9月1日
今年の夏で今日が一番不快な暑さです。でも蒸し暑いなかよく稽古しました。横山先生の演出と指導はいつもとても参考になります。明日は振り付け。私がステップスで初めてロックを歌い踊ります!
三年半ぶりにご一緒する大先輩の俳優さんに「倉持ちゃん芸風変わったね」って言われました。どんな風にですかと尋ねたら「やわらかくなった」そうです。この数年ほどいて…ゆるめて…やめて…ばかりですからね。嬉しいお言葉でした。
9月2日
負けるとか敵わないとか参るとかってことが、特に男の子にとって、どんだけ貴重なことか。そういう意味では武道で放り投げられるとか芝居で心底傷つくとかってのは安全を確保されたなかで何度もそれを多いに体験できるから人間形成に効用大なんだろうと思います。
だから、敗退とか挫折とか絶望とかは本当に次なる変容への大きなチャンスなんでしょうが、やはり多かれ少なかれ仲間とか指導者とかのサポートは必要なんでしょう。孤独の力も凄いけどサポートなしには…。今朝の想うままに。目黒到着。
9月3日
エスカレーターで僕の前に立つ青年。Tシャツの背中にイマジンの歌詞。数十秒かな、ガツンとメッセージが入ってきた。
9月4日
足の小指と薬指がなんか気になると思ってたら、この二本だけ立方骨に集まってて、あとの三本は楔状骨を介して舟状骨に集まってたんだ。ってことは内側三本は内踝で外側二本が踵で…もうちょっと探究しよ♪
目の使い方を変えて何日か?声の方向性がより明確になり自分の声が変わっていってるのが分かる。それを探究していくと頬骨周辺の筋肉、そして舌の使い方にも無意識があることが分かり、その動きを選んでいきたいと思うようになった。面白い!
9月6日
所用で大学の事務所に。「倉持と申します。××課の※※さんお願いします」受付の女の子「かしこまりました。倉持先生でいらっしゃいますね」「いいえ。私はただのクラモチです!」因みに格好はジーンズにカジュアルシャツ。
それにしてもあのスロープを上ると一気に時間が遡る。反発と耽溺。酒と感情に泥酔した日々。夢のような日々が懐かしく恥ずかしく…でも今の方がやっぱりいい時間だな。たぶん今の方が健康でもあるな。
9月7日
事実を徹底的に突き詰めないうちに解釈って奴がやってきて望まない感情まで参加して早々に判断を迫ってくる。この解釈って奴はからだのカスに似てる。習慣 が作った思考のカス。徹底的にストレッチして分解して溶解して排出してやる。解釈なしに事実をまま見る。ここからだ、ここからが本番…新世界だ!
私のウエストサイズは91cm、一年前から7kg減量しても変わらず。ユニクロでは91cmが最大かと思いきや95cmがあった。因みにカーゴのLは92cmまで。すなわち私はLLではないのだ。
何が言いたいかというと、私は人によく大きいと言われ自分でも納得していたが、私は自分が思っている程は実際は大きくない。自分のサイズへの思い込みが私のからだの動きを鈍らせている。
かといって私は小さいわけでも細くも太くも高くも低くもない。ただ実際の私であればいい。私の全体がそのままいつもあればいい。
「あなたがどうしてもやりたいっていうなら…」「…正直言うとやりたいって気持ちじゃない。でもやらないと次に進めない、死ぬとき後悔する気がする」何かをするのにこういう類いの動機があることを思い出した。
過去に幾つかそういう類いのことしたっけ。友がしていたのも思い出す。大抵は陽の目をみない、苦しい修行になる…。だって当然、世のため人のためじゃない、自分の為にやることだもん。でも今があるのは、生きていられるのは、まさにその修行のお陰だとも思える。
9月9日
オープニング曲、後半盛上がるとこ。オクターブ上のメロ組の俺。歌練でいけてたのに振り付きだと声がのびない!?あれっ!?そんなに息があがる難しいダンスじゃないのに…ちょっと自主練…。
息が足りない…ってことは例の胸郭の向き?おお!やってるやってる。胸を突きだし右肩を引く癖。俺の深い深い無意識の習慣…。ダンス入るともう一段注意をしないとね。っつうか踊りながら歌うのってユースの練習にチョー有効だと思う。何より楽しいしな。
いろいろ探究する過程で、こちらは本気なのだか他人から見るととんでもないことをやらかし心底驚かしたり心配をかけてしまったりする。その驚かれ方にこち らが驚き自分の無能を一時嘆くが、仕方ない…私はそうやって学習していくしかないのだ。先生ごめんなさい!頑張れオイラ!
今日の稽古の結果…望ましくない結果を見て、いわゆる欠点はわかっている。ただそれをやめればいいってだけでは芸がない。積極的で創造的な前進のためのアイデア…ひとつじゃ足りない、三つは用意して一人稽古する。
そもそもそこに明確な意図があるならば、その行動が対象がハッキリしてる他動詞で言い表せるモノならば、ぶっちゃけ本当に何かをしたくてそこにいるのならば…後ろ足のかかとに重心が乗ったまんま…なんてことがあり得るだろうか?
9月10日
妻が美容院行くため今日はオイラがせがれと親子スイミング。水の中でぶるんぶるん振り回してたら疲れたのか、帰ってすぐに昼寝した。ラッキー!妻はいない、せがれは寝てる。久しぶりに我が家でひとり静かに新聞が読める。
今回のアップデートはかなり大仕事だなと改めて思う。いろいろとこれまでになかったミスやストレス、緊張も生まれる。でもそこでびびって過去の習慣に戻るまい!いい訓練だ。そんななか今日持ち込んだアイデアは結構使える気がする。名前は…付けられない。
9月11日
アフリカンダンス初体験!第一人者柳田先生直々のレッスン。最初ウォーミングアップと丁寧な解説のあと、生の太鼓でシンプルな振りをこれでもかと踊りまくる。不思議と疲れるとかはなかった。でも何だか肚の奥の方で眠ってたものが目覚めだしちゃった感じ…(^.^)
9月12日
一日に何度となくせがれが絵本を持ってくる。「読んでくれ」のサイン。何があってもすぐに読んであげてと妻の指導あり。見たら「おつきさまこんばんは」林明子作。今日を知ってかと思わず笑った。読んだら地味だけど好い本。聞けばロングセラーとか。
9月13日
アレクサンダー学びはじめて一年半?…あたま、あたまといつも言ってるけど、ここに来てあたまって奴をこれまでよりもっとクリアに分解しないと前にいけない感じがする。で、やっぱりそれには発声…っうか歌うのが、楽しみながらやれるからいいのかも。…他にもあるかな?
アフリカンダンスを一緒に踊ったアレクサンダーの先生が「カズさん鳥が降りてきたみたいに踊ってたよ」って言ってくれた。腕が長く使えるようになってきたってことかな。ヴィヴィアンと「今度会うときにはロングアームになってるね」って約束したこと思い出した。
9月15日
朝食はトーストに久しぶりのピーナッツクリーム。食べてて気づいた。歯の右側で噛むことがほとんどだった私が、意識的でなく、無意識に左側でもぐもぐしている!自前ストレッチでの捻れ調整の効果がここにも出てきてるんだと思う。無意識でってとこが嬉しい。
隔週図書館で十冊程絵本を借りる。倅が食いつくのはせいぜい二三冊。で、今回もまたあった林明子作。何がそんなにいいんだろう?倅は答えない…。妻がいく つか説明してくれたけど納得したようなしないような。子どもの心を忘れた大人。ひたすら声に出して丁寧に読み聞かせる…きゅっきゅっきゅっ…。
自分にとって実はとても大切なことなのにそれを他人に話す時ちょっと卑下して茶化すように話してる自分に気づく。照れ隠しか?分かってもらえないかも…の 恐れか?いずれにしてもこれはイカン!それを話す度に自分で自分を傷つけることになる。俺の場合、自分へのリスペクトを失うと何一つ前進しない。
9月16日
歌でも芝居のときのように直前にプランを窓の外に投げ捨て、今の瞬間に生きるってことが出来ないものかな~♪音楽的な知識も技術も少ない自分には、誠実にリズムとメロディを奏でながらも、一つ一つ明確な行動をしていくしかないのだから。練習、練習、練習!
