まれていました。

大震災前後と云った場合の「世界」はそのまま「世界」かもしれないし
「日本」かもしれないし
「その人自身から見える世界」かもしれないし
「価値観」みたいなものかもしれない。
人それぞれ(もしかしたら時々で)
「世界」の見方や実感の仕方も違うのだとは思います。

僕も知人からのメールで「大きな変容のうねりを感じるね」と云われ
確かにそのことばには共感していましたが
そのうねりの<中心>はどこにあるんだろうという考えが残ってました。

で、やはり
そのうねりが自分の外に起こっていると考えると
自分にはどうすることも出来ないとてつもなく大きな力を妄想しだし
何かそれに巻き込まれていくような感じがして
とても不安な気持ちになりました。

この視点でものをみてるとろくなことにならないなあ
ヤバいなあ・・・と
したがってその考え方は選択しないことにし
「大きな変容のうねり」はやはり
自分自身に(から)起こっているんだと考えるようにしました。

もともと今年の始めから僕自身が実感していた「世界が変わる」様子が
このたびの震災をきっかけに
よりハッキリしたものになっていくのだろうと
そう思うとしっくりきます。

いくのだろう・・・なんてまるで他人事みたいだけれど
実際はそうではなく
これまで以上に思想を深めひとつひとつの行動を
明確に決心して覚悟を持って選択していきたいと強く望んでるということです。

今ありたい基本的な構えは出来ていて
それが震災で揺らぐことはなかったのだけれど
構えの質をより速く高めて早く次の段階に行きたい
というわずかに「焦った気持ち」があることは自覚しています。

でも焦りは今から離れる原因になりやすいですからね。
今にいてこそよりよい選択もできるわけですから。
だから今は
わずかだけれど確かに感じている焦りに焦点を当てて
それと向きあいながら日々を生きていこうと思います。

