Who is KAZU?

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ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング

2012年2月3日金曜日

2012、一月のつぶやきから

1/7
ease(英語、特に名詞として)って好いことばだなあ。今の自分にピタッとくる。じ〜んとしみてくる。しばらくマイ・テーマにしよう!

1/8
「…したい」と思ったことやそう思って始めたことは、自分にそれをする能力があるかとか資格があるかとかを考えて不安になったことはこれまで一度もない。 さすればそのことをする能力や資格を疑う自分がいたら、それは本当は「…したい」ことではないのではないだろうか。なんて思う。

私の場合、自分が発信することを一番聞かせたい相手は自分です。だから他人様の発信もまずこの人はこれを自分自身に聞かせたいのだろう…と思います。その上で、わたしが受け取りたいことがあれば有難く頂戴します。…ちなみに、この発信もそうです。

今日は春に転居する先のリフォームについて協力してくれる叔父さんを訪ね色々話を聞く。自分が無知な世界の話でも前向きに誠実にそして気楽に思考行動していこう。これは自分が経験すべくしてしていること。出来るだけ楽しんでいこう。ましてや自分がこれから生活する家のことだもんね。

1/11
やんちゃが始まった間もなく一歳八ヶ月の倅。普段倅に甘めの妻。だんだん様子を見て俺と妻と態度を変えてくる倅。ちょっと舐められ出した感じの妻。なかなか寝ない上にコップの水をこぼした倅。珍しくブチ切れた妻。面白がってる俺。妻の本気にあっという間に眠りについた倅。こいつは世渡り上手か?

条件のない愛...あれ?そもそも条件がないから愛と言えるんだよな。

1/12
「私がやりたいことをする」つまるところこれなんだなあ。制限はあっていい、あったほうが面白い?でもその制限のなかであくまで私がやりたいことをする。 人の望み?応えたいなら応える。でもそれはあくまでも「私がしたいことだからする」んだよ。私の人生の主役を私以外にしては駄目だ、絶対に。

1/15
安納いも蒸かしておやつ。甘くて美味い。金運上がりそうな色もまた好し。

1/16
今では一生懸命は間違いでないどころか一所懸命が誤りのように思われることさえある。個人的な印象としては一生懸命は気分的で雰囲気でしかなく自己陶酔的だ。一所懸命は具体的で対象が明確かつ行動的な印象を持つ。だから僕は一所懸命が好きだ。正誤を問うと了見が狭まる、創造的に好みに向かう。

1/17
朝日ジュニアシリーズ「週刊マンガ世界の偉人」にはエジソン、ヘレンケラーらと並んでMJやジョブズまで入ってる。ジョブズは喪もあけてないのに早くないか?なんて俺は思ってしまうのだが…。

1/18
今朝また暴走自転車のヒヤリハットを目撃した。しかもまたヘッドホン♪認知判断操作の認知を鈍らすヘッドホンは飲酒運転と同等に危険だ。国がやらないなら条令からでもいいヘッドホン自転車運転禁止を期待する。

1/19
初めてiPhoneで音楽を聞きました。何だか音の感じがおかしいけどフルボリュームにしたら妙にリアルな感じでさすがAppleと思ってました。で、あれっ!?と思ったらヘッドホンジャックが外れてました。本日昼頃駒込辺り、山手線車中でシナトラをガンガン♪鳴らしてたのは私ですm(_ _)m

思わずクビをすくめてペコペコして「スミマセン」って言ったけど、誰も、一瞥もくれなかった。頬筋ピクリともしなかった。・・・やっぱ東京ってコワい。。。

1/20
払った分だけ取り返すって考え方はしないなあ。・・・払うか払わないかは相当吟味して考えるけど。払ったら後は出来るだけ自分の心は自由でいたいなあ。・・・もちろんお金の話です。

1/21
「携帯なんて使えれば何でもいい」とこれまで本当に壊れるまで使い倒してきた妻が僕のiPhoneを見て「これイイわね。私も欲しいなあ」だって!あまりイメージできないかもしれませんが、妻のこの発言は僕にとって本当に驚きです。こういう奇跡が起こる日常が僕は好きです。やっぱジョブズ凄い!?

1/22
好きに理由はない/嫌いに謂れはあるだろう/信じるに訳は要る?/不信に理由は必要だよな/嫌悪も不 信もきっと事情があってのこと/ってことは元々はそうではなかったってこと?/どうでもよかったってことも含めて/で不思議なのは人って好きや信じる訳を 言う/だけじゃなくそうだと決めたりする/

iPhoneになると、携帯メールは「メッセージ」という扱いになるんだなあ。いずれにしても、スマホでのメールは文章が極端に簡素化される。一見素っ気なく、でも的確に要点を備えたメールに憧れていたわたしはスマホの打ち込み辛さはそう云う意味で好い練習になる。

Don't think, just touch her!

1/24
今日は仕事で裃を着ています。妻に写メを送りました。せがれに見せたら、パパ!って言ったよってメールが帰って来ました。なんだか嬉しかったです。

1/25
天然酵母の食パン。昨日届いたやつ今朝頂く。美味しい。味と薫りが子どもの頃を思いださせる。感覚の記憶って偉大。

ギャラなんかどうでもいいから、自分はこの役で…この仕事でめっちゃ試したいことがあってワクワクしてる。そしてこの役を演じ終えた時に、自分は絶対に以前より成長してる。自らの成長に専心したら緊張や他人の目は消えるよ。そんで時折厳しいけど面白くて 楽しくて仕方がない本当の探究が始まるんだ。

1/26
この道のり(やり方)で行けばいつかはあそこまで必ず到達できるなっていう確信は、でも到達までどんだけかかるかわかんないっていう不安を凌ぐ。目標に向けて全体像が掴めなかったり、初体験だったり、情報が少なかったりする時は信じられるやり方で進むのが結局ははやい。っつうか楽しく前進できる。

で、大体が自分の外に信じられるやり方を探すんだけど、実はそれは自分の中にすでにある。…でも、それが信じられなくてもっといいやり方があるんじゃないかって外に探しに行っちゃう。…信じればすべてすでにある。おじさんやっとこさ実感し始めました。

1/27
麦とホップ間違い探し...仲間さんがボブになってるとか、ペロッと舌を出してるとか、酔っ払っちゃってほっぺた赤くなっちゃってるとか...やってくれないかなぁ

「教えることが好きです」そう言うと、俗にいう<教えたがり>のイメージや<お前に一体何が教えられるんだ⁈>っていう邪気が立ちこめる。僕にとって教えるってそういう行為じゃあないんだけど、でも今は「教える」ってことばしかしっくりくるものがないんだ。

1/28
ひと月ぶりに家族で整体。学び多き有意義な時間。子どもに厳しくすること、すなわち親が自分を厳しく律すること。整体師の先生のお言葉に納得。子どもに伝わる情報っていうのは、言語じゃなくて行為そのものなんだろうな。

1/29
今日のジャグリングWSを振り返る。なぜ球を投げ続けることをやめてしまうのか。あれは成功してしまうことへの恐れだと自覚する。未知の領域に行けるのに行くのを自ら止める。特に左腕がビビりだす。そして右腕が頑張る。

ただ続ける回数を増やすことを望むと無意識に「いつもの体勢に入る」。左脚を引いて重心を置き右半身が前に出る半身となる。それに気づいて意識的に右脚を引き逆の半身になると全てが新し過ぎて自分が機能しない。

そして調子が出てきた頃に生まれるのが胸椎での頑張り。要は胸を張りオラ!オラ!と自分の幅を広げ過 ぎてしまう。大劇場演技の癖?は一つの解釈。共生共鳴を望んでいるのに、森の中で一本だけ巨大化した大木なんて。根本には自分への不信感か?呼吸と共に頭 を含めた私全体を取り戻す。体調い心鎮まる。

最後に3時間半共に頑張った参加者の前で最高記録のパフォーマンスを得る。ちっぽけではあるが確かな自分への信頼、そしてその場への信頼が球を投げ続けさせた。いつまでも出来そうな気もしたけど、皆がワッと沸いてくれた時に一気に満足感を得て自分で球を収めた。成功を怖れる収め方とは全く違った。

信頼があり、抑制を利かせながら、すべき行いを成したら、結果的に人が喜んでくれた。僕の思うところの理想的なパフォーマンスの過程です。素晴らしい学びでした。ジャグリングとハッシーとまゆみちゃんと参加者の皆さんに感謝!

1/30
今朝起きてせがれにジャグリング見せたら絶叫して喜んでくれました...何よりです。本で読んだらあれはカスケードっていう技なんだなあ。

土曜日の整体と日曜日のジャグリングを経て、いつもの体操を全面的に変えたくなった。そもそもメニューなんてものはあってないようなものだけど、何だろう、新たなねらいが見えてきたってことかな。妻がやってるおっぱい体操はとても参考になる。

「お父さんが妊娠したら、絶対におっぱいトラブルになりますね」って整体師の先生に言われた私。どう返答してよいか悩みましたが仕方ないから「すでに妊娠してます」ってお腹さするしかできませんでした。でも男性の乳がんもあり得ることを学びました。

昨日のハッシーのリードで一番凄いのは、初めは投げた玉を取らずに落とさせたこと。本当に取りたくなったら取ってって言ってくれたこと。則ち「落としてはいけない、取らなくてはいけない」が無くなり、私達の心にスペースが出来る。そのスペースに「取りたい」って望みが流れ込んだんだ。

「しなければならない」を無くし、「したい」にすることでパフォーマンスの向上を図るのはわかる。でも、「しなければならない」が強い時は、「しなくてよ い」とハッキリ告げられること、「しない」と決めてしないことを実行してみることは、とっても意味があるプロセスだと思った。

マラソンやり始めた時に決めたことがある。「走りたくなるまでは決して走らず歩きつづける」…このルールは走り込みの時期にも大会でも採用し続けた。マラソンで望む結果が得られたのは、このルールのお陰だと思っています。昨日もあのルールを自分に用いたことで当初の目標を達成できたと思っています。

1/31
レッスンしている時の僕は比較的、男には優しく女には厳しいような気がする。
突然自分が「ぼっすぃ」になる。もちろんそういう自分に気づいているし、本当に大切なことを伝える時だと自覚している。でも、「ぼっすぃ」になってる自分を非難するもう一人の自分が見える。

よく考えるとレッスンに限ったことではないかもしれない。それは相手がそうされるのを求めてるんだって考え方もあるけど好かない。やっぱりそんな自分と関わりを続けてくれる方々に感謝したい…そういうことなんだな〜。

一月が終わった。元旦には考えもしなかったこと、そして嬉しくもドキドキすることが既に幾つか起こった。あ〜、でもどっかで心の底で望んでいたことなんだろうかなあ。で、31日になんつうか一段ステージの高いアクションも起きた。二月どうなるんだ?春には?今年俺はどうなるんだ?全然読めないー!