今日稽古場で、僕がステップスで一番「天然でオモシロイ」と思う女優さんから、「クラモチさんて、本当に生き物としてオモシロイですね~」って言われました。…光栄です!?┐('~`;)┌。加えて「奥さん大変でしょう!?」…知るかぁ~!!(;_;)/~~~
9月19日
声が売りの役者だけど実はマイク乗りの悪さが弱点。一人せっせと頭骨を探究していたら先日紀美子先生にシンプルかつ大胆なマッピング法を教わった。あら⁈ 出る出る!頬骨に自分の声が響いてる。加えて俺があまり使ってなかったらしい顔の筋肉も発見。本番迄十日切った。目指せマイク乗りのいい奴!
なれるものならなりたいもの。医者、歌手、ピアニスト、サーファー、校長先生、トリリンガル、ちょい悪オヤジ…ちょっと待てよ…どれも実現可能なモノばかりじゃないか⁉*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
どこから見ても、どこを切ってもワタシだ!と思えるところまでいかないとダメは出続けるだろう。しかしとてつもなく新しいことをしているんだ。アップデートが一段落しないうちはダメこそワタシを導く指針と喜んで受け止めたい。
9月20日
昨日はアトリエSYMBIONサードシーズンの初日でもあった。二月ぶりの先生。「あなたは今どこにいて何を見てるの?」っていう問いと、僕が〈役者のオ タク性〉と呼んでいるものが同じ要点を示していることに気づいた。オタク性が消えてワタシになりえた人のbeingは圧倒的だ。
友達がリツイートしてくれて知ったミハイル・エンデのボット…ちょー面白い。以前地域通貨に関心があったころ少し触れたけど、今また違う印象…強くインパクトを受ける。面白い。この秋の読書はエンデか!?
初の通し稽古。気負いなく取組め、楽器の状態もすこぶる良かった。プロデューサーさんもにこやかなご様子(^^;…やっとライム大佐を生きられるところまで自分を拓くことが出来た気がする。さて、やっとこさここから本格的な創作作業が始まるんだ。
昨日までのもがきを経て、今朝目覚めたときに右肩が望むところに収まってくれていたことが大きな要因だと思う。細部に意識が行かなくなったお陰で、全体の協調作用のなかに身を預けることができたってこと?…。一人で歌うところが初めて怖くなかったんだ!
9月21日
自分は不完全だと思っている人が自分より優れていると思う人に問う。問われた人はそれが嬉しくて自分の経験から得た技術を渡そうとする。でもそのことばの やり取り自体にはレッスンの価値は余りない。共にいる…そっちのほうにどれだけのやり取りがあることか。どれだけの学びが「双方」にあることか!
自分は足りてない、力がない、人より劣っている…ところがある。そう信じている人の何と多いことだろう。かくいう私も、自分は努力が足りない…怠けているという強い信じ込みが周期的に訪れる。事実か?否!じゃあ無用か?…うむ、そうでもないような気もする。
本日は上肢帯のお勉強。右腕はまた新しく、だけじゃなく右目やら右頬やら腹の奥のほうまで一日中ずっとすごい更新作業が続いている。左腕に関してはレッス ン後にマッサージ師の友達にしてもらった施術でこれまた凄いことに。これはとてもことばにできない。とにかく今しばらくはこれを味わっていたい。
9月22日
「神話は、なにがあなたを幸福にするかは語ってくれません。しかし、あなたが自分の幸福を追求したときにどんなことが起こるか、どんな障害にぶつかるか、は語ります。」ジョセフ・キャンベル
9月23日
昨日だけど、根岸にある日舞のお師匠さん家の近所で鷹匠とすれ違った。剥製?と目を見たら、手甲に乗った鷹がきっと俺を目で射た!さすがにびびった。ひととき、頭と脊椎の関係どころじゃなくなった。
今日は家族組の抜き稽古。明日最後の通し稽古をしてあとは浜松に。横山先生の要求も細部に渡り一段と高まる。「格好イイ倉持でいて欲しいんだよ」こういう ことを言ってくれる人はなかなかいない。嬉しく思いながら、「ちょっと気を抜くと豊登になっちゃうからな」…とよのぼり…ってキッツイなぁwww
9月24日
「クラちゃん、俺今度こそタバコやめたよ」身近なとある先輩が言った。「マジっすか⁈すげー、ついに本気出すんっすね!」思わず口走った。失礼じゃないよね?
その方だけじゃない、オジサンになってくると残りの人生(の時間)が見えてくる。長生きしたいとかじゃないくて、生きてるうちにやっておきたいことをやるためにそれを阻む気のあるものを遠ざけるのはごく当たり前のこと。守りから断つことでなく、本気で望みに向かいだしてる人私の近くに少なくない。
ウォーミングアップとか準備体操とかいうものに否定的な考えを持っていた私だが今日その考えを少し変えたくなった。ただその意図がまだ整理がつかない。ゆえに違う名前をつけたいがつけられない。浜松の三週間で探ってみよう。楽しみがまたひとつ増えた。
「変わりたいと、強く望め。それ以外は、いらない。」HAL東京の学生募集コピー。これいいなあ。俺好き。
9月25日
今日は町屋で「親子リズム」。名前とはかけ離れて、かなりの肉体疲労。ミュージカルの通し稽古より疲れた。子どもの抱き上げ方でアドバイスをもらう、それが自分自身の(子どもだけじゃなく)他者との関わり方に深い気づきを得た。変えていこうと決めた。
明日は日舞のお稽古とシンビアンでの終日レッスン。帰り遅いし火曜日は浜松への出発が早いから、今夜中に荷造りをした。それにしても俺は荷造りが下手だ。旅慣れた役者とは到底思えない。ましてやボーイスカウトの風上にもおけない(~_~;)
9月26日
一分間勉強法とかフォトリーディングとかいうのは、僕がメガネをかけなくてもだいたいは見えるようになってきた(視力が回復したわけではない)過程と、脳 の回路的には同じ理屈なんじゃないだろうか。見るとか読むとかいうことへの自分の信念を変えちゃえばいいのでしょ⁈面白いからもっと練習しよう。
たったいま金町駅で自販機の入れ替えしてたズボンずりさげ系のお兄ちゃん。凄くいい動きしてた。どんな動きしてても脊椎が伸びやかで、肩は抜けてて腕長 く、上下の動きは頭高いまま下半身の三関節で滑らか。極めつけが全ての動きがスピーディー。思わず見とれた。いるものだ街中の達人。
グレン・パーク「変容の術」にあった、前のチャックを閉めるっていうのはこういうことか!…な?…。同じことかは判らんが、少なくとも〈これ〉は俺には有用だ。成る程こうやって身を護れば幾らでも前進可能な感じがするなあ。
9月27日
同じ俳優を生きていても求めているものは各々違うのです。自分と同じ動機でない俳優を前に面喰らうことも過去にはありました。今はその違いも受容できます。それはたぶん自分の求めるもの、私は何者なのかが解ってくるのと並行しているような気がします。
その動機は、端的に言えば生きる技の探求とその分かち合いです。探求においては宗教か芸術がやはり良いのでしょう。分かち合いには教育も良い分野です。禅、演劇、アレクサンダーテクニーク…自然に没頭したものだけどどうやらつじつまはあっているみたいです。
自分を動かすものの焦点がはっきりしてしまえば、もう分野やスタイルにこだわる必要はありません。手近なところからどんどん自分の務めをするだけです。
そうこうしているうちに浜松に入りました。今週の劇場は浜北文化会館です。
意図を持たなければ、ただの風任せだ。意図を持てば抵抗にぶつかる。そうすれば本当に価値のある情報を得られる。あらゆる意図に間違いはない、意図があるってことが大切なんだ。
9月28日
昨日は移動だけで、今日場当たりとゲネプロ。少し疲れたなぁ。ウォーミングアップの重要性をまたリアルに感じた一日。私にとってウォーミングアップとは長さと大きさを取り戻し、意図の焦点を絞り合わせることなり…今日のリアリティー。
9月29日
初日が開きました。浜北高校と浜松東高校のみなさんありが とうございました。そしてやっと浜松でFONの使えるところへ行けました。やっぱり基本ホテルで無料無線LANは必須です〜。とにかくSoftBank ショップを探せばいろいろ教えてくれました。これからスタバでゆっくりします。
脊椎の長さを取り戻し意図の焦点を合わせるという準備はとても有効でした。その上で特に胸椎が私の場合は取り戻し辛いことと、私には軽い自己陶酔癖があってそれが意図…って言うか自らのビーイングをぼやけさせていることがわかりました。
胸椎は特に五番あたりでしょうか。そういえば五年ほど前にアテローム(粉瘤)ができたのがその辺です。やっぱりその辺の流れが悪く、いろいろ溜まっちゃうんでしょう。ただそこだけに焦点を当てるのはまた違うんですよねえ。
自己陶酔は「今」にしてる分はちょっとはいいけど過去や未来に行っちゃうと存在が弛み行動…演技どころじゃなくなる。勿論舞台上は無いけど、袖の場合は暗 いしマジで色んな気が舞ってて思わず取り憑かれる時がある。ちゃんとチャックを閉めたいけど…肉体的に疲れてるとなかなか閉めらんない。。。
明日も五時半に起きて、九時半には開演です…はい、九時半です。正午に終演し、一時半に二回目の開演です。東京は寒いらしいですね。浜松は今日は暑いくらいでした。では、夕飯食べてホテルに帰ってシャワー浴びて本読んで寝ます。
9月30日
「折れた心を体で支えていたという特殊な現象があった。」やっぱイチローは面白いことを言う。
Who is KAZU?