2011年4月7日木曜日

男子育成法

男の子を育てる場合は
足許と天井が大切

まず自分の立っている位置を
本当の位置を知ること
足許をまじまじと見ること
思い知ること

ひとたび自信を失ったとしても構わない
自信を失うくらい過小評価しても構わない
その状態を乗り越えると
今の自分がどんだけのものか
冷静に客観視できるようになる

そしたら次は上へ向かう
その際、上は青天井にすること
高く大きく目標を掲げること
そこは無限にしておくこと

蓋をしないで夢を語る
現状を把握してれば恐れは要らなくなる

俺は一番
俺は上の方
俺はまだマシ
これはちと宜しく無い

なぜなら努力をしなくなるから
適度にはするけど
本当の努力をしなくなる

地に脚がついて
上が青天井なら
あとはどんどん行けばいい

ただし・・・
ひとつ注意がある

真っ直ぐ上に行かなくちゃいけないわけじゃない
寄り道したくなったらして構わない
ついでに
休みたくなったら休んでよし

好奇心が創造の原動力

とにかく上は無限なんだから
無限の空は広いんだから
どこへ向かったって同じこと

足許が見えてて
上に天井はない

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・・・そうやって自らを再教育中のわたし(45才)です

せがれの話じゃありません

2011年4月6日水曜日

僕が見た今日

無事に初日があきました。

出かけにかみさんとせがれに「とっと初日頑張ってね」と見送ってもらいました。

何人かの後輩たちからカズさん初日おめでとうございますとか
クラさん長丁場頑張ってくださいとかメールもらいました。

お世話になった鳶の親方や昔の劇団の後輩からはお花をいただきました。

美輪さんに「あなた今日はキレイなの?」と聞かれ
例によって薄ら笑いを浮かべるだけで何も返せませんでした。

一年ぶりルテ銀舞台上での準備体操はいつになく繊細に深く瞑想しながら気持ちよくできました。

後になって美輪さんに「何とか初日に間に合いました」って返せばよかったと思いました。

今月に入って獲得した長い右手で本番に臨みました。

四度目六年ぶりの再演、本番はすべての出番で初めての演技ができました。

自分で設定した課題をひとつだけミスしたけど愉しく省みられました。

カーテンコールは総立ちでした。

本番だけじゃなく初日の乾杯も初めての居かたをしてる自分に気づきました。

ロビーに集まった関係者皆さんが嬉しそうにしているのが見えました。

見てくれたマネージャーさんは美輪さんに感激し僕には特に注意はありませんでした。

逆に僕が指導を手掛けた何人かの役者の好評を聞くことができました。

帰宅したら今日無事にせがれが体操(産後ヨガ)教室を卒業したことを聞きました。

僕から見えた今日は・・・よい1日でした。

2011年4月4日月曜日

もっと

おまえはそんなに小さくない

もっと

もっと

あなたはそんなサイズじゃない

もっと

もっと

いつもあなたの最もで

いつも最たるおまえで

ほんとにいいもの

ほんとにいいものってその理由がみつけられない

なんだかいいんだけどその理由がわからない

あえていってみてもちがうかんじがする

なぜならそれはほんとにいいから

どこにもなんにもひっかからない

あたりまえのようにそこにある

いいりゆうがみつからないとひとはわるいところをさがしはじめる

さいわいにもわるいとこがみつかるとひとはほっとするけど

みつからないとそれが理由でぜんひていされたりする

ほんとにいいものってほんとに理由がわからない

2011年4月3日日曜日

うっ 恐れが来た

うっ

恐れが来た

僕がしたことが
僕がいったことが
否定されたらどうしよう って恐れ

昨夜書いた最高のラブレターを
投函する前に怖じ気づくのと同じ

僕には思いやりが備わっているだろうか
身勝手じゃないだろか

久しぶりに来たこの恐れ

これをする意味はあるのだろうか
これは正しいことなんだろうか

マーサの手紙が僕を励まし
僕の恐れが僕を押し下げる

これが次に超えるべき新しい自分か

ただ
あの手紙は投函の機を逃してしまった

2011年4月1日金曜日

替え歌

    替え歌

せがれのオムツ替えの際、女房は

マッハ GOGO
マッハ GOGO
マッハ GOGOGO

のメロディで

ちっち こうかん
ちっち こうかん
ちっち もりもりさぁ〜ん

と歌う

倅のオムツ替え抵抗を予測した
高揚感と緊張感のあるその歌い方は
原曲をよくわかった替え歌
・・・と思いきや

聞けば女房は「マッハGOGO」を
・・・知らないらしい!

時おり現れる世代の違い

女房は俺の知らない歌をたくさん知っているが
自分が知らない歌も
・・・知っているらしい

2011年3月31日木曜日

どうしても

心地よい流れだけで
なんの抵抗もない
そんな世界を
人は今この瞬間にも創れる

ただ…
人が
それを本当に望んでいるかは
疑わしい

方々からの力が
見事に均衡のとれた
そんな静けさを
人は自らのうちに持っている

ただ…
人が
今はそんな静けさを怖れてる
ような気もする

陽を浴びて星を見上げていい
喜びも悲しみも怒りも味わい尽くしていい
からだの隅々まで呼吸していい
静かに眠りについていい

ただ…
人は
それだけでは満足できないと
どうしてもどうしても…思ってしまう

2011年3月30日水曜日

護身術

護身術

護身術には二種類ある
ひとつは敵の攻撃に対する応じ方

もうひとつは
そもそも敵が攻撃を仕掛けることができない在り方
敵の攻撃を寄せ付けない在り方

応じ方と在り方

たぶん在り方で九割は身を護れる
残り一割の応じ方のうちの九割は在り方で磨かれる

で、応じ方の残る一割は笑顔をつくること

スマイル…スマイル

ってことは 9/10 たす 0.9/10 で 99/100 …!?

そう、在り方を磨くことで99%身を護ることができる

よしその在り方を磨こう…!?

*    *    *

ちなみに

そもそも敵も攻撃も存在させない在り方

というのもあるらしい

ただ、それではそもそも護身する必要がないので

護身術とは云わないだろう



…でも、こっちのほうがよくない?!

