Who is KAZU?

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ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング
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2011年12月30日金曜日

いつもこれの繰り返しだ

このまま前に進めばそれは獲得できる

すでに挑戦を済まし、勝利を獲得し
自分にはその資格と価値があることも証明されている

その時まで、ほんの少しだけ時間があって
あといくつかの手順を踏めばそれは獲得できる

で、ここにきて起こる不安・・・

前進をのぞみ
成長をのぞみ
発展をのぞみ
幸せをのぞんでいるのに

そこに到達する直前に現れるおそれ

誰かが云ってた
人は不幸せになることより
幸せになってしまうことのほうが怖いんだって

受けとればいい
受けとるだけでいい

変化は自然に起きている
変化は自然なことだ
その流れに乗っていればいい
いや、逆らわないだけでいい
拒まなければそれでいい

これまでだって
全部うまくいってたじゃないか
俺がビビらなきゃ
なんにも問題なかったじゃないか
みんな当たり前だと思っていたじゃないか

誰も俺を試してなんかいない
そうなる・・・
そうなることは誰のものでもない
ただ俺がそうなる・・・
それは誰も傷つけない
そうなる・・・
それだけなんだよ

2011年11月19日土曜日

体操のすすめ

10月11日浜松に向かうバスの中で長々とツイートしてたやつを
ここにまとめておきます。
ただ、えらくテンションが高くて
結局はただ吐き出したかったんだろうって今読むと思います。
でも、そういうことにブレーキをかけずOKにしていきたいと最近は思っています。

+++++++++++++++++++++++++++++++

 ここ数年、私の開く演技レッスンの中で、演技者が演技を終えるや否や出来るだけ質問するようにしてきたことがある。それは「演技直前にどんなプランを立てた?」「演技中に何を考えていた?」気になったとこがあれば「あの瞬間何を考えた?」という質問だ。
 興味深いことに、演者の演技が彼彼女自身が考えたことと異なったものになった試しが殆どない。時折何を考えていたか覚えていないとか、何も考えなかったとか言ったり、嘘を言ったりする演者もいるがよくよくインタビューするとやはり結果になるべく思考をしている。
 「思考は実現する」とはよく言ったもので、今ではそれを周知の事実と実感し実際に行動・実現している人も少なくないと思うが、私の今の実感としては「思考は存在そのもの」なんだなあ〜と心底思っている。
 アクターとしてはアクション則ち行動することが仕事だが、その質を高めるにはアクションを練習するより存在の質を高めることのほうが圧倒的に有効だと昨今の私は思っている。I see him.であればseeを稽古するのでなくIを稽古するということだ。
 ということは思考が存在なのだから、行動の質を高めるには思考の質を高めればよいことになる。よく何年やっても上手くならないとか、成長しないとか言って悩まれる方がいるが考え方が変わらずに変容していくことはあり得ないとやはり思う。
 この辺も今では常識なのか、まあ驚くほど何をどう考えるかをテーマにしたセミナーやワークショップが昨今は山積している。さて…では何故役者はからだを研くのか?思想が表現を変えるならそれだけ研けばいいではないか!?
 一時期の私は、からだが固かったり姿勢が悪かったりすると思っていることがそのまま演技に現れづらい。だからからだを解放する必要があるんだ。…と考えていた。しかしこれはどうも違うらしいと思うようになった。
 それは先に書いた、ほぼ100%思った通りの演技が実現するという統計的事実に気づいてからだ。どんなにからだが固くても姿勢の悪い人でも、その結果を気に入っているかどうかは別にして、考えた通りの結果を見事にそのまま演技でみせている。
 指導と実演の経験からどういう思考をしていけば所謂魅力的に役を演じられるか、その方向性と過程の踏み方はだんだんわかってきた…自分がそれを十分に出来るかは別ですが…(^^;)。だがどうしてもその方向性でモノを考えることができない…しない人がいる。
 したくない人はよいとして望んでいるのに上手くいかない人を観察すると、そこにはからだに対する意識の低さやからだに敬意を払わず乱雑に扱うといった傾向が見えてきた。すなわちからだの状態が思考に限界を作ってしまっているのではないか!?ということだ。
 ここで気をつけたいのが、ならばからだを鍛えようという安易な発想やからだに不具合があると思考も制限されるのかという誤解だ。それは多分に間違いだと私は思う。大切なのはからだに敬意を払うことでありもう少し突き詰めるとその扱い方なのだろうと思う。
 からだの可能性が思考の可能性を拡げる。望ましい思考が望ましい行動…パフォーマンスを導く。結果、望ましい未来がやってくる。だから役者はからだを研く のです。さあ皆さん体操しましょう!ただし鍛えるためでも軟らかくするためでもなく、からだに敬意を払い上手に扱うために。