- KazuhiroKuramochi
- ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング
2011年10月19日水曜日
2011年9月8日木曜日
つぶやき selection from twitter@kazusangb ~2011年8月篇~
11/08/31 23:07
今回の「わたしアップデート」はかなり大掛かりなことになりそう。こんな時はたっぷり休息を取りながら時間かけて…って思う時に限って忙しかったり苦労すること多かったりする。まあ大丈夫、こういう自分の持つ《波》にはもう慣れっこだから。状況やからだは置いといて、気持ちは平静でいられる。
11/08/31 9:21
尾骨を取り戻し明けて次の日。会陰を通るエネルギーがちょっとスゴい…。人が、仙骨を頷かせるとか、ウンコ我慢とか、骨盤底筋を使うとか言っていたのは、こういうことかなあ〜とぼやっと想ってみる。次は尾骨が先導する動きを探ってみよう。
11/08/30 18:33
今日ついに尾骨を脊椎の仲間に入れてあげることができた。ようこそ僕のしっぽ♪君は僕の上半身なんだよ。
11/08/30 16:31
美輪さんの仰る〈正負の法則〉ってものが本当に存在するのなら、「これ」はそれを本当にみずから〈実践する〉ってことだろう。なぜなら離れることに感傷はなく、新たに取り組むことにも興奮がない、天の動きのように圧倒的で理由がなくて自然なことだから。
11/08/28 22:51
分解だ!徹底的に分解するんだ。そのためには僕の場合は柔軟体操が有効だ。できるなら一度解体したいくらいだけどw、それは無理だから徹底的に弛めて分解する。すると思考にも変化が起きる。最近気づいたこと…統合と分解は同じこと、少なくとも同じ方向性を持つんじゃないかな。破壊と創造みたいな?
11/08/28 22:40
今後の私の人生に無数の選択肢(少なくとも複数)があること僕は知ってる。でも本当に僕はその中から「選ぶ」ってことしてるだろうか?各々の選択肢をよく見てるだろうか?決め込み、思い込み、無意識の習慣的反応…。筋肉が固まって骨にひっつく様に、思考も当然のようにいつものとこへ行ってしまう。
11/08/28 0:32
昼間のドラマに大滝秀治さんが出てたそうで、帰ったら妻があの人スゴいを連発してました。彼女曰く、素人が言うのもなんだけど私が見た日本人の役者さんで一番スゴい…そうです。テレビであんな演技が見られるなんて思わなかった、って言ってたのが印象的でした。
11/08/27 13:16
自分が放っておくと行きがちな道は、社会と離れて独りで山ごもりして修行をすることだ。なぜならそれが一番楽チンだから。ではなぜそれをしないのか?なぜそれをやめたのか?なぜならそれは自分が本当に望むことじゃないってことを知ったから。楽チンなとこへ行くことと望むとこへ行くことは違うんだ。
11/08/26 23:54
人生には限りがある。それっぽいことでお茶を濁してる場合じゃない。自らの「核」となるところのことをしなくては!成功か失敗かは不問だ。でもどうせいずれやるんだ。来世でなく今世でやる覚悟は俺にあるか!?
11/08/26 23:52
現実を見て魂の声を聞いて、現実的でかつ最も自分を揺るがす…則ち自分の価値観がビンビンに鳴る選択をしたい。一見良さそうに見えても心からの勇気を要しない道はダメだ。
11/08/26 21:32
三時間歌いっぱなし、ステップスの歌稽古。でも凄く楽しかった。三年前より呼吸も楽になった感じ、キーも高くなっている。雨で靴濡れてたらスタッフの方が稽古中新聞紙で乾かしてくれてた…嬉しいよなぁ。こういう所でお仕事できる僕は恵まれてる。頑張らねばねば♪
11/08/26 12:47
統計学とか分類学とか、占いも含めて僕は大好きで楽しいと思うんだけど、今この瞬間を生きるって時には残念ながら使えないなあ。そもそも学問って呼ぶものはやっぱ娯楽であって実践的な生きる技ではないんだろうなあ。今更ながらですが。
11/08/26 0:09
よい結果を出したかったなあと思いつつ、よい結果を出したところで何も変わらないことを知っている。すなわち問題は結果ではないんだ。じゃあ何だ?即座に出てきた答えは準備だ。よい準備がよい経験に繋がる。
11/08/26 0:23
結果ちゃんはこちらがいくら愛しても僕を愛してはくれない。無駄なことはやめることだ、ご縁がないんだから。準備ちゃんは愛情を注げば注ぐほど何倍にもなって返ってくる。よほどの天邪鬼でない限り選ぶのは準備ちゃんだろう。
11/08/26 0:28
とか言いながら、結果ちゃんの口説き方もないわけじゃないと思うんだが、単純にオジサンはもう面倒臭いのはいやなんだな〜。
11/08/25 23:39
今日のような日こそ、起きた事実とそれに対して自分がどういう解釈を無意識の習慣でしているかを、まるで他人を分析するかのように見極めるべきなんだと思う。ちと重たいが…やるか。。。
11/08/25 16:22
右目だ、右目だ!ああでもない、こうでもないと右半身の使い方探っていたら、ついに右目にたどり着いた。右目周りの筋肉の使い方を新しくしたら、右半身のれやこれやがみんなおさまった。目の使い方に或る習慣があったんだ。
11/08/24 8:52
感覚を求めるイコール過程を無視する。然るべき過程を経なくては望む結果を得られない。故に感覚を求めてはこれまた望む結果を得られっこない。やることは事実をままに見て行動を選ぶ…感覚は感情も同じ。なんてこった!?これもまた演技と同じじゃないか!
