わたしは「鍛える」ということばがどうも好きになれません。
演技に関してだけ言っても「学ぶ」のは大好きですが
「鍛える」と言われると身を引きたくなります。
そもそもの意味から
火にあぶられたり、固いもので叩かれたり、冷水を浴びせられたり
そんなことを「される」ことを想像してしまいます。
当然自分で自分にそれを「する」のも勘弁です。
ですから
わたしが自分の演技向上を目指して何かする場合も「鍛える」ということはしません。
そして、同じように
演技教師として俳優さんの指導に当たる場合も「鍛える」ということはしません。
でも実は、俳優さんがたは「鍛えたがっている」人が大変多いです。
みな自分が<弱い>とか<未熟>とか<足りてない>という不安のなかにいます。
自分が<弱く><未熟で><足りてない>ことをとても強く信じています。
だから多くの人が自分を鍛えたがっているし
鍛える場所を探し、鍛えてくれる人を求めています。
誰かに言われたのか、自分で思い込んでいるのかわかりませんが
そういう人がいた場合、わたしの仕事はその洗脳を解くことに
まず最初のエネルギーを注ぐことが多いです。
それは正直言って、なかなか難しいことなのですが
実は、
その俳優さんの<足りてない>という物語につきあいながらレッスンをするよりは
はるかに現実的で効率的だとわたしは思っています。
要は本人が望むパフォーマンスに近づきやすいということです。
なぜなら、
彼らが信じているそのことは事実ではないと解釈せざるを得ない場合がほとんどだからです。
それが証拠に、
彼らが自分も見る人も満足するパフォーマンスをしたときは
その<足りてない>という不安の枠から飛び出て演じた場合がほとんどで
決して「鍛えあげた」「鍛わった」から出来たわけではないのです。
そしてもっと興味深いことに
自分は「鍛わった」と思えたうえでするパフォーマンスは
本人も見る人もなぜが不満を感じるのです。
これがなぜなのか、その理由はわたしにはまだハッキリとはわかりません。
でも、どうしてもその結果から鑑みて
その人が<弱い>とか<足りてない>とかいうことは事実ではない
と、そう解釈するより他にわたしにはアイデアが浮かびません。
それが事実だったら
「弱い」自分を「鍛え」あげたうえで成したパフォーマンスは
「満足できる」ものになるはずですから。
まあ、これはわたしの経験と観察が「不足している」から
こういう考え方しかできないのかもしれません。
「弱い」自分を「鍛え」て「満足」した人や
そういう人を見たことがある人もたくさんいるのかもしれません。
だから「鍛えたい」人が多くいるのかもしれません。
わたしもこの現実の中で
「鍛えたってしょうがないよ」みたいな発言をもしもし続けていたら
世間の人々からそっぽを向かれてしまうことでしょう。
現実としてあるニーズですから。。。
ですから、もちろんそれについては考えています。
決して説を唱えて賛成してもらうことがわたしの望みではありません。
俳優さんの、もっと向上したい、という望みを叶える手助けを
ただ、わたしはしたいだけなのですから。
探究はまだまだ続きます。
わたしは「鍛える」ということばがどうも好きになれません。
演技に関してだけ言っても「学ぶ」のは大好きですが
そもそもの意味から
当然自分で自分にそれを「する」のも勘弁です。
ですから
そして、同じように
でも実は、俳優さんがたは「鍛えたがっている」人が大変多いです。
自分が<弱く><未熟で><足りてない>ことをとても強く信じています。
だから多くの人が自分を鍛えたがっているし
鍛える場所を探し、鍛えてくれる人を求めています。
誰かに言われたのか、自分で思い込んでいるのかわかりませんが
そういう人がいた場合、わたしの仕事はその洗脳を解くことに
まず最初のエネルギーを注ぐことが多いです。
それは正直言って、なかなか難しいことなのですが
実は、
はるかに現実的で効率的だとわたしは思っています。
要は本人が望むパフォーマンスに近づきやすいということです。
なぜなら、
それが証拠に、
その<足りてない>という不安の枠から飛び出て演じた場合がほとんどで
決して「鍛えあげた」「鍛わった」から出来たわけではないのです。
そしてもっと興味深いことに
自分は「鍛わった」と思えたうえでするパフォーマンスは
本人も見る人もなぜが不満を感じるのです。
これがなぜなのか、その理由はわたしにはまだハッキリとはわかりません。
でも、どうしてもその結果から鑑みて
その人が<弱い>とか<足りてない>とかいうことは事実ではない
と、そう解釈するより他にわたしにはアイデアが浮かびません。
それが事実だったら
「弱い」自分を「鍛え」あげたうえで成したパフォーマンスは
まあ、これはわたしの経験と観察が「不足している」から
こういう考え方しかできないのかもしれません。
「弱い」自分を「鍛え」て「満足」した人や
そういう人を見たことがある人もたくさんいるのかもしれません。
だから「鍛えたい」人が多くいるのかもしれません。
わたしもこの現実の中で
「鍛えたってしょうがないよ」みたいな発言をもしもし続けていたら
世間の人々からそっぽを向かれてしまうことでしょう。
現実としてあるニーズですから。。。
ですから、もちろんそれについては考えています。
決して説を唱えて賛成してもらうことがわたしの望みではありません。
俳優さんの、もっと向上したい、という望みを叶える手助けを
ただ、わたしはしたいだけなのですから。
探究はまだまだ続きます。
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