10月11日浜松に向かうバスの中で長々とツイートしてたやつを
ここにまとめておきます。
ただ、えらくテンションが高くて
結局はただ吐き出したかったんだろうって今読むと思います。
でも、そういうことにブレーキをかけずOKにしていきたいと最近は思っています。
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ここ数年、私の開く演技レッスンの中で、演技者が演技を終えるや否や出来るだけ質問するようにしてきたことがある。それは「演技直前にどんなプランを立てた?」「演技中に何を考えていた?」気になったとこがあれば「あの瞬間何を考えた?」という質問だ。
興味深いことに、演者の演技が彼彼女自身が考えたことと異なったものになった試しが殆どない。時折何を考えていたか覚えていないとか、何も考えなかったとか言ったり、嘘を言ったりする演者もいるがよくよくインタビューするとやはり結果になるべく思考をしている。
「思考は実現する」とはよく言ったもので、今ではそれを周知の事実と実感し実際に行動・実現している人も少なくないと思うが、私の今の実感としては「思考は存在そのもの」なんだなあ〜と心底思っている。
アクターとしてはアクション則ち行動することが仕事だが、その質を高めるにはアクションを練習するより存在の質を高めることのほうが圧倒的に有効だと昨今の私は思っている。I see him.であればseeを稽古するのでなくIを稽古するということだ。
ということは思考が存在なのだから、行動の質を高めるには思考の質を高めればよいことになる。よく何年やっても上手くならないとか、成長しないとか言って悩まれる方がいるが考え方が変わらずに変容していくことはあり得ないとやはり思う。
この辺も今では常識なのか、まあ驚くほど何をどう考えるかをテーマにしたセミナーやワークショップが昨今は山積している。さて…では何故役者はからだを研くのか?思想が表現を変えるならそれだけ研けばいいではないか!?
一時期の私は、からだが固かったり姿勢が悪かったりすると思っていることがそのまま演技に現れづらい。だからからだを解放する必要があるんだ。…と考えていた。しかしこれはどうも違うらしいと思うようになった。
それは先に書いた、ほぼ100%思った通りの演技が実現するという統計的事実に気づいてからだ。どんなにからだが固くても姿勢の悪い人でも、その結果を気に入っているかどうかは別にして、考えた通りの結果を見事にそのまま演技でみせている。
指導と実演の経験からどういう思考をしていけば所謂魅力的に役を演じられるか、その方向性と過程の踏み方はだんだんわかってきた…自分がそれを十分に出来るかは別ですが…(^^;)。だがどうしてもその方向性でモノを考えることができない…しない人がいる。
したくない人はよいとして望んでいるのに上手くいかない人を観察すると、そこにはからだに対する意識の低さやからだに敬意を払わず乱雑に扱うといった傾向が見えてきた。すなわちからだの状態が思考に限界を作ってしまっているのではないか!?ということだ。
ここで気をつけたいのが、ならばからだを鍛えようという安易な発想やからだに不具合があると思考も制限されるのかという誤解だ。それは多分に間違いだと私は思う。大切なのはからだに敬意を払うことでありもう少し突き詰めるとその扱い方なのだろうと思う。
からだの可能性が思考の可能性を拡げる。望ましい思考が望ましい行動…パフォーマンスを導く。結果、望ましい未来がやってくる。だから役者はからだを研く のです。さあ皆さん体操しましょう!ただし鍛えるためでも軟らかくするためでもなく、からだに敬意を払い上手に扱うために。
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