11/08/24 9:16
さっきのは昨日感覚的左右対称を諦めたら早速今朝からからだが変容しはじめ、そこにアレクサンダーテクニックを使ったら、感覚的にも左右対称な感じに向かっていることの驚き。でも僕にはもう感覚的左右対称は要らないのさ(^-^)v
11/08/24 9:37
なぜ感覚的左右対称は要らないのか…たぶん僕がそれを安定と見なしているからだろう。安定はバランスとれてて一見良さそうだけどこれは居着きに繋がるからイカンのだ。感覚的左右不対称なら…不安定なら動き続けることができる。いつも…いつまでも♪
11/08/16 22:31
「見返りを求めない…求めてはいけない」って言い方よく耳にするし時折僕も使うけれど、そういう言葉が出てきてる段階ですでに「やりすぎ…やらなくていいことをしてる」「本当は自分はしたくないことをしてしまってる」んじゃないのかなって、このお盆に考えていました。
11/08/16 19:36
お盆だとハエが飛んできても誰か来てるのかななんて思ってしまって邪険にできない。
11/08/13 21:23
長谷川きよし、凄い!ギターも上手いけど、歌がチョー上手い。あんな風に声を出して、あんな風にギターが弾けたら…♪
11/08/12 14:24
正直言ってこれは冒険だと思う。何故なら痛みを伴っているから。しかし不思議なのはその痛みを感じながらなぜか嫌悪感が起きないんだ。かなり危険な冒険だと思うんだけど嫌悪感が起きないなら生まれるのは未来への期待とくすぐったい不安だけ…そして残るのは勝算しかない。
11/08/07 17:13
夏休み日曜日、パパとの楽しいサイクリング。チャリンコヤンキー乗りのパパ、ガニ股でゆらゆら。後を追いかける可愛いワンピースのお嬢ちゃん、一生懸命パパを追いかけペダルを漕ぐ脚が…ガニ股。挙句にふらふらして横転。叱るパパ、泣く娘。親子は似るのではない、子どもが親を的確に「真似る」のだ。
11/08/06 23:37
初心忘るる可ずの「初心」を「それを始めた頃の(謙虚な)気持ち」と解すのはどうも気にいらない。そもそも過去のそんな気持ちを憶えているのか⁈今に役立てるなら時間を過去に戻すことではなく未来への行動であるべき。わたしなら「今までにない新しい心持ち」と解し「初心忘るる可ず」といきたい。
11/08/06 15:57
昨夜の山田洋次監督と香取慎吾さんとの対談。こち亀の両さんは先ず何より生活が保証された国家公務員である、という山田監督の解釈。あの視点こそが逆にフウテンの寅さんにあれだけのリアリティーをもたらしたんだなあと感心、納得した。
11/08/04 9:04
今朝ふと坐禅を組んでみたら、これまで出来なかった結跏趺坐ができるようになっていた。連日連夜のストレッチの賜物だ…嬉しい!ただ、わたしの場合まだ出来るのは右脚上の形。道元さんの云う左脚上にするにはもっと右足首そして右半身をもっと解かないと。…こんなことでわたしはハッピーになれる。
11/08/03 23:07
「自分のことより他人の役に立ってはじめて幸せ」という人と話をした。わたしの目にそれは本当に見えた。わたしはと言えば「自分が幸せであって始めて他人の役に立てる」ってのが正直な気持ちだ。互いに逆だねと言いながら笑い合う。内心、彼をスゴい!と思ったが自分に引け目は感じなかった。
11/08/01 19:05
「苦しいときは私の背中を見なさい」本当ならこう言う名文句が流行語になって欲しいもの。女性が放つ魅力もあるけど、やっぱ男も言えないとなぁこういうこと。でもって自分は?と言えば…おお!これなら本気で言えるぞ「苦しいときはわたしのお腹を見なさい」…うん、言える、悪くない。触りなさいもど
11/08/01 14:22
ネットにぶら下げたサッカーボールを蹴り蹴りの女の子三人組とすれ違う。小学二三年か。妻曰くなでしこ金メダル以前からよく見かけたとか。心なしか堂々と幅を利かせながら歩いてる様子。すっかり市民権を得たよね。その後公園で見かけたが、いい動きしてた。将来が楽しみ。ガンバって!
今回の「わたしアップデート」はかなり大掛かりなことになりそう。こんな時はたっぷり休息を取りながら時間かけて…って思う時に限って忙しかったり苦労すること多かったりする。まあ大丈夫、こういう自分の持つ《波》にはもう慣れっこだから。状況やからだは置いといて、気持ちは平静でいられる。
11/08/31 9:21
尾骨を取り戻し明けて次の日。会陰を通るエネルギーがちょっとスゴい…。人が、仙骨を頷かせるとか、ウンコ我慢とか、骨盤底筋を使うとか言っていたのは、こういうことかなあ〜とぼやっと想ってみる。次は尾骨が先導する動きを探ってみよう。
11/08/30 18:33
今日ついに尾骨を脊椎の仲間に入れてあげることができた。ようこそ僕のしっぽ♪君は僕の上半身なんだよ。
11/08/30 16:31
美輪さんの仰る〈正負の法則〉ってものが本当に存在するのなら、「これ」はそれを本当にみずから〈実践する〉ってことだろう。なぜなら離れることに感傷はなく、新たに取り組むことにも興奮がない、天の動きのように圧倒的で理由がなくて自然なことだから。
11/08/28 22:51
分解だ!徹底的に分解するんだ。そのためには僕の場合は柔軟体操が有効だ。できるなら一度解体したいくらいだけどw、それは無理だから徹底的に弛めて分解する。すると思考にも変化が起きる。最近気づいたこと…統合と分解は同じこと、少なくとも同じ方向性を持つんじゃないかな。破壊と創造みたいな?
11/08/28 22:40
今後の私の人生に無数の選択肢(少なくとも複数)があること僕は知ってる。でも本当に僕はその中から「選ぶ」ってことしてるだろうか?各々の選択肢をよく見てるだろうか?決め込み、思い込み、無意識の習慣的反応…。筋肉が固まって骨にひっつく様に、思考も当然のようにいつものとこへ行ってしまう。
11/08/28 0:32
昼間のドラマに大滝秀治さんが出てたそうで、帰ったら妻があの人スゴいを連発してました。彼女曰く、素人が言うのもなんだけど私が見た日本人の役者さんで一番スゴい…そうです。テレビであんな演技が見られるなんて思わなかった、って言ってたのが印象的でした。
11/08/27 13:16
自分が放っておくと行きがちな道は、社会と離れて独りで山ごもりして修行をすることだ。なぜならそれが一番楽チンだから。ではなぜそれをしないのか?なぜそれをやめたのか?なぜならそれは自分が本当に望むことじゃないってことを知ったから。楽チンなとこへ行くことと望むとこへ行くことは違うんだ。
11/08/26 23:54
人生には限りがある。それっぽいことでお茶を濁してる場合じゃない。自らの「核」となるところのことをしなくては!成功か失敗かは不問だ。でもどうせいずれやるんだ。来世でなく今世でやる覚悟は俺にあるか!?
11/08/26 23:52
現実を見て魂の声を聞いて、現実的でかつ最も自分を揺るがす…則ち自分の価値観がビンビンに鳴る選択をしたい。一見良さそうに見えても心からの勇気を要しない道はダメだ。
11/08/26 21:32
三時間歌いっぱなし、ステップスの歌稽古。でも凄く楽しかった。三年前より呼吸も楽になった感じ、キーも高くなっている。雨で靴濡れてたらスタッフの方が稽古中新聞紙で乾かしてくれてた…嬉しいよなぁ。こういう所でお仕事できる僕は恵まれてる。頑張らねばねば♪
11/08/26 12:47
統計学とか分類学とか、占いも含めて僕は大好きで楽しいと思うんだけど、今この瞬間を生きるって時には残念ながら使えないなあ。そもそも学問って呼ぶものはやっぱ娯楽であって実践的な生きる技ではないんだろうなあ。今更ながらですが。
11/08/26 0:09
よい結果を出したかったなあと思いつつ、よい結果を出したところで何も変わらないことを知っている。すなわち問題は結果ではないんだ。じゃあ何だ?即座に出てきた答えは準備だ。よい準備がよい経験に繋がる。
11/08/26 0:23
結果ちゃんはこちらがいくら愛しても僕を愛してはくれない。無駄なことはやめることだ、ご縁がないんだから。準備ちゃんは愛情を注げば注ぐほど何倍にもなって返ってくる。よほどの天邪鬼でない限り選ぶのは準備ちゃんだろう。
11/08/26 0:28
とか言いながら、結果ちゃんの口説き方もないわけじゃないと思うんだが、単純にオジサンはもう面倒臭いのはいやなんだな〜。
11/08/25 23:39
今日のような日こそ、起きた事実とそれに対して自分がどういう解釈を無意識の習慣でしているかを、まるで他人を分析するかのように見極めるべきなんだと思う。ちと重たいが…やるか。。。
11/08/25 16:22
右目だ、右目だ!ああでもない、こうでもないと右半身の使い方探っていたら、ついに右目にたどり着いた。右目周りの筋肉の使い方を新しくしたら、右半身のれやこれやがみんなおさまった。目の使い方に或る習慣があったんだ。
11/08/24 8:52
感覚を求めるイコール過程を無視する。然るべき過程を経なくては望む結果を得られない。故に感覚を求めてはこれまた望む結果を得られっこない。やることは事実をままに見て行動を選ぶ…感覚は感情も同じ。なんてこった!?これもまた演技と同じじゃないか!