2011年3月29日火曜日

これはいいなあ

よかれと思ってやっていたんだけどなあ〜
相当いい線いってたと思うんだけどなあ〜
そのために誠実にマジで努力を重ねてきたんだよ〜
それなりに結果も出してきたんだよ〜
でも…
それよりいいアイデアがあった!
これは使えるよ
これは役に立つ
これは喜びにあふれてる
今までのも悪くないんだよ
間違っていたわけじゃないんだよ
価値観は全然変わってないんだ
今までがあったからこれに出逢えたんだから
こんなかたちで出逢えたんだから
でもやっぱこっちのほうがいいなあ
これまで僕が欲していたものが全部あるなあ
だから次に行けそうだなあ
新しいことに向かえそうだなあ
考えもしなかったことが起こりそうだなあ
いやあ
これはいいなあ

大事なこと

アレクサンダーテクニークは

知ってるか知らないかではなく

学んでいるか学んでいないかでもなく

どんだけ学んできたか
どんだけしか学んでないかでもない

うまく出来るか出来ないかでもなく

恵まれたからだを持ってるか否かでもなく

よいパフォーマンスをしてるかしてないかでもない

アレクサンダーテクニークは

今この時
今この動きに
このテクニークを使うか使わないか

それだけ…なんだと思う。

2011年3月27日日曜日

問題の原因

問題の原因が
自分にあることがわかって
もしくは気づいて

それを認めて
改善していくのって
俺は楽しい。

確かに
俺のせい!?って凹む時もあるけど

基本俺は問題の原因を自分に見出だすとホッとする。

だって
俺次第でその問題が解決できるわけだから。

2011年3月25日金曜日

出来ること

「好き」を演じることは出来ない。
「悲しい」を演じることは出来ない。

「弱気な人」を演じることは出来ない。
「英雄」を演じることは出来ない。

「歴史」を演じることは出来ない。
「解釈」を演じることは出来ない。

「想い」を演じることは出来ない。
「メッセージ」を演じることも出来ない。

わたしは・・・

「行動」することしか出来ない。

2011年3月23日水曜日

一週間ぶりの稽古休み

一週間ぶりの稽古休み
いつもより眠って
カミさんが淹れたお茶を飲んで
いつもの体操して
朝飯食って
ツイッター覗いて
友達にメールして
義母と電話で話して
せがれと積み木で遊んで
観劇予定の人に手紙書いて
トマトスープで昼飯摂って
高校野球見て
昼寝して
カミさんと知事選の話して
チョコレート食べて
コーヒー飲んで
ブログ書いてる

・・・なんてしあわせなんだ
・・・なんて私はしあわせなんだ

+++++++++++++

しばらく読めなかった新聞読んで

・・・涙がとまらない

2011年3月20日日曜日

今年の準備

演じるのが役者の仕事
緊張感を持ちつつ淡々と自宅と稽古場の行き帰り

『愛の讃歌』も4回目となるか・・・
メインキャストの台詞も門前の小僧で何となく云えてくる
自分の役割りもアンサンブルではあるが4回のうちに徐々に変動あり
そりゃ最初はアンサンブル最年少、今は年長さん・・・仕方ない

今日は最初の衣装合わせ
2006年の資料用衣装写真を見て驚いた
それぞれインスタントにキャラクターを入れて立ってる僕の写真が五、六枚
・・・こりゃヒドい!

首は潰れて、頭を前に突き出し
胸を突き出し、肩を怒らせ背中を狭め
腰は反らして、股関節は使えてない
アレクサンダー勉強して改めて過去の自分のユースを見ると
もう見てるだけで身体が痛くなって顔をしかめてしまう
・・・自分がかわいそうになる

これじゃ、時おり肩が凝り
寒くなると腰を痛め、走ると膝が痛くなるのは当然だ
毎日びっちり90分かけて
プレパレーションしなくてはならなかったのも当然だ
そのうえ下手に筋トレなどもしてたんだから
ホントよくやっていたもんだ

それでいて記憶にある限り
かなりの集中力とパーワーを維持していたのだから
相当に燃費が悪い
去年と今年でもかなり違うが
5年前と今年とでは
往年のアメ車と最新エコカーくらいの差は優にあるだろう

そして燃費の悪い方が
「走ってる気になってる」という恐い落とし穴・・・

さて
今年のムーニー体操・・・
いずれにしても毎日の劇場のお天気を見て
その時空間と協調するために
毎日行うことは間違いない
ただ、問題はどんなメニューにするかだ

今となっては僕の専らの感心は<自分をどう動かすか>にあるから
<自分がなんの動きをするか>は
なんでもいいと云えばなんでもいい

でもって
今一番興味があるのは太極拳
・・・でもそれを習いに行く暇はない

殺陣や日舞の動きをやるのもいいが
なんつうか、Parisの舞台セットで純和風の舞もどうか
・・・去年の能楽集ならありか!?

