目的とか目標とかいう概念があるけど
わたしはこれらがなんか好きじゃない
ないものを得るために生きるとか
あるものを守るために生きるとか
そんなのって必要なんだろうか
そもそも「~するため」とか「~のためとか」
生きるとはそういうものなのだろうか
ないものを得るためでは、今を否定してしまうだろう
あるものを守るためでは、創造的な生き方から離れてしまうだろう
おお、なるほど…
ってことは、少なくともわたしは
今を肯定しながら、創造的に生きたいんだ
そして目標ということばを使うと全身的でなくなるようだ
…首と頭、そして顔の一部が収縮する感じがする
代わりに使うとすれば直観…かな
直観ならわたし全部でできる
今を肯定するっていうのは
イエスって言うことだからシンプルで具体的で好い
じゃあ、創造的に生きるってことをもう少し噛み砕いてみよう
時間でいうなら、今と未来の間に隙間がないことだ
(時間が未来へ進むことは逆らえないしそれは受け容れる)
では隙間のないその次の瞬間に向かう際
過去の習慣でなく
今までにない新しいわたしで動きが起こる
そう、起こすのではない起こるんだ
それが直観による選択……
うむむむむ
待てよ、そうすると直観も選択もわたしのものではないな〜
わたしではないな〜
なんだろう?
自然?潜在?霊…スピリット?
そうかあ、まだ確信は持てないが
わたしは少なくともわたしでないものに衝き動かされて生きたいと
それが心地よいと思っているらしい
いやこれもことばが足りない
わたしが認識しているものではないがたしかにわたしであるもの
で創造的に生きたいのだ
それはたぶん認識のあるわたしは不安でしようがないと思うけど(笑)
うん、そしてそれは間違いなくわたしにとっての演じてる時間
他者が喜ぶか否かはさておきわたしが演じる喜びを感じてる時と
同じと言ってもいいくらいとてもよく似ている
…誤解して欲しくないけど
役の人生を生きてさまざまな感情を体験することが喜びなのであって
演じながら演じる喜びを感じているわけではない
(尻切れだけど今日はここまで)