11/08/24 9:16
さっきのは昨日感覚的左右対称を諦めたら早速今朝からからだが変容しはじめ、そこにアレクサンダーテクニックを使ったら、感覚的にも左右対称な感じに向かっていることの驚き。でも僕にはもう感覚的左右対称は要らないのさ(^-^)v
11/08/24 9:37
なぜ感覚的左右対称は要らないのか…たぶん僕がそれを安定と見なしているからだろう。安定はバランスとれてて一見良さそうだけどこれは居着きに繋がるからイカンのだ。感覚的左右不対称なら…不安定なら動き続けることができる。いつも…いつまでも♪
11/08/16 22:31
「見返りを求めない…求めてはいけない」って言い方よく耳にするし時折僕も使うけれど、そういう言葉が出てきてる段階ですでに「やりすぎ…やらなくていいことをしてる」「本当は自分はしたくないことをしてしまってる」んじゃないのかなって、このお盆に考えていました。
11/08/16 19:36
お盆だとハエが飛んできても誰か来てるのかななんて思ってしまって邪険にできない。
11/08/13 21:23
長谷川きよし、凄い!ギターも上手いけど、歌がチョー上手い。あんな風に声を出して、あんな風にギターが弾けたら…♪
11/08/12 14:24
正直言ってこれは冒険だと思う。何故なら痛みを伴っているから。しかし不思議なのはその痛みを感じながらなぜか嫌悪感が起きないんだ。かなり危険な冒険だと思うんだけど嫌悪感が起きないなら生まれるのは未来への期待とくすぐったい不安だけ…そして残るのは勝算しかない。
11/08/07 17:13
夏休み日曜日、パパとの楽しいサイクリング。チャリンコヤンキー乗りのパパ、ガニ股でゆらゆら。後を追いかける可愛いワンピースのお嬢ちゃん、一生懸命パパを追いかけペダルを漕ぐ脚が…ガニ股。挙句にふらふらして横転。叱るパパ、泣く娘。親子は似るのではない、子どもが親を的確に「真似る」のだ。
11/08/06 23:37
初心忘るる可ずの「初心」を「それを始めた頃の(謙虚な)気持ち」と解すのはどうも気にいらない。そもそも過去のそんな気持ちを憶えているのか⁈今に役立てるなら時間を過去に戻すことではなく未来への行動であるべき。わたしなら「今までにない新しい心持ち」と解し「初心忘るる可ず」といきたい。
11/08/06 15:57
昨夜の山田洋次監督と香取慎吾さんとの対談。こち亀の両さんは先ず何より生活が保証された国家公務員である、という山田監督の解釈。あの視点こそが逆にフウテンの寅さんにあれだけのリアリティーをもたらしたんだなあと感心、納得した。
11/08/04 9:04
今朝ふと坐禅を組んでみたら、これまで出来なかった結跏趺坐ができるようになっていた。連日連夜のストレッチの賜物だ…嬉しい!ただ、わたしの場合まだ出来るのは右脚上の形。道元さんの云う左脚上にするにはもっと右足首そして右半身をもっと解かないと。…こんなことでわたしはハッピーになれる。
11/08/03 23:07
「自分のことより他人の役に立ってはじめて幸せ」という人と話をした。わたしの目にそれは本当に見えた。わたしはと言えば「自分が幸せであって始めて他人の役に立てる」ってのが正直な気持ちだ。互いに逆だねと言いながら笑い合う。内心、彼をスゴい!と思ったが自分に引け目は感じなかった。
11/08/01 19:05
「苦しいときは私の背中を見なさい」本当ならこう言う名文句が流行語になって欲しいもの。女性が放つ魅力もあるけど、やっぱ男も言えないとなぁこういうこと。でもって自分は?と言えば…おお!これなら本気で言えるぞ「苦しいときはわたしのお腹を見なさい」…うん、言える、悪くない。触りなさいもど
11/08/01 14:22
ネットにぶら下げたサッカーボールを蹴り蹴りの女の子三人組とすれ違う。小学二三年か。妻曰くなでしこ金メダル以前からよく見かけたとか。心なしか堂々と幅を利かせながら歩いてる様子。すっかり市民権を得たよね。その後公園で見かけたが、いい動きしてた。将来が楽しみ。ガンバって!
2011年9月5日月曜日
つぶやき selection from twitter@kazusangb ~2011年7月篇~
11/07/28 22:13
演技に関する話をするとき「自由に」って言う表現は、とっても誤解が生じることが多いからちょっと気をつけよう。じゃあどんな言葉が好いかなと考えて、今のところ「思い通りに」って言うのが好いような気がする。何を思ったかが結果に出るっていうわかりやすさだね。
11/07/26 23:05
花火大会帰りの兄ちゃん達、なんでジーパンはあんなにずり下げるくせに、角帯をそんなヘソ上で巻くんだ〜!ユニクロも浴衣売るならバスタオルと腰ひももセットで売れ!…俺は自前があるから要らんけど(^.^)
11/07/24 16:15
スーパーのレジ奥の袋詰め台の先にあるカゴやカートが置いてあるあたりで、レジ終る母ちゃん待って所在無げに突っ立ってるオヤジの顔は演じるとしたら難易度は高い。俺だったら母ちゃんの袋詰めに手を出して「余計なことしないであっち行ってて」とか言われながらもちょっとニヤけてるプランかな。
11/07/23 18:06
「道具」を使う際覚えておくとからだの動きがスムーズになりパフォーマンスの向上が期待できる大変有効な基本的考え方を私なりにまとめてみた。たぶん「道具」と言われるもの全てに当てはまるのではないか。否、もちろん例外が見つかればそれはそれで嬉しい。でも考えれば考えるほど発展応用ばかりだ。
11/07/23 18:12
そもそも「道具」とは人間にとって何なのだろう?そんなことも考える。そして役者は自分自身を時折「楽器」という。ってことはわたし自身も「道具」なのか⁉さっきの考えに当てはめてみる。…ちょっと身震いがした(^_^;)
11/07/22 13:28
私が自分のからだ…動きに関して感覚的にセンタリングと言っているのは、表層に近い筋肉の使用感を減らしていって、軸骨格とそれに近い筋肉群で動くようになっていくってことなんだと思う。コリコリの砂肝串からぶるんぶるんの蒟蒻串刺しみたいな…もちろん串も動くよ(^^ゞ
11/07/21 9:39
歩行器は絶滅しつつあるけど、早々にお座りをさせたがる傾向、本にまで書いてある、は本当に直さないと可哀想だ。下手すると寝返りしないうちからお座りさせて挙句ハイハイをろくにせず歩くってことになる。小さい頃運動オンチで、大人になっても腰回りのことで本当に苦労してる私は酷く憂慮する。
11/07/20 13:56
他人に教えをこうっていうのは、自分が望むものを得るためではない。自分のやってることを正しいと言ってもらうためでもない。自分ひとりでは見つけることができないものを教わって、その新しい視点を得ることなんじゃないかな。そういう意味ではいつかの安心を得るより新しい不安を得る授業が好いな。
11/07/20 9:17
私は私を過小評価している。私は私を誤解している。そして、私は私の無能を恐れている。全てじゃないけど少なからず。でも…だからといって過大評価したり、正しく理解したりする必要もない。出来事と共に動き、学び、自ずと変わっていくだけだ。
11/07/19 8:36
昨日アトリエSYMBION五週目。動物練習の流れから今日はハイハイをトピックの一つに。普段動か(さ)ない所が動くことによる気分の変化、性格の変容、魅力の増幅等々。ハイハイによる野性の目覚め。可能性は莫大…「ハイハイワークショップ」今度個人でやってみようかな。
11/07/19 1:05
やりたくないことやらないとイイ思いできないとか、成功した人見てさぞやたくさんの犠牲を払ったんだろうって考えは好きくないです。本気で望んで、やりたいことやってやってやりまくって、やっただけの結果が得られる。他者から見たら正と負かもだけど当人から見たら正だけ…ってのが僕は好きです。
11/07/15 13:27
リラクゼーションやアレクサンダーテクニークなどを役者が誤解誤用してしまう件。アクターである以上多少からだを固めたって行動することが大事、てか仕事。役者は役や台詞から解放されながら演じるなんてことはない。単なる自由解放が望みなら…役者やめるこった。
11/07/12 16:07
今日の骨盤底筋の話は、毎日電車の中でこっそりしてる歌の練習でのマイテーマと重なるところが多くとても面白かった。僕の抱く仮説に偶々信頼する先生のサポートを得たことで、面白いことに急速にからだが変化をし始めてる。こういう後押しの力はやっぱすごい。