一昨年に編んだ『天才体操』はアレクサンダーを使いながら
もう一度整理してみたい思いはある
・・・でもフルバージョンやると二時間かかるだろう

そう、チベット体操ももっと繊細に動くとどうなるのかも試したい
・・・Parisでチベットかよ!

なんかもう一声、この芝居のノリにも合うような
これまでの僕にはなかった視点の準備体操
40回を越えるロングランの
本番前に毎回やり通してワクワクするような<動き>

何かないかな
もう少し考えてみよう。

2011年3月19日土曜日

ととのえる

     ととのえる


乱れた世界に何ができる
怖れた人に何ができる

オイラがオイラをととのえる

それが世界を変える
それが人をたすける

勘違いすんなよ
オイラが世界を変えるわけじゃない
オイラが人をたすけるわけでもない

オイラがオイラをととのえる

それが世界を変える
それが人をたすける

乱れた世界を何とかしたいなら
怖れた人に何かしたいなら

それはきっとできる

アンタがアンタをととのえる

そしたら世界を変えられる
アンタはヒーローになれる

オイラがオイラをととのえる
アンタがアンタをととのえる

信じられないかい・・・でも
アンタが世界を変えるわけじゃない
アンタが人をたすけるわけでもない

アンタがアンタをととのえる

それが世界を鎮ませる
それが人をやすらげる

2011年3月16日水曜日

飛び出た

飛び出た

深夜
余震で眠れずにいたら
十ヶ月のせがれが
突然
ぐるん!と寝返りをうちながら
ふとんから飛び出てきた

ちょうど一年くらい前
かみさんのお腹のなかでも
こんな感じで動いていたんだろうな
ってことを想像させる体で
そういや
ぐるんぐるん ぼこんぼこん
よくやっていたっけ

寒くてはかわいそうだから
起こさないように
そっとかみさんの側に戻す
昼間の緊張で疲れ果ててるかみさんは
目覚めることなく
だが
しかとせがれを抱きしめた



++++++++++++++++++++

今日は『愛の讃歌』のお稽古は予定通りの休日でした

11日も稽古でした
いくつかの忘れられない体験はさておき
関係の方々の冷静な対応の後
厳粛に稽古は再開されています

今年はこれまでの僕にはなかった
新たなアイデアと決意を持って
修道院生活に入り
なかなか良い流れで来てました

そしてその流れは
震災の後も変わってはいません

より強く自分の面倒を見る意識を高めたことも
その助けにはなっていると思いますが
なによりも
稽古場に集まる方々の粛々とした在りかたに
そして家族や友人の存在に
サポートを受けているからなのだと思います

だとするならば
わたしの存在も
わたしのこの度えらんだ在りかたも
だれかのサポートになっているのだろうと
また起きた余震のなか
のこのことブログを綴っている今も
それを実感することができています

明日もまた
自分の面倒をしかと見続けるために
・・・そのために充分に睡眠をとります

ご無事でm(_ _)m

臨床心理士さんからの情報

私の知人から、臨床心理士さんからの情報としていただいたものです。
下方に発達障害のお子さん向け、および子供向けの注意事項があります。
子供の不安への対応法ですが、大人に対してもかなり参考になると思われます。
二つのメールを重ねた形です、ご了承下さい。
自由に転送してよい許可はいただいています。
お役に立てれば幸いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

4日目となり、不安も疲労もたまっていることでしょう。心理士として阪神淡路大震災でも一週間以上被災地にいったものとして、仲間とも共有している以下のことを皆さんにもお伝えしたくメールしました。

*不安は体内でアドレナリンを放出し、軽い興奮状態を引き起こします。これによって、不必要に感情があふれだしたり、いらいらしやすくなったり、知らぬうちに身体的な疲労が蓄積したりします。また、「何かをしなければ」という気持ちにもなりやすく、やたら行動してしまうこともあります。今はそんな自分に「落ち着いていよう」と声をかけてください。自分を守るために大切なことです。自分をこうして守ることが周りにいる人も安心させます。

*テレビはあまり長時間見続けないようにしましょう。インターネットやラジオに切り替えることを意識してください。特に子どもには気をつけてあげてください。こういう時期にアニメや映画をみるなんてと思われるかもしれませんが、時々はそうしてください。過去にも、テレビ放映での二次受傷の問題が多々ありました。涙がよく出たり、妙な罪悪感が湧いてきたり、お腹のあたりがぎゅっとしてきたらテレビを消したり、違う番組をみるようにしましょう。

