Who is KAZU?

自分の写真
ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング

2011年12月30日金曜日

いつもこれの繰り返しだ

このまま前に進めばそれは獲得できる

すでに挑戦を済まし、勝利を獲得し
自分にはその資格と価値があることも証明されている

その時まで、ほんの少しだけ時間があって
あといくつかの手順を踏めばそれは獲得できる

で、ここにきて起こる不安・・・

前進をのぞみ
成長をのぞみ
発展をのぞみ
幸せをのぞんでいるのに

そこに到達する直前に現れるおそれ

誰かが云ってた
人は不幸せになることより
幸せになってしまうことのほうが怖いんだって

受けとればいい
受けとるだけでいい

変化は自然に起きている
変化は自然なことだ
その流れに乗っていればいい
いや、逆らわないだけでいい
拒まなければそれでいい

これまでだって
全部うまくいってたじゃないか
俺がビビらなきゃ
なんにも問題なかったじゃないか
みんな当たり前だと思っていたじゃないか

誰も俺を試してなんかいない
そうなる・・・
そうなることは誰のものでもない
ただ俺がそうなる・・・
それは誰も傷つけない
そうなる・・・
それだけなんだよ

2011年12月28日水曜日

「対応する」っていう落とし穴

現場によって演技を変える、というアイデアは間違っていないか?

これまでにあまり経験したことのないある特殊な作品に出演した際
「この場面ではこういう演技が良い」という考えを持ち
いつもとちょっと違うアプローチの演技をした
結果後に映像を見ると作品に合っていない演技をしている
・・・ように私には見えた

映像作品は監督さんのもの
OKはいろんな理由で出しているだろうし
監督さんへの信頼はその時も今も充分にある
もちろん他者からの評価は問題ではない
・・・ぶっちゃけ概ね好評だった
あくまで自己の探求についての考察だ

良かれと思って演じた演技がその狙いと離れている
現場に合わせる、作品に演技を合わせる
・・・のではない
演技は作品に結果的に合っていくものなのだ
こちらが決め込み固めていなければ

現時点で自分が理解しているATの手の使い方と同じだ
まずはこちらの在り方の質が問われる
そして・・・それだけでいい

どうも、状況を見たり相手の立場に立ったりという考えが先走り
結果本当に状況や相手を捉えられていないことがまだまだ起こる

「うまく現場のノリに対応した」とか
「作品に合わせて演技を変えた」とか
そういう言葉をこれ見よがしに言い出した時はかなり危険だ
大抵が実は全体的でなく「頭」で芝居をしている

どんな状況であろうが
どんな作品であろうが
私が役を頂いて演じる以上
まず私が私でいることが必須だ
私がぶれていたら私のすることはすべて・・・
より一層ぶれる

状況に足許を掬われるな
私が私でいさえすれば
どんな状況でも
私は自在に変化できる

演技を変えるな
私の協調作用が良ければ
演技は自然に変わり
自ずと作品に適応する

二番手や裏技などはない
自らが最も信じられる最高の理想のやり方で
妥協なく道を歩く
もうそれが出来る
もうそれをしていい

そうしていかなくちゃ
・・・死ぬとき後悔しないために

2011年12月8日木曜日

おもちゃのピアノ

最近時折せがれのおもちゃのミニピアノを弾くようになりました

いつも即興で
でもなんらかのメロディーがあって
しかも両手で

たまに、おっ!これ結構好くないか?
なんて思う曲も出来てくるのですが
もう二度と弾けません

すこしこころが動きます
・・・これを残しておきたい
昔の僕だったら残そうとしたり
曲を形作ろうとしたりしたかもしれません

でもそれは今の僕はしません
そんなことをしたら
今度また気まぐれに弾く曲が
つまらなくなってしまいそうだから

いつも新しい・・・
それは僕の最大の興味あるテーマです
舞台演技なんていう
何度も何度も同じことを言ったりしたりするのが仕事だからでしょうか
それをいつもいつも新しいことにするのが
この仕事の一番面白いところです

残そうとすること
繰り返そうとすること
なぞろうとすること
それはもう新しくなくて
物騒な言い方ですけど
それはもう僕にとっては<死>と同じです

「初心」ってことばがありますが
僕はこれを今この瞬間の自分の心遣いの理想としています
過去の「初心」に戻るのではなく
いつも「初心」でありたい
いつも新しいことにしたいのです

もちろん僕の弾くピアノは
結局はどっかで聞いたことのあるようなメロディーになります
でもそれは何かを
なぞったり、繰り返したりしたものではありません
だからその時の僕は創造性のなかにいて
楽しくワクワクしながら遊んでいられます

いつか自分が弾いていたものと同じ曲を
いつか自然と再び弾きはじめるかもしれません
そのときはそれが自然に残るものになる時でしょうか・・・

だとしても
それは決して僕が残したものではないし
そもそも僕のものでもないのだと思います

2011年12月1日木曜日

今年の11月を終えて

いつもの易では
11月の今月はあまり好くなく
でしゃばらずに目上の人の云うことをよく聞いて
おとなしくしているように
そう云われていました。

わたしにとって11月は正直好ましい月ではありません。
父の亡くなった月であることだけでなく
阿佐ヶ谷で13年一人暮らしをしていた時は
毎年といっていいほど気持ちがダウンして
引きこもりになるのが11月でした。

だからサイコロ振ってみたときは
まあ、やっぱりそういうことね・・・
そんな感じでした。

でも、終わってみたら
なんでしょう・・・
とっても幸せな一ヶ月だったなあと思います。

からだ、こころ(思考)、仕事、そしてわたしを取り巻く状況が
どんどん望ましい方向へ変容していきました。
望んでいた方向かといえば決してそうではなく
想定外のこともたくさんあったのですが
でも、結局はそれは向きあってみれば望ましい方向でした。

もちろんいくつかのマイナスもありました。
でもそれはあっという間にわたしの前を通り過ぎ
結果的には、なんでもないこと・・・になっていました。

もしかしたら易が外れていたわけではなかったかもしれません
でしゃばりたくなったときは抑制したし
ちょっとした局面では目上の人の云う通りにしてうまくいくこともありました
端から見て目立つってこともなかったと思います
・・・そのアドバイスを守ったおかげで得た結果かもしれません。

もうこれからの11月は大丈夫だな。
それくらい自信も持てた気がします。
去年父の七回忌もすんでいるし
20代30代の頃と比べれば少しは知恵もついて
ちょっとは上手に生きられるようになった
・・・そう思うことにします。

本当に今年の11月は
ずっと暖かい日だまりのなかにいるようで
何かに温かく見守られているようで
しあわせでした。