11/07/08 8:57
それが本当にそれであるならそれを何と呼ぼうが構わない。しかしいくら言葉を尽くしても、それがそれでないならそれは何の意味もない…どころか害さえあり得る。坐禅瞑想で私が学んだことと同じだなあ。
11/07/05 17:59
わからないことはわからない。いらないものはいらない。私の世界の中心は私だ。私が私の行動をすべて決める。私に見えるものはすべて私、だからとても良く見える。私は私が感じとるすべてのものと共にいる。そうありたい。そのように生きる。
11/07/05 0:59
アトリエSYMBION三週目。年間クラスとOpenクラスの違いがハッキリ。何れにせよ私のテーマはpracticalであること。実際に使える、次の演技が変わる、望みの実現に確実に近づく、明日が変わる…そんなレッスンをしたいといつも思っている。魔法なんかない、実用的な技があるだけだ。
11/07/04 0:29
認めてほしいという動機と、喜んでほしいという動機。雑にしてるとこれごっちゃになっちゃう。全然違うものだから…
11/07/01 10:55
今日は富士山山開きです。近所の浅間神社や冨士神社ではお祭りしてますか?富士塚のあるところは今日だけ開放して登れたりするからご近所の人はぜひ。富士山登ったのと同じ御利益とか…。小生は朝イチで近所の冨士神社にパンパンしてきました。
演技に関する話をするとき「自由に」って言う表現は、とっても誤解が生じることが多いからちょっと気をつけよう。じゃあどんな言葉が好いかなと考えて、今のところ「思い通りに」って言うのが好いような気がする。何を思ったかが結果に出るっていうわかりやすさだね。
11/07/26 23:05
花火大会帰りの兄ちゃん達、なんでジーパンはあんなにずり下げるくせに、角帯をそんなヘソ上で巻くんだ〜!ユニクロも浴衣売るならバスタオルと腰ひももセットで売れ!…俺は自前があるから要らんけど(^.^)
11/07/24 16:15
スーパーのレジ奥の袋詰め台の先にあるカゴやカートが置いてあるあたりで、レジ終る母ちゃん待って所在無げに突っ立ってるオヤジの顔は演じるとしたら難易度は高い。俺だったら母ちゃんの袋詰めに手を出して「余計なことしないであっち行ってて」とか言われながらもちょっとニヤけてるプランかな。
11/07/23 18:06
「道具」を使う際覚えておくとからだの動きがスムーズになりパフォーマンスの向上が期待できる大変有効な基本的考え方を私なりにまとめてみた。たぶん「道具」と言われるもの全てに当てはまるのではないか。否、もちろん例外が見つかればそれはそれで嬉しい。でも考えれば考えるほど発展応用ばかりだ。
11/07/23 18:12
そもそも「道具」とは人間にとって何なのだろう?そんなことも考える。そして役者は自分自身を時折「楽器」という。ってことはわたし自身も「道具」なのか⁉さっきの考えに当てはめてみる。…ちょっと身震いがした(^_^;)
11/07/22 13:28
私が自分のからだ…動きに関して感覚的にセンタリングと言っているのは、表層に近い筋肉の使用感を減らしていって、軸骨格とそれに近い筋肉群で動くようになっていくってことなんだと思う。コリコリの砂肝串からぶるんぶるんの蒟蒻串刺しみたいな…もちろん串も動くよ(^^ゞ
11/07/21 9:39
歩行器は絶滅しつつあるけど、早々にお座りをさせたがる傾向、本にまで書いてある、は本当に直さないと可哀想だ。下手すると寝返りしないうちからお座りさせて挙句ハイハイをろくにせず歩くってことになる。小さい頃運動オンチで、大人になっても腰回りのことで本当に苦労してる私は酷く憂慮する。
11/07/20 13:56
他人に教えをこうっていうのは、自分が望むものを得るためではない。自分のやってることを正しいと言ってもらうためでもない。自分ひとりでは見つけることができないものを教わって、その新しい視点を得ることなんじゃないかな。そういう意味ではいつかの安心を得るより新しい不安を得る授業が好いな。
11/07/20 9:17
私は私を過小評価している。私は私を誤解している。そして、私は私の無能を恐れている。全てじゃないけど少なからず。でも…だからといって過大評価したり、正しく理解したりする必要もない。出来事と共に動き、学び、自ずと変わっていくだけだ。
11/07/19 8:36
昨日アトリエSYMBION五週目。動物練習の流れから今日はハイハイをトピックの一つに。普段動か(さ)ない所が動くことによる気分の変化、性格の変容、魅力の増幅等々。ハイハイによる野性の目覚め。可能性は莫大…「ハイハイワークショップ」今度個人でやってみようかな。
11/07/19 1:05
やりたくないことやらないとイイ思いできないとか、成功した人見てさぞやたくさんの犠牲を払ったんだろうって考えは好きくないです。本気で望んで、やりたいことやってやってやりまくって、やっただけの結果が得られる。他者から見たら正と負かもだけど当人から見たら正だけ…ってのが僕は好きです。
11/07/15 13:27
リラクゼーションやアレクサンダーテクニークなどを役者が誤解誤用してしまう件。アクターである以上多少からだを固めたって行動することが大事、てか仕事。役者は役や台詞から解放されながら演じるなんてことはない。単なる自由解放が望みなら…役者やめるこった。
11/07/12 16:07
今日の骨盤底筋の話は、毎日電車の中でこっそりしてる歌の練習でのマイテーマと重なるところが多くとても面白かった。僕の抱く仮説に偶々信頼する先生のサポートを得たことで、面白いことに急速にからだが変化をし始めてる。こういう後押しの力はやっぱすごい。
11/07/08 8:57
それが本当にそれであるならそれを何と呼ぼうが構わない。しかしいくら言葉を尽くしても、それがそれでないならそれは何の意味もない…どころか害さえあり得る。坐禅瞑想で私が学んだことと同じだなあ。
11/07/05 17:59
わからないことはわからない。いらないものはいらない。私の世界の中心は私だ。私が私の行動をすべて決める。私に見えるものはすべて私、だからとても良く見える。私は私が感じとるすべてのものと共にいる。そうありたい。そのように生きる。
11/07/05 0:59
アトリエSYMBION三週目。年間クラスとOpenクラスの違いがハッキリ。何れにせよ私のテーマはpracticalであること。実際に使える、次の演技が変わる、望みの実現に確実に近づく、明日が変わる…そんなレッスンをしたいといつも思っている。魔法なんかない、実用的な技があるだけだ。
11/07/04 0:29
認めてほしいという動機と、喜んでほしいという動機。雑にしてるとこれごっちゃになっちゃう。全然違うものだから…
11/07/01 10:55
今日は富士山山開きです。近所の浅間神社や冨士神社ではお祭りしてますか?富士塚のあるところは今日だけ開放して登れたりするからご近所の人はぜひ。富士山登ったのと同じ御利益とか…。小生は朝イチで近所の冨士神社にパンパンしてきました。
2011年8月31日水曜日
アトリエSYMBION月曜日クラスのご案内
いつもアトリエSYMBIONをご利用頂き有難う御座います。
以下に記した問題は私が役者として実際に問題意識を持ち、私なりに探究してきた(現在もしている)ことです。もしかしたら皆さんも同じような悩みをお持ちではないですか?探究は今も続きますが、現時点で私が教えることができる幾らかのアイデア(考え方)とテクニック(術)があります。このレッスンが参加される皆さんの助けとなるよう進化していくことを望みます。
<初級者>
演技になると声が上手く出せない(声を嗄す、不自然な声になる)
相手をとる、見るということがどう云うことか分からない
演じる時に起こるからだの癖がある(気をつけていても出てしまう)
一人ならできることが人前だと緊張してできなくなる
演出につけられた動きでやりづらい(できない)ところがある
稽古してる台詞でどうしてもスムーズに言えないないところがある
<中級者>
相手役を使えずにいつも自分一人で演じてしまう
気持ちの準備ができるまでなかなか演技を始められない
いつも同じような注意・ダメだしを受けてしまう
しばしば無意識に余計な芝居をしてしまう
相手が誰でも自分がブレない演技がしたい
どうしても演出に縛られながら演じている感じがする
役づくりやアクションのプラン、設定したこと等が逆に演技を不自由にする