*こういう時こそ、「やわらかい心を意識してもつ」ことです。極端な情報の解釈を人に押しつけたり、偏った情報から「こうなんだ」と結論を急いだりしないようにしましょう。前述したように人や状況に腹がたつこともあるかもしれませんが、今、悪者や敵を作らないように意識してください。協力しあう仲間だと理解し、多々不手際や不便なことがありますが、「限界のあるなかで頑張っている」という思いで感謝を忘れないようにこころがけましょう。

また、まわりに発達障害の傾向がある子供がいたら以下のことも配慮してあげてください。

㈰可能な限り見通しを言葉で与えてあげましょう。カレンダーをみせて、「11日に地震がありました」「毎日がいつもと違います」「テレビはいつものプログラムをしていません。大好きなアニメも今日はやりません」「学校も早めに終わります」などを伝えてください。こういうことを紙に書いて見えるところにつるしておくようにするといいでしょう。

㈪普段お気に入りの、あるいは以前にお気に入りだったもの(毛布やタオルなど)をそばにおいてあげてください。体を覆うもの、目や耳をふさぐものなども気持ちを落ち着けるのを助けます。食事や排泄、就寝場面などに赤ちゃん返りがみられるかもしれません。できるだけそのまま受け入れてください。

㈫子供が得意とするコミュニケーションの方法で積極的に対話しましょう。疑問はどんどん聞くことです。不安であると繰り返し同じ質問が出されると思います。そうやって不安と戦っています。大人はいらいらせず淡々と同じ答えを繰り返してあげてください。同じ答えは安心させます。

㈬可能であれば、やむをえない変化以外は変化を最小限にしましょう。服はしばらく同じでもいいです。好きなビデオを繰り返しみせてもいいでしょう。どうしても必要な変化をおこすときには必ず説明をします。集団の中に長くいなければならない場合には、多くの刺激からまもるために、イヤーマフやイヤホンで音楽を聴かせるなどをするといいでしょう。

なお、コミュニケーションはとても大切です。テレビをずっとみているよりも、人と会話をするようにしましょう。

以上です。お役に立てば幸いです。なお、これを転送してあげたい方がいたら、どうぞ自由にしてください。発信者からはOKをもらってあります。

子供の不安への対応法ですが、大人に対してもかなり参考になると思われます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
被災地にいなくても子どもは不安です。大人たちはテレビに釘付けでしょうから。以下もご参考までに。

*まず子どもを安心させること  そのために、
㈰どんなことも聴いていいという雰囲気をつくります。分からないことは分からないといってもいいですが、「そんなこときくな」「しらなくて いい」という返答はしないようにします。また、繰り返し同じ質問しても、同じ答えでいいので淡々と答えてください。

㈪どんな気持ちも否定しないでください。「くよくよするな」「気にするな」などというと子どもは自分の気持ちをどうしたらいいかわからなく なります。
気持ちも彼らの一部です。「そんな気持ちになっても当然だよ」と答えた後で、「でも、たくさんの人が協力して、安全な状態になるから ね」と安心感と他者への感謝の気持ちを表してください。こういうときに、大人が感謝の気持ちをもっていることを子どもが知るのは勇気をもてます。   

㈫できるだけ不必要な変化をしないように。つまり日常の習慣、夕飯前は手をあわせて「いただきます」ではじめるとか、寝る前の儀式的なもの などできる範囲で「いつもどおり」を大事にしてあげてください。以前に好きだった毛布やぬいぐるみなどもそばにおいてあげましょう。排泄や、食事、睡眠時 に赤ちゃんがえりをすることがあるかもしれませんが、怒ったりせず、そのまま受け入れてあげましょう。もちろん、普段していたお手伝いは無理のない範囲でお願いし、日常習慣を守りましょう。  

㈬被災地にいない場合、「今、あなたは家族と一緒に安全であるのよ」ということもきちんと伝えてください。  

㈭子どもが疑問に思ってないことや、聞いてきたことではないことまで、詳細に語る必要はありません。子どもの年齢にあわせて、言葉を選んで ください。また、情報の解釈を押し付けたり、偏った情報や少ない情報で不安を煽ったりしないようにしましょう。大人のほうが不安で、話してしまう ことがあります。大人が柔らかい心をもつことを意識しておきましょう。

