Who is KAZU?

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ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング

2011年4月30日土曜日

おもう

「芝居におもいなんか要らねぇんだよ!
おもいを込めるなんてのは早い話が独りよがりだっ。
役者はおもうってことをするんだ」

「その、おもうのとおもいを込めるってのは違うんすか?」

「全然違うよ。お前、違いわかんねぇ?」

「いや、わかんないことないすけど…。確かにおもいは重たくなるかなぁ~」

「そんな言葉遊びじゃなくてよ。
ただおもうんだよ
おもいを込めるんじゃなくておもうの! 
何をおもうかはなんだっていいんだけどよ
っつうか選べるんだけどよ!
とにかく…おもうんだよ」

「でも思ってるだけじゃ動けないじゃないですか」

「そうかなあ」

「そうでしょ」

「たぶんねえ〜それはね〜
・・・本当におもってるとはいえないのだよ。
本当におもったら・・・人は自然に動くのだよ」

「その、自然に・・・てのが一番難しいんですけど」

「ほらほら、それ!君は今、君が自分を自然に動かす、って考えただろ?」

「えっ!?あっ!」

「なっ!することは自然に自分を動かすことではなく・・・」

「本当に、何かをおもうこと!」

「それがわかればたいしたものよ。は〜いよく勉強したね。今日はここまで!」

「ありやとーざぁしたーm(_ _)m」

2011年4月28日木曜日

「俺もその道とおったよ」

別に俺が先に行ってるとか
上を行ってるとか
そういうんじゃなくて

でも、「俺もその道とおったよ」って思う時って
・・・すごく嬉しい

同じ風景を見てるうれしさ
同胞の感覚

でも、「こうしたらいいよ」って
そういうことは云えない

だって本当にそれがいいとは限らないから

だから
見てたら見てるだけ

・・・でも興味を持って見てる

そして、相談を受けたら
「俺もその道とおったよ」っていう
・・・たぶん嬉しそうな顔をして

そしてその後、たぶんやっぱり見てる

どうすんだろう?
どうやって通るんだろう?
どこへ行くんだろう?
・・・興味津々

だって
その道を
また
俺がとおるかもしれないから

イヒヒヒヒ

2011年4月24日日曜日

退屈は敵

役を入れたりはしないし
声を変えたりはしない

わたしがそこで然るべきのぞみを持てば役は入るし

わたしがそこにある流れに身を任せれば声は変わる

わたしも時おり口にしてしまっていたが

役を入れる…とか
声を変える…とか
そういうことばはあまり使いたくない

役が入る…とか
声が変わる…とか
そういうことばで話す場合と
世界の見方に大きな隔たりがある

これはもしかしたら
わたしの状況対応型的な性質から生まれる思考かもしれないけど

いずれにしても
役を入れる…とか
声を変える…とか
そういう考え方をしていっても
わたしの創造性はどんどん失われていくだけだ

わたしは発見がしたいのだ
わたしは驚きたいのだ
わたしは変容していきたいのだ

望み通りに
思い通りに
イメージ通りに
ものごとが進むほど
わたしにとって退屈なことはない

そして退屈は最大の敵なのである

2011年4月23日土曜日

成功の秘訣

成功の秘訣は
これだ!
わかった!
と一筋の光が見えた時に
そこに留まらないことだ
それで固めようとしないことだ

誤解を恐れずに云えば
疑い続けることだ
まだ先があるんじゃないか
もっとよいところがあるんじゃないか
と欲し続けることだ

たしかにひとつのステージを越えたときは
とてもうれしい
思わずそこに酔いたくなる
それに執着しはじめる
でもそれはいけない

存分に味わうのはいい
でも酔っちゃいけない
ひととき祝うのはいい
でも手放さなければならない

泣くなら泣いてでも
さよならしなくては次はない
どころか
そこにいたらあっという間に
錆びる
腐る

前に進めばすぐにわかる
あの程度で喜んでいたんだと
あそこで止まっていたらと思うとゾッとする

成功の秘訣は疑うことだ
欲深いことだ
別れを惜しまないことだ

前に進むことだ

2011年4月22日金曜日

「いずれまた」

「いずれまた」それも「近いうちに」やるつもりだったことがある
過去にやってて、楽しかったし、たくさん学べたこと
でも、今はやっていないこと
ちょっとしたことでやめてしまっていたこと

