Who is KAZU?

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ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング

2013年1月15日火曜日

2012 九月のつぶやきから


9/2
今日は後半のってしまって、四時間休憩とらずに突っ走った。うーん、タイムマネージメントは下手じゃないと思うけど、もっと鮮やかに、自分で惚れ惚れするくらいに上手くなりたい…w

9/5
昨日の務めはメインがディレクター、加えてワンシーンのみアクター。昨日の調子でディレクターをするならば、両方やることも楽しい。その前にシンプルにディレクターという務めへの好奇心も増幅した。

自分はアクターでティーチャーだ。依頼があればディレクターもするがそれを名乗ってはいない。でも、興味が湧いたからこれらの共通点と相違点を考えてみよう。それからこれまで出会ったたくさんの素晴らしいお手本たちをあらためて振り返ってみよう。自分のなかのディレクターをゆっくり育てていこう。

9/6
人を考えることと大衆を考えることとは違うってあらためて感じた。かと言って人を考えることのほうがより具体的だとも言えないし、大衆を考えることにも意味はある。なんか規模の問題でなく、視点そのものが全然違うのだね…。

9/7
結局、数少ない平日のマチネに都合がつかなけりゃその公演は観られないってことだ。出来ないことを考えることはからだによくない。自分のためにクリアにしとこう。

9/10
うまく行きはじめて楽しくなってくるとそれに対する執着が生まれ、その未来への期待がふくらみはじめる。そうして、それがために僕は傷つく。反応したこと が問題か?受け取ってしまったことが問題か?期待を持ってしまったことが問題か?あー、せっかく手にした悦びだけど、これも手放すのか…無念だ。

「演技は自己表現だ」ってことを再確認したい。それ以外の何物でもないとわたしは思いたい。

こんなに当たり前のことが、実はまかり通らない。

9/11
新しい人、久しぶりの人と会って話を聞いたり、交流したりするってことは、その人の脳の回路ともキャッチボールをすることでもあって、人によっては僕が混乱したり疲れたりするのだけど、新鮮なことだから面白くもある。

9/12
そのことに関して疑問を持ったりせず、これまでとは違う視点があるなんて考えもしなかった人に、新しい考え方を提示した場合、それがどんなに素晴らしいものであっても、大抵の人は面食らってただほーとかへーとか云うだけだ。

疑問を抱えて、何とかよいものよい方法はないかと関心を持っていた人は熱心に喜んで受けとることが多い。

自分が素晴らしいと思っているものに相手が無反応に見えても、それはそれだけのこと…ってこと。

今朝のツイに関して、先程のプレゼンを経験して得た新しい気づき。新しい有益な情報を提供する場合、その仕方…手順やかける時間によっても、受けとってもらえる度合いが違ってくるということ。情報の良し悪しだけでなく、提供方法もちょー大切。

9/14
代講を務めてる俳優道場ではUP前にそこ独自のアファーメーションを毎回唱えてる。面白そうだから僕も自分のアファーメーションを創作する。「わたしのこだわりは日一日とひだまりに変わってゆく」…わかるかな〜w

生徒さん達は「演出の要求に応えられるようになりたい」と口を揃えて言う。気持ちはわかるが、それならば…だからこそ、その前にやっておく…いつもやっている必要なことがある。それは幸運なことに、自分で選べて、それが出来ているか自分で判断できることなんだ。

ゆかさんが言ってた「mustは何だ?」って言葉が頭から離れない。アーティストにとって他人の要求に応えることは、出来たらいいことであって、しなくちゃいけない出来なくちゃいけないことじゃあない。

百歩譲って、他人の要求に応えることがアーティストのmustだとしても、それ以前に圧倒的におわしますアーティスト必須のmustがあると思う。んー、もっとハッキリさせたいなあ。

9/16
ジョージ・クルーニー、中村吉右衛門、MJ、ザッケローニ、ガンジー…アクティビティや意図によって、または部分的にコピーしたいと思う人が僕にはいて実際遊びながらやってるけど、この人の「脳」をコピーしたいと思う人にはまだ出会わない。

あらためて考えたことがなかったんだなあ。フルトヴェングラーとかテニスのフェデラーとかの脳はちょっと気になるな〜。

9/17
レッスンしながら、新しいメソッドを発見することってある。…っつうか新しいメソッドや発見ってのは、大概がレッスンの中から見つかるものなんだろう。

9/19
「わたし基礎がないんです」と言う人多い。よく聞けばそう他人に言われたという人がこれまた多い。けど、そもそも基礎とは、あるないではなく、やるやらないだと思う。だから、その前にその基礎が何なのかしらなくちゃ。

これは基礎じゃなくて基本の話か…。だとしたら、演技の基礎は「表現したいと思う気持ち」だ。

私なりに演技の基本の定義を考える。 実行可能なこと…やれば誰でもできること。 達成してるか出来てるか本人が判ること…ただし、達成までにコーチが不要な訳ではないし、不要な場合もある。 それが出来たら、そのパフォーマンスの七割五分は達成してる。これも本人が判る。

9/22
なにかを教えるなら、生徒さんにそれを体験させてあげてはじめて教えるの域に入る。でないと、受け売りやひけらかしと変わりないことになる。

他人や世間一般と比較しながらする努力と、自分の興味や関心に向かってする努力とでは、後者の方が効率がいい。それはたぶん後者の方が圧倒的に視野が広いからだろう。

レッスンの振り返り…。しかし、俺はよく喋る。でも、生徒さん達のあの眼が俺を饒舌にさせるんだw。まあ判断はさておき、良くも悪くもこれが今の俺のベストパフォーマンスということだ。

9/23
雨のせいで外遊び出来ず、挙げ句昼寝をしてしまったらしく…倅が寝ない(^_^;)エネルギー有り余ってる(>_<)早く寝ろ、もう9時半だぞ!

9/27
それの先生になる場合、それのスペシャリストであること以上に「教え方」というものを学ぶ必要があるとつくづく思う。分野は問わない「教え方」がある。い や、「教え方」という分野が独立してあるんだ。だから「教え方」の先生ってのも存在しうるわけで、今後需要もふえるかもしれない。…と僕は思う。
9/28
演技教師の仕事のひとつの目安に役者を演出可能なところまで導くというのがある。何を持って演出可能と見るか。僕は役の状況が入っている、即ち役者が役として生きはじめているところだと思う。プロでもそこまで教師のサポートを得るのは悪いことじゃない。

アファーメーションを運動イメージに変換というアイデアは悪くないと思うけど、想定の限界を超える可能性はアファーメーションの方が高いのではないかという思いもなくはない。

まあでも、役者だったら言葉を発している時点で可能な限りの運動イメージは備わるはずだろう…てな希望。

9/30
じいじとかばあばっていう呼び方は一体いつ頃からこんなに広まったんだ?俺が子どもの頃はなかった気がする。なんか馴れ馴れしいだけで敬意も愛情も感じられなくて、僕は好きじゃない。