<上級者>
演技に入るための準備の時間を減らしたい
もっと演技の「質」を高めたい
シーンにおける一つ一つのアクションの精度を高めたい
自分の演技がワンパターンな(役者として停滞してる)気がする
方法論は学んだが実際には使いこなせず、結局行き当たりばったりで演じてる
これまで自己流で演ってきたが自分の演技が良い方向へ向かっているか不安だ
経験を積んできたことで、却って自分の出来ないことに目を向けづらい
現在の月曜クラスは、役者の楽器の演奏法(自分自身の操作法)をテーマに展開しています。特に演技中における(演技する直前の)役者のこころとからだに焦点を当ててレッスンします。演技基礎訓練、外的アプローチ、台本解釈や内面的役づくり、シーンスタディ等とは一線を画しますが、実際に演じるその時に持ち込める〈実践的な術〉としての効果を期待します。
前半は参加者の皆さんが自ら持ち込んだ問いや課題を基に展開します。題材は、準備体操や踊りなどのからだの動きに関すること、台詞・歌・朗読などの声に関することを始めとして、シーンやモノローグ、役づくりの為にしているアクティビティー、オーディション対策、思考整理のためのコーチングなど、演技に関することなら何でもどうぞ。
後半は簡単な戯曲を演ります。主にからだ、呼吸、思考など役を演じる際の自分の使い方をテーマにします。あらゆる役に応用可能な基本的立ち居振る舞い、自分と共演者との間合いや空間の捉え方、演出家の言葉を自らの行動に翻訳するプロセス、ある程度こなせる人には、眼の使い方・体捌き・台詞術・感情の扱い方(感情が高まってきた時の自分の奏法)なども丁寧に指導していきます。写実的、古典的、喜劇的、ショー的問わず、俳優として繊細かつ大胆な思考と動きの獲得を目指します。
いずれの場合も観念や理論や議論ではなく、実際に演じる…身をもって取り組むことを大切にしていきたいと思います。
現在は月曜日クラスも水曜日金曜日クラスと同じように各々の技量による振り分けはありません。ご自分の演技に問題意識を持っている方ならどなたでも大歓迎です!皆さまのご参加をお待ちしています。
2011アトリエSYMBION月曜クラス 倉持一裕
以下に記した問題は私が役者として実際に問題意識を持ち、私なりに探究してきた(現在もしている)ことです。もしかしたら皆さんも同じような悩みをお持ちではないですか?探究は今も続きますが、現時点で私が教えることができる幾らかのアイデア(考え方)とテクニック(術)があります。このレッスンが参加される皆さんの助けとなるよう進化していくことを望みます。
<初級者>
演技になると声が上手く出せない(声を嗄す、不自然な声になる)
相手をとる、見るということがどう云うことか分からない
演じる時に起こるからだの癖がある(気をつけていても出てしまう)
一人ならできることが人前だと緊張してできなくなる
演出につけられた動きでやりづらい(できない)ところがある
稽古してる台詞でどうしてもスムーズに言えないないところがある
<中級者>
相手役を使えずにいつも自分一人で演じてしまう
気持ちの準備ができるまでなかなか演技を始められない
いつも同じような注意・ダメだしを受けてしまう
しばしば無意識に余計な芝居をしてしまう
相手が誰でも自分がブレない演技がしたい
どうしても演出に縛られながら演じている感じがする
役づくりやアクションのプラン、設定したこと等が逆に演技を不自由にする
<上級者>
演技に入るための準備の時間を減らしたい
もっと演技の「質」を高めたい
シーンにおける一つ一つのアクションの精度を高めたい
自分の演技がワンパターンな(役者として停滞してる)気がする
方法論は学んだが実際には使いこなせず、結局行き当たりばったりで演じてる
これまで自己流で演ってきたが自分の演技が良い方向へ向かっているか不安だ
経験を積んできたことで、却って自分の出来ないことに目を向けづらい
現在の月曜クラスは、役者の楽器の演奏法(自分自身の操作法)をテーマに展開しています。特に演技中における(演技する直前の)役者のこころとからだに焦点を当ててレッスンします。演技基礎訓練、外的アプローチ、台本解釈や内面的役づくり、シーンスタディ等とは一線を画しますが、実際に演じるその時に持ち込める〈実践的な術〉としての効果を期待します。
前半は参加者の皆さんが自ら持ち込んだ問いや課題を基に展開します。題材は、準備体操や踊りなどのからだの動きに関すること、台詞・歌・朗読などの声に関することを始めとして、シーンやモノローグ、役づくりの為にしているアクティビティー、オーディション対策、思考整理のためのコーチングなど、演技に関することなら何でもどうぞ。
後半は簡単な戯曲を演ります。主にからだ、呼吸、思考など役を演じる際の自分の使い方をテーマにします。あらゆる役に応用可能な基本的立ち居振る舞い、自分と共演者との間合いや空間の捉え方、演出家の言葉を自らの行動に翻訳するプロセス、ある程度こなせる人には、眼の使い方・体捌き・台詞術・感情の扱い方(感情が高まってきた時の自分の奏法)なども丁寧に指導していきます。写実的、古典的、喜劇的、ショー的問わず、俳優として繊細かつ大胆な思考と動きの獲得を目指します。
いずれの場合も観念や理論や議論ではなく、実際に演じる…身をもって取り組むことを大切にしていきたいと思います。
現在は月曜日クラスも水曜日金曜日クラスと同じように各々の技量による振り分けはありません。ご自分の演技に問題意識を持っている方ならどなたでも大歓迎です!皆さまのご参加をお待ちしています。
2011アトリエSYMBION月曜クラス 倉持一裕
2011年8月24日水曜日
ペテン師
「オレは役者だからね
言っちまえば大嘘ついて人を騙すのが仕事だからね」
そんなことを時おり気楽に言い放つ自分がいる
若い頃、自分に正直でいると生き辛くて生き辛くて
何にもうまくいかなくなってた時
ああオレは役者なんだから何もかんも心底から演じちまえばイイんだ
鬼だって悪魔だってそう言うことだろう
そんな生き方だってかっこイイじゃねえか
そう思って技を磨いて演じ始めたら
いろんなことがすごく上手くいき出した
自分のエネルギーが淀みなく流れ出し
それまで良くあったブスブスと糞詰まったようなオレはいなくなった
きっと人の中を生きるってこう言うことなのかななんて思った
そうやって磨いた技やアイデアを他人にシェアして喜んでもらうこともたくさんあった
そしていつのまにかそんな若い頃の悩みや
その後の努力も忘れ
いつのまにか適度にオジサンとして本来の自分に正直な生き方に戻っていた
つもりだった
ある日…
ある人に、あなたはペテン師…、と言われた
そこに悪意は感じなかった
ジョークまじりの会話
でもオレは傷ついていた
かなりショックだった
すでに無意識になっていたオレの〈人を騙す技〉
オレが人の中を生きるために必死で磨き
人を何度も何度も喜ばせてきた技を
掘り起こされズタズタに否定されて
「あなた本当はどう生きたいの?」
そう聞かれたような気がした
確かにその人に悪意はなかった
でもそうオレは受け取っていた
…そう受け取りたかったんだ
なぜならその言葉はあまりにも的確だった!から
わたしもそう(ペテン師)だからよくわかる
巧妙に平静を装っていたオレの深層の変化を察知したのだろう
その人はそう付け加えた
しばらくしてペテン師という言葉を一人で味わってみた
他人をそう呼んだり
自分で自分をそう呼んだりするのとは全く違う
やっぱりオレは傷ついていた
しかし
と同時にワクワクしてる自分も発見した
なんかこの傷ついた感情を味わい尽くしたあとに
(本当にじゅうぶんに十分に味わい尽くさないといけないだろうけど)
「あなたはペテン師…」と人に言われたという事実から
今自分が探し求めている
「自分が本当に生きたいように生きるって?」に向かう
建設的な思考が生まれてきそうな気がするのだ
今年の夏オレが体験したとっても刺激的なできごとの一つだ
+++++++++++++++++++++++++++++
ペテン師 かぐや姫
www.youtube.com/watch?v=5Kp7yY5P19U
マイブーム二十字要約
「他人にペテン師に見える自分を許したい」
言っちまえば大嘘ついて人を騙すのが仕事だからね」
そんなことを時おり気楽に言い放つ自分がいる
若い頃、自分に正直でいると生き辛くて生き辛くて
何にもうまくいかなくなってた時
ああオレは役者なんだから何もかんも心底から演じちまえばイイんだ
鬼だって悪魔だってそう言うことだろう
そんな生き方だってかっこイイじゃねえか
そう思って技を磨いて演じ始めたら
いろんなことがすごく上手くいき出した
自分のエネルギーが淀みなく流れ出し
それまで良くあったブスブスと糞詰まったようなオレはいなくなった
きっと人の中を生きるってこう言うことなのかななんて思った
そうやって磨いた技やアイデアを他人にシェアして喜んでもらうこともたくさんあった
そしていつのまにかそんな若い頃の悩みや
その後の努力も忘れ
いつのまにか適度にオジサンとして本来の自分に正直な生き方に戻っていた
つもりだった
ある日…
ある人に、あなたはペテン師…、と言われた
そこに悪意は感じなかった
ジョークまじりの会話
でもオレは傷ついていた
かなりショックだった
すでに無意識になっていたオレの〈人を騙す技〉
オレが人の中を生きるために必死で磨き
人を何度も何度も喜ばせてきた技を
掘り起こされズタズタに否定されて
「あなた本当はどう生きたいの?」
そう聞かれたような気がした
確かにその人に悪意はなかった
でもそうオレは受け取っていた
…そう受け取りたかったんだ
なぜならその言葉はあまりにも的確だった!から
わたしもそう(ペテン師)だからよくわかる
巧妙に平静を装っていたオレの深層の変化を察知したのだろう
その人はそう付け加えた
しばらくしてペテン師という言葉を一人で味わってみた
他人をそう呼んだり
自分で自分をそう呼んだりするのとは全く違う
やっぱりオレは傷ついていた
しかし
と同時にワクワクしてる自分も発見した
なんかこの傷ついた感情を味わい尽くしたあとに
(本当にじゅうぶんに十分に味わい尽くさないといけないだろうけど)
「あなたはペテン師…」と人に言われたという事実から
今自分が探し求めている
「自分が本当に生きたいように生きるって?」に向かう
建設的な思考が生まれてきそうな気がするのだ
今年の夏オレが体験したとっても刺激的なできごとの一つだ
+++++++++++++++++++++++++++++
ペテン師 かぐや姫
www.youtube.com/watch?v=5Kp7yY5P19U
マイブーム二十字要約
「他人にペテン師に見える自分を許したい」
2011年7月14日木曜日
望む生き方への考察過程
目的とか目標とかいう概念があるけど
わたしはこれらがなんか好きじゃない
ないものを得るために生きるとか
あるものを守るために生きるとか
そんなのって必要なんだろうか
そもそも「~するため」とか「~のためとか」
生きるとはそういうものなのだろうか
ないものを得るためでは、今を否定してしまうだろう
あるものを守るためでは、創造的な生き方から離れてしまうだろう
おお、なるほど…
ってことは、少なくともわたしは
今を肯定しながら、創造的に生きたいんだ
そして目標ということばを使うと全身的でなくなるようだ
…首と頭、そして顔の一部が収縮する感じがする
代わりに使うとすれば直観…かな
直観ならわたし全部でできる
今を肯定するっていうのは
イエスって言うことだからシンプルで具体的で好い
じゃあ、創造的に生きるってことをもう少し噛み砕いてみよう
時間でいうなら、今と未来の間に隙間がないことだ
(時間が未来へ進むことは逆らえないしそれは受け容れる)
では隙間のないその次の瞬間に向かう際
過去の習慣でなく
今までにない新しいわたしで動きが起こる
そう、起こすのではない起こるんだ
それが直観による選択……
うむむむむ
待てよ、そうすると直観も選択もわたしのものではないな〜
わたしではないな〜
なんだろう?
自然?潜在?霊…スピリット?
そうかあ、まだ確信は持てないが
わたしは少なくともわたしでないものに衝き動かされて生きたいと
それが心地よいと思っているらしい
いやこれもことばが足りない
わたしが認識しているものではないがたしかにわたしであるもの
で創造的に生きたいのだ
それはたぶん認識のあるわたしは不安でしようがないと思うけど(笑)
うん、そしてそれは間違いなくわたしにとっての演じてる時間
他者が喜ぶか否かはさておきわたしが演じる喜びを感じてる時と
同じと言ってもいいくらいとてもよく似ている
…誤解して欲しくないけど
役の人生を生きてさまざまな感情を体験することが喜びなのであって
演じながら演じる喜びを感じているわけではない
(尻切れだけど今日はここまで)
わたしはこれらがなんか好きじゃない
ないものを得るために生きるとか
あるものを守るために生きるとか
そんなのって必要なんだろうか
そもそも「~するため」とか「~のためとか」
生きるとはそういうものなのだろうか
ないものを得るためでは、今を否定してしまうだろう
あるものを守るためでは、創造的な生き方から離れてしまうだろう
おお、なるほど…
ってことは、少なくともわたしは
今を肯定しながら、創造的に生きたいんだ
そして目標ということばを使うと全身的でなくなるようだ
…首と頭、そして顔の一部が収縮する感じがする
代わりに使うとすれば直観…かな
直観ならわたし全部でできる
今を肯定するっていうのは
イエスって言うことだからシンプルで具体的で好い
じゃあ、創造的に生きるってことをもう少し噛み砕いてみよう
時間でいうなら、今と未来の間に隙間がないことだ
(時間が未来へ進むことは逆らえないしそれは受け容れる)
では隙間のないその次の瞬間に向かう際
過去の習慣でなく
今までにない新しいわたしで動きが起こる
そう、起こすのではない起こるんだ
それが直観による選択……
うむむむむ
待てよ、そうすると直観も選択もわたしのものではないな〜
わたしではないな〜
なんだろう?
自然?潜在?霊…スピリット?
そうかあ、まだ確信は持てないが
わたしは少なくともわたしでないものに衝き動かされて生きたいと
それが心地よいと思っているらしい
いやこれもことばが足りない
わたしが認識しているものではないがたしかにわたしであるもの
で創造的に生きたいのだ
それはたぶん認識のあるわたしは不安でしようがないと思うけど(笑)
うん、そしてそれは間違いなくわたしにとっての演じてる時間
他者が喜ぶか否かはさておきわたしが演じる喜びを感じてる時と
同じと言ってもいいくらいとてもよく似ている
…誤解して欲しくないけど
役の人生を生きてさまざまな感情を体験することが喜びなのであって
演じながら演じる喜びを感じているわけではない
(尻切れだけど今日はここまで)
2011年5月30日月曜日
ずっとやりたかったことへ向かって
あれもやめるのか
これもやめるのか
まあ試しにやめてみよう
ひとつやめてみると
あたらしいものが見える
すると次にやめたくなるものが見えてくる
いろいろやめだすと世界が広がる
より繊細に世界が見えてくる
…ああ、これを見るわけね
そしてまた次にひとつやめ
ふたつやめ
ある時、やめるのが止まる
やめることがないわけじゃない
でも止まる
何でだろう?
怖い。。。うん
ここをもっと味わいたい。。。恰好つけ
これ以上繊細に世界を見るのがいや。。。ナルホドね
しばらくの間
恐れと好奇心が戦って
寄り切って好奇心の勝ち
勝ったのに進めないときは
人の助けを借りるのもいい
同じ道を歩いている人は結構いるものだ
そうやって
今度はあれやめて
次にこれやめて
ぼくはぼくになっていく
陽だまりのなか無邪気に駆けていたように
はるか昔夢見ていた道を本当に歩いていく
にこやかに
すこやかに
のろのろと
これもやめるのか
まあ試しにやめてみよう
ひとつやめてみると
あたらしいものが見える
すると次にやめたくなるものが見えてくる
いろいろやめだすと世界が広がる
より繊細に世界が見えてくる
…ああ、これを見るわけね
そしてまた次にひとつやめ
ふたつやめ
ある時、やめるのが止まる
やめることがないわけじゃない
でも止まる
何でだろう?
怖い。。。うん
ここをもっと味わいたい。。。恰好つけ
これ以上繊細に世界を見るのがいや。。。ナルホドね
しばらくの間
恐れと好奇心が戦って
寄り切って好奇心の勝ち
勝ったのに進めないときは
人の助けを借りるのもいい
同じ道を歩いている人は結構いるものだ
そうやって
今度はあれやめて
次にこれやめて
ぼくはぼくになっていく
陽だまりのなか無邪気に駆けていたように
はるか昔夢見ていた道を本当に歩いていく
にこやかに
すこやかに
のろのろと
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