2011年7月14日木曜日

望む生き方への考察過程

目的とか目標とかいう概念があるけど
わたしはこれらがなんか好きじゃない

ないものを得るために生きるとか
あるものを守るために生きるとか
そんなのって必要なんだろうか

そもそも「~するため」とか「~のためとか」
生きるとはそういうものなのだろうか

ないものを得るためでは、今を否定してしまうだろう
あるものを守るためでは、創造的な生き方から離れてしまうだろう

おお、なるほど…

ってことは、少なくともわたしは
今を肯定しながら、創造的に生きたいんだ

そして目標ということばを使うと全身的でなくなるようだ
…首と頭、そして顔の一部が収縮する感じがする
代わりに使うとすれば直観…かな
直観ならわたし全部でできる

今を肯定するっていうのは
イエスって言うことだからシンプルで具体的で好い

じゃあ、創造的に生きるってことをもう少し噛み砕いてみよう

時間でいうなら、今と未来の間に隙間がないことだ
(時間が未来へ進むことは逆らえないしそれは受け容れる)
では隙間のないその次の瞬間に向かう際
過去の習慣でなく
今までにない新しいわたしで動きが起こる

そう、起こすのではない起こるんだ
それが直観による選択……

うむむむむ
待てよ、そうすると直観も選択もわたしのものではないな〜
わたしではないな〜
なんだろう?
自然?潜在?霊…スピリット?
そうかあ、まだ確信は持てないが
わたしは少なくともわたしでないものに衝き動かされて生きたいと
それが心地よいと思っているらしい
いやこれもことばが足りない
わたしが認識しているものではないがたしかにわたしであるもの
で創造的に生きたいのだ
それはたぶん認識のあるわたしは不安でしようがないと思うけど(笑)

うん、そしてそれは間違いなくわたしにとっての演じてる時間
他者が喜ぶか否かはさておきわたしが演じる喜びを感じてる時と
同じと言ってもいいくらいとてもよく似ている

…誤解して欲しくないけど
役の人生を生きてさまざまな感情を体験することが喜びなのであって
演じながら演じる喜びを感じているわけではない

(尻切れだけど今日はここまで)

2011年5月30日月曜日

ずっとやりたかったことへ向かって

あれもやめるのか
これもやめるのか
まあ試しにやめてみよう

ひとつやめてみると
あたらしいものが見える
すると次にやめたくなるものが見えてくる

いろいろやめだすと世界が広がる
より繊細に世界が見えてくる
…ああ、これを見るわけね

そしてまた次にひとつやめ
ふたつやめ
ある時、やめるのが止まる

やめることがないわけじゃない
でも止まる
何でだろう?

怖い。。。うん
ここをもっと味わいたい。。。恰好つけ
これ以上繊細に世界を見るのがいや。。。ナルホドね

しばらくの間
恐れと好奇心が戦って
寄り切って好奇心の勝ち

勝ったのに進めないときは
人の助けを借りるのもいい
同じ道を歩いている人は結構いるものだ

そうやって
今度はあれやめて
次にこれやめて

ぼくはぼくになっていく
陽だまりのなか無邪気に駆けていたように
はるか昔夢見ていた道を本当に歩いていく

にこやかに
すこやかに
のろのろと

2011年5月1日日曜日

今、自分が意識的に選びたいこと

何かを学ぶ時や
人の話を聞いたり
何かを見たりしたとき
そして、実は演技の最中(相手役の台詞を聞いてる時)もそうなんだけれど
僕らは自然と
これまでの自分の経験や知識と照らし合わせて
その回路の中で
その情報を理解しようとする。

ある意味これは大切な
優れた能力なのかもしれないけど
最近僕は
この作業をできるだけしないで
人の話を聞いたり(相手役の台詞を聞いたり)
モノを見たりしたい(状況を受けとめたりしたい)
と思う。

人と話をしていてよく感じるのは
自分も相手も
その話の内容を
自らにとって都合の良いように
自らの理解できる範囲で
解釈してしまっていることだ。

「今はこの人には僕の言いたいことが伝わってないな」
ってことが会話の中でわかることがある。

同じように
僕もこの人の話を本当に丸ごと聞いているだろうか?
そう疑問に思うときが多々ある。

そんなことに気付いた時にふと考えた。

「わかる」ってどういうことだろう?