㈮また、テレビの被災地の映像に長時間さらさないようにしてください。こんな時期にと思われるかもしれませんが、アニメやビデオを見る機会 を与えてください。これは大人にも大切なことです。「選択できること」というのがこういう事態では大切です。この番組しか見ないと決め付けないように。   

㈯こういう試練にあったからといって全員がPTSDになるわけではありません。また、心の傷は必ず乗り越えていけます。大人のほうが自分の ことを大切にすることです。大人も違う番組をみたり、テレビをしばらく切ったりするようにします。  

㉀不安はいらいらや軽い興奮状態を引き起こします。「何かしないと」という思いも強め、必要のない行動をして結局体が疲れたりします。 不安であるときこそ「あわてない」「ゆっくりと」と大人が自分に声をかけ、少しでも横になったりして休む時間をつくるようにしてください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以上です。

2011年3月15日火曜日

ご無事で・・・

件の俳優仲間のご家族の安否が確認されたそうです。
小ブログ、ツイッターを介してご協力お心配り頂いたみなさまに感謝いたします。

+++++++++++++++++++++++++

僕もひとまず安心しました。

ただ他にも安否確認ができていない知人がいます。

今後も被災された方々のご無事と
亡くなった方々のご冥福をお祈りします。


ツイッターにも投げましたが

まず自分自身の面倒をしっかりと見続ける
それがいずれ(すでに今も)する手助けの質の高さにも通じる
自分も他人も決して非難せず寛容なこころ持ちで
特に飲酒の習慣のある人が側にいる場合は(自分なら自分を)注意深く見守る。

そう、自分自身に言い聞かせています。


「ある行動をしないというのも、するというのに負けない行動である」
(脳とそのメカニズム サー・チャールズ・シェリントン)


ご無事で・・・
大なり小なり助け合っていきましょう。

倉持一裕

2011年3月11日金曜日

電気ポット

長年親しんだ電気ポットの位置変更。
倅の好奇心が家のレイアウトを変えていく。
…自然な流れ。

2011年3月9日水曜日

創造的に生きる

「あー」    呼びかける
「まんまー」  雄叫びを挙げる
「えあー」   突進する

・・・稽古休みの日の朝

「へえへえ」  戯れつく
「んーんー」  命令する
「あーん」   不平を言う

・・・仕方なく起きて新聞とコーヒー

「んばー」   嫌悪する
「うー」    新聞を破る

・・・前兆なく

「ん”ーん”ー」 排便する

・・・オムツ替え

「やあああ」  抵抗する
「はんはん」  助けを求める
「んはーんは」 逃亡する

・・・頭をぶつけた

「あああー」  悲嘆する

・・・放っておくと妙に静かに

「・・・」   探検する
「・・・」   発見する
「・・・」   対象とひとつになる

・・・突如!

「まままま」  愚図る
「・・・」   乳を飲む
「zzz......」   眠りにつく

まだ午前中・・・

2011年3月8日火曜日

創造のためにすること

思う
思った方向にわたしを委ねる


思う
思うと流れができる
その流れにわたしを乗せる


思う
思うのは頭だから(・・・異議ある方は語り合おう)
その頭から順番に
思いの
流れの
方向に
わたしを運ぶ
わたしのからだもたましひも


思う
そっちに行く

2011年3月7日月曜日

創造の前にすること

厚顔でハッタリをかましても
狂ってみせたり
乱れてみたりしても
石になってひたすら耐え忍んでも
それはどれも
その場しのぎでしかない
どんなに大きな声で叫んでも
どんなに背筋を伸ばしても
どんなに夢に浸っても
そこにないものは…ない
無いものをあるように見せるのは
もう本当にやめよう
無いものをあると思いこむのは
マジいい加減やめよう
大丈夫なんだから
だって、あるんだから
なにも無いってことはないんだから
実は…山のようにあるんだから
それはすぐに現れる
ほんの少し…
ほんの少し
繊細になれば

2011年3月6日日曜日

啓蟄

「今日は啓蟄なのね。虫サン、も〜ぞもぞ♪」

せがれのオムツを変えながら
いつものように、かみさんが即興で歌いだす。

今日の天声人語も啓蟄の話題
「地中に眠っていた多彩な命がうごめき出す。」

〈穴を出る蛇を見て居る鴉かな〉
虚子の句が紹介されて…

う〜む
しばし沈思…瞑想

〈穴を出る僕を見て居る僕自身〉
 …こんなのが出てきた。

2011年3月5日土曜日

「春だから」


今、この設定でこういうポスターが成立するのは

…やっぱ、この子だろうなあ。

「カズさんガッキー好きなの?」

…否定はしません♪

「どんなとこが好きなの?」

自分でボートを漕ぐところ…♪

しばらく毎日、このポスターを拝めます。

乗り換え@国会議事堂前

Kazu〓Kuramochi〓

2011年3月4日金曜日

智恵子抄

稽古場へ向かういつもの道。一年ぶりに通ったら空がこんなに狭くなっていた。
Kazu〓Kuramochi〓

2011年3月3日木曜日

授乳

妻がせがれに授乳している
夢中でおっぱいにしゃぶりつくせがれだが
少しでも妻が意識を別の場所へ向けると
「んーんー」と文句を言う

テレビのニュースを見たり
ちょっと携帯でメールを送ったり
忙しくてなかなかできないことを
授乳の時間を使ってしたい妻の気持ちもわかる

でも、おっぱいを夢中で飲みながら
同時にせがれの意識は
自分と母親とを含めた周囲全体へ向けられている
注意の統一体・・・理想的な集中状態

そもそも授乳という行為は
乳を授け授かるというだけでなく
本当に共に存在するということなのかもしれない
ほんの10ヶ月ほど前まで完全にそうであったように

テレビもメールもあきらめて
妻がせがれに自分全部を授けた瞬間
その周辺は急に鎮まり
二人の存在は神々しさを得る

それを僕はまもとに見ることができなくて
ここにいていいのかもわからなくて
でも動くこともできなくて
ちょっと背中を丸める

2011年2月28日月曜日

ミキハウスを抱っこするユニクロ

2月28日友引 Bloggerでのブログを始めます。
よろしくおねがいします。

++++++++++++++++++++++

来月から始まる舞台「愛の讃歌」の稽古を前に
27日はアレクサンダーテクニークの休学前の最後のレッスンだった。
先生は芹沢紀美子さん ・・・
この学校に通う前から個人レッスンを受けていた僕の最初のAT教師。

「私が自分をちゃんと使えてれば、私が何をやろうと大丈夫」

自分をちゃんと使うってホント難しいけれど
それさえ出来てれば、何をやってもきっとうまくいく。
とても勇気づけられたひと言。

++++++++++++++++++++++

帰るとせがれのお出迎え。
最近は驚くべきスピードでハイハイ移動をし
つかまり立ちも始まって、かなりいたずら坊主と化している。
オムツ替えなどはじっとしているためしがない。
っていうか掴まえておくことすらできず
こちらも大人げなく本気で、プロレスのフォールの如く肩を押さえ込む
それでも絶対に諦めることなく泣きわめきながら抵抗を続け
解放されるとそれまでのことはすっかり忘れ
次の好奇心に突進していく。
恐るべし・・・。

先日せがれと同じくらいの女の子と会った。
本当におとなしくて可愛らしい
オトコとオンナはこうも違うものかと驚いた。

今夜

僕らの夕食中は
僕のバッグの中からボールペンを抜き出すが
これは危ないと女房に取り上げられ
次に眼鏡ケースをとりだしカチャカチャやってるうちに
夢中になって周りが見えず頭をぶつけ泣き出し
落ちついたと思ったら
今度は財布を取り出し
中身を物色・・・
思わず言ってやった
「おまえはオレより金持ってるだろう!?」

++++++++++++++++++++++

自分や自分のすることに対して信じることさえいらないくらいです
自分を行動に駆り立てる衝動に対してオープンでいさえすればいいのです
(マーサ・グラハムの手紙より)

他のどんな行動もそうなんだろうけれど
こんなブログの書き込みひとつからも
keep the channel openでいたいと思う。
・・・せがれから学ぶオヤジです。

KAZU on the web...log.
第2ステージ始めます。
こちらもどうぞご贔屓にお願いします。m(_ _)m

Kazu Jr.

倅素早く財布を抜き取り中身を物色の絵
Kazu〓Kuramochi〓