これまでも数回、ふっと
「また、やるか!?」って思っていたが
その時ほかに一生懸命やっていたことがあって
(・・・それは今も続いている)
それに「一段落けりをつけたら」って自分で思っていた

それをまたやらない理由は見事に整っていた
でも、再開する目処は立っていなかった

するとなんと
先日わたしの舞台を初めて観てくれた人からそれを勧められた
唯我独尊のわたしがふっとその勧めに揺れた
今やらない理由は見事に整っていた・・・はず
たぶんわたしに潜在する内なる声を代わりに聞いて伝えてくれたんだろう
↑・・・この考え方が唯我独尊(笑)
う〜ん
ボディとマインドまでは何とかなっても
ソウルは他人様のおちからを借りないと読めねえなあ

「一段落けりをつけた」かったことに、けりがついたのか
いや、たぶん「あれをまた」やることが
今一生懸命やっていることをより進展させていくのだろうか

っつうか、そういうことごちゃごちゃ言わないで
いいからさっさとやれってことだわな
だってやりたがってるんだから・・・このわたしが

で、あらためてよく考えてみると
「いずれまた」どころか
早急に取り組まなければならない理由が
次から次へと出てきた
あげくに「けりをつけたい」などと思っていたことが
すでに目標を達成していることにも気づいた

すみません・・・楽してました m(_ _)m

2011年4月20日水曜日

今の俺にとって その2

左半身は 過去   右半身は 未来

俺の中心は   今

左半身は オンナ  右半身は オトコ
左半身は 陰    右半身は 陽
左半身は 空    右半身は 密
左半身は 受    右半身は 授
左半身は 守    右半身は 攻
左半身は 細    右半身は 太
左半身は 弱    右半身は 強
左半身は 長    右半身は 広
左半身は 大胆   右半身は 繊細
左半身は 無尽   右半身は 無限

まん中は   らせん

2011年4月19日火曜日

今の俺にとって

今の俺にとって

稽古は修行

移動は練習

楽屋は学習

劇場は整体

公演は祭礼

SYMBIONは試験

家庭は保養

睡眠は静養

祈りは鎮魂

・・・すべてが本番

*   *   *

時に・・・追憶

2011年4月17日日曜日

私の場合

しょっちゅうと云うわけではないけれど
数年に一度くらい自分のプレゼンスが大きく揺らぐ

そうなるととてもとてもつらく
自分が立っているだけで精一杯
しばらくの間みじめな気分を引き摺る

多くの場合それは他者との関係から引き起こる
ゆえにそのつらさはその他者によるものと
私によって(一時的に)解釈される

プレゼンスの揺らぎは
若い頃は経験不足でそこを乗り越えるのに相当な時間がかかった
しかしその中から何度か
自分の大きな飛躍と成長につながる経路を辿った成功例から
いつの間にか
こういう危機が来た時に(私の場合は)こうしていくのが賢明だろう
という学習を私はしているように思う

それにつけても自分のプレゼンスが揺らぐわけだから
それは私の人生にとって相当な出来事である
正負にかかわらず大きな
私にとってはとてつもなく大きなエネルギーが動く

わかりやすいところで
それは感情だといってもいい

どうでもいいと
本当にわたしの人生などどうでもいいと思えるならば
そこには感情は起こらないだろう

それはある意味理想ではあるが
実際にはどうしても、どうしても曲げられないものがあり
それが私を傷つけ、やけにさせ、そしてとてつもない怒りへと誘う

しかし怒りの丁点に達したとき
ふと私のなかにみなぎる生命力を感じ
突然にそれは創造的なエネルギーへと変容していく

その時点で私の魂はそれまでいた場所にはもういない
それまでいた場所を超越したところへ移動している
三次元的には何も変わらない
(変えないようにしている)
でも、私はもうそこにはいない

決してそこがそれまでよりも上等なところへ移ったとは思わない
しかし少なくとも
私には生命力がみなぎり
私は創造的になる
私は楽しくなる

プレゼンスの揺らぎ万歳
つらさを引き起こした他者万歳
どうしても曲げられないもの万歳
とてつもない私の怒り・・・万歳

そうやって私は形作られる
そうやって私は単純になっていく

2011年4月15日金曜日

終わった

修復しようとしても
すでに終わっていることってあるものです
少なくとも復旧ということはありえない
そして自分を納得させながら、自分が納得いくスピードで
変わっていくこともすでに難しいくらいに
なにか大きなものが(これもわたしだが)
変容していることもあるのです

もう捨ててしまわないと
あれはすでに捨ててしまったけれど
そしたらどうやら
これも捨ててしまわなければならないみたい
正直哀しいけど
いつまでも持っていたら
わたしが殺られてしまう

ひと思いに涙を流して手放してしまおう
生き残るんじゃなくて生き抜くってこと
もう終わった
あの頃は本当に終わったんだ
少し淋しいけれど
孤独なのは手放しきれないでいる間だけ
友を探している間のひとりぼっちなんて
なんか好い時間だと思う

もう変わった
わたしは変わってしまったんだ
とってもめでたいことじゃないか

2011年4月14日木曜日

誰だぁ?!

ふと、小ブログの国別ページビューを見た。

そこには、日本、アメリカ合衆国、中国、ロシア、マレーシア
の5カ国から僕のブログを見ていると出ていた。

まあ日本はいいとして

アメリカには何人か知り合いいるから見てくれてんだろうなあ。

中国はあいつだろうなあきっと。

ロシアはもしかしたらあいつかなあ。

マレーシア・・・

誰だあああああ!?

・・・コメントしてm(_ _)m

2011年4月13日水曜日

おまじない

いつかどこかの楽屋にて
「ぼくは正しくない…

もちろん間違ってもいない…」

僕を自由にするおまじない

2011年4月11日月曜日

これならいい。

なにかを自分に言いたくて

考えて

考えて

「私に見える世界はいつも明るい」

と手帳に書きこんだ。

・・・でも

いまひとつ

自分の全体に響き渡らない。

そこで再び

ちょっと

考えて

「私はいつも世界を明るく見る」

と書いた。

うん

これならいい。

2011年4月9日土曜日

変容のうねりの中心は?

ATの本格的トレーニングを始めて一年たった今年の初め
僕のことばで云うところの「背骨が通った」実感があり
それからは何となくではあったけど
「僕から見える世界が徐々に(でも確実に)変わっていく」
のを感じていました。

もちろんATの訓練としてはほんの入り口だろうし
それは確かに個人的な自分のなかのことなんですけれど
このたびの大震災にあたり
「その前と後ではもう世界が変わっているんだ」
という類いの発言をいろんなところでよく耳にするので
これは僕の個人的な変容とどう関わっている(いく)のだろう
という問いが僕に生まれていました。

大震災前後と云った場合の「世界」はそのまま「世界」かもしれないし
「日本」かもしれないし
「その人自身から見える世界」かもしれないし
「価値観」みたいなものかもしれない。
人それぞれ(もしかしたら時々で)
「世界」の見方や実感の仕方も違うのだとは思います。

僕も知人からのメールで「大きな変容のうねりを感じるね」と云われ
確かにそのことばには共感していましたが
そのうねりの<中心>はどこにあるんだろうという考えが残ってました。

で、やはり
そのうねりが自分の外に起こっていると考えると
自分にはどうすることも出来ないとてつもなく大きな力を妄想しだし
何かそれに巻き込まれていくような感じがして
とても不安な気持ちになりました。

この視点でものをみてるとろくなことにならないなあ
ヤバいなあ・・・と
したがってその考え方は選択しないことにし
「大きな変容のうねり」はやはり
自分自身に(から)起こっているんだと考えるようにしました。

もともと今年の始めから僕自身が実感していた「世界が変わる」様子が
このたびの震災をきっかけに
よりハッキリしたものになっていくのだろうと
そう思うとしっくりきます。

いくのだろう・・・なんてまるで他人事みたいだけれど
実際はそうではなく
これまで以上に思想を深めひとつひとつの行動を
明確に決心して覚悟を持って選択していきたいと強く望んでるということです。

今ありたい基本的な構えは出来ていて
それが震災で揺らぐことはなかったのだけれど
構えの質をより速く高めて早く次の段階に行きたい
というわずかに「焦った気持ち」があることは自覚しています。

でも焦りは今から離れる原因になりやすいですからね。
今にいてこそよりよい選択もできるわけですから。
だから今は
わずかだけれど確かに感じている焦りに焦点を当てて
それと向きあいながら日々を生きていこうと思います。

2011年4月7日木曜日

男子育成法

男の子を育てる場合は
足許と天井が大切

まず自分の立っている位置を
本当の位置を知ること
足許をまじまじと見ること
思い知ること

ひとたび自信を失ったとしても構わない
自信を失うくらい過小評価しても構わない
その状態を乗り越えると
今の自分がどんだけのものか
冷静に客観視できるようになる

そしたら次は上へ向かう
その際、上は青天井にすること
高く大きく目標を掲げること
そこは無限にしておくこと

蓋をしないで夢を語る
現状を把握してれば恐れは要らなくなる

俺は一番
俺は上の方
俺はまだマシ
これはちと宜しく無い

なぜなら努力をしなくなるから
適度にはするけど
本当の努力をしなくなる

地に脚がついて
上が青天井なら
あとはどんどん行けばいい

ただし・・・
ひとつ注意がある

真っ直ぐ上に行かなくちゃいけないわけじゃない
寄り道したくなったらして構わない
ついでに
休みたくなったら休んでよし

好奇心が創造の原動力

とにかく上は無限なんだから
無限の空は広いんだから
どこへ向かったって同じこと

足許が見えてて
上に天井はない

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

・・・そうやって自らを再教育中のわたし(45才)です

せがれの話じゃありません

2011年4月6日水曜日

僕が見た今日

無事に初日があきました。

出かけにかみさんとせがれに「とっと初日頑張ってね」と見送ってもらいました。

何人かの後輩たちからカズさん初日おめでとうございますとか
クラさん長丁場頑張ってくださいとかメールもらいました。

お世話になった鳶の親方や昔の劇団の後輩からはお花をいただきました。

美輪さんに「あなた今日はキレイなの?」と聞かれ
例によって薄ら笑いを浮かべるだけで何も返せませんでした。

一年ぶりルテ銀舞台上での準備体操はいつになく繊細に深く瞑想しながら気持ちよくできました。

後になって美輪さんに「何とか初日に間に合いました」って返せばよかったと思いました。

今月に入って獲得した長い右手で本番に臨みました。

四度目六年ぶりの再演、本番はすべての出番で初めての演技ができました。

自分で設定した課題をひとつだけミスしたけど愉しく省みられました。

カーテンコールは総立ちでした。

本番だけじゃなく初日の乾杯も初めての居かたをしてる自分に気づきました。

ロビーに集まった関係者皆さんが嬉しそうにしているのが見えました。

見てくれたマネージャーさんは美輪さんに感激し僕には特に注意はありませんでした。

逆に僕が指導を手掛けた何人かの役者の好評を聞くことができました。

帰宅したら今日無事にせがれが体操(産後ヨガ)教室を卒業したことを聞きました。

僕から見えた今日は・・・よい1日でした。

2011年4月4日月曜日

もっと

おまえはそんなに小さくない

もっと

もっと

あなたはそんなサイズじゃない

もっと

もっと

いつもあなたの最もで

いつも最たるおまえで

ほんとにいいもの

ほんとにいいものってその理由がみつけられない

なんだかいいんだけどその理由がわからない

あえていってみてもちがうかんじがする

なぜならそれはほんとにいいから

どこにもなんにもひっかからない

あたりまえのようにそこにある

いいりゆうがみつからないとひとはわるいところをさがしはじめる

さいわいにもわるいとこがみつかるとひとはほっとするけど

みつからないとそれが理由でぜんひていされたりする

ほんとにいいものってほんとに理由がわからない

2011年4月3日日曜日

うっ 恐れが来た

うっ

恐れが来た

僕がしたことが
僕がいったことが
否定されたらどうしよう って恐れ

昨夜書いた最高のラブレターを
投函する前に怖じ気づくのと同じ

僕には思いやりが備わっているだろうか
身勝手じゃないだろか

久しぶりに来たこの恐れ

これをする意味はあるのだろうか
これは正しいことなんだろうか

マーサの手紙が僕を励まし
僕の恐れが僕を押し下げる

これが次に超えるべき新しい自分か

ただ
あの手紙は投函の機を逃してしまった

2011年4月1日金曜日

替え歌

    替え歌

せがれのオムツ替えの際、女房は

マッハ GOGO
マッハ GOGO
マッハ GOGOGO

のメロディで

ちっち こうかん
ちっち こうかん
ちっち もりもりさぁ〜ん

と歌う

倅のオムツ替え抵抗を予測した
高揚感と緊張感のあるその歌い方は
原曲をよくわかった替え歌
・・・と思いきや

聞けば女房は「マッハGOGO」を
・・・知らないらしい!

時おり現れる世代の違い

女房は俺の知らない歌をたくさん知っているが
自分が知らない歌も
・・・知っているらしい