そもそもその場で「わかる」必要があるのだろうか?
すぐにわからないといけないの?

すぐに理解しようとすることは
実はそれを丸ごと受けとらずにいることなんじゃない?
(演技に関して言えば、わからないとできないの?)

自分が好きなものだけ食べてるのと同じで
丸ごと食べてから要らんものは排出するのとは
まったく異なる行為だと思う。

そういうわけで
今、自分が意識的に選びたいことは

理解しようとすることをまずやめて
自分の全体で今ここに居つづける

特に考えを持って今ここでの出来事に
解釈や判断を下しさない
ましてやそれで固めない

からだを変な風に使って流れを滞らせない
全身全霊で今ここに居つづける

ってこと。

今ここに居つづける
っていうのは
今ここに自分が属するんじゃなくて
今ここを自分のなかに統合するほうのやつ

これは全然違うから要注意。

ちょー自分のサイズを大きくして
この目前の出来事を丸ごと受けとめる

ってこと。

ん〜、ぶっちゃけ「生きる」ってこれだけでいいんじゃない?

大丈夫
消化不良起こしたら吐き出せばいい
自分のなかに入ったって要らんものは時期に排出される

難しいのは
無意識の習慣的反応を抑制することだ
これをしちゃうと丸ごと受けとれなくなる

まあ注意をすることだ
注意をしても簡単にはいかない
でも、とにかく練習することだ

2011年4月9日土曜日

変容のうねりの中心は?

ATの本格的トレーニングを始めて一年たった今年の初め
僕のことばで云うところの「背骨が通った」実感があり
それからは何となくではあったけど
「僕から見える世界が徐々に(でも確実に)変わっていく」
のを感じていました。

もちろんATの訓練としてはほんの入り口だろうし
それは確かに個人的な自分のなかのことなんですけれど
このたびの大震災にあたり
「その前と後ではもう世界が変わっているんだ」
という類いの発言をいろんなところでよく耳にするので
これは僕の個人的な変容とどう関わっている(いく)のだろう
という問いが僕に生まれていました。

大震災前後と云った場合の「世界」はそのまま「世界」かもしれないし
「日本」かもしれないし
「その人自身から見える世界」かもしれないし
「価値観」みたいなものかもしれない。
人それぞれ(もしかしたら時々で)
「世界」の見方や実感の仕方も違うのだとは思います。

僕も知人からのメールで「大きな変容のうねりを感じるね」と云われ
確かにそのことばには共感していましたが
そのうねりの<中心>はどこにあるんだろうという考えが残ってました。

で、やはり
そのうねりが自分の外に起こっていると考えると
自分にはどうすることも出来ないとてつもなく大きな力を妄想しだし
何かそれに巻き込まれていくような感じがして
とても不安な気持ちになりました。

この視点でものをみてるとろくなことにならないなあ
ヤバいなあ・・・と
したがってその考え方は選択しないことにし
「大きな変容のうねり」はやはり
自分自身に(から)起こっているんだと考えるようにしました。

もともと今年の始めから僕自身が実感していた「世界が変わる」様子が
このたびの震災をきっかけに
よりハッキリしたものになっていくのだろうと
そう思うとしっくりきます。

いくのだろう・・・なんてまるで他人事みたいだけれど
実際はそうではなく
これまで以上に思想を深めひとつひとつの行動を
明確に決心して覚悟を持って選択していきたいと強く望んでるということです。

今ありたい基本的な構えは出来ていて
それが震災で揺らぐことはなかったのだけれど
構えの質をより速く高めて早く次の段階に行きたい
というわずかに「焦った気持ち」があることは自覚しています。

でも焦りは今から離れる原因になりやすいですからね。
今にいてこそよりよい選択もできるわけですから。
だから今は
わずかだけれど確かに感じている焦りに焦点を当てて
それと向きあいながら日々を生きていこうと思います。

2011年4月4日月曜日

ほんとにいいもの

ほんとにいいものってその理由がみつけられない

なんだかいいんだけどその理由がわからない

あえていってみてもちがうかんじがする

なぜならそれはほんとにいいから

どこにもなんにもひっかからない

あたりまえのようにそこにある

いいりゆうがみつからないとひとはわるいところをさがしはじめる

さいわいにもわるいとこがみつかるとひとはほっとするけど

みつからないとそれが理由でぜんひていされたりする

ほんとにいいものってほんとに理由がわからない

2011年3月31日木曜日

どうしても

心地よい流れだけで
なんの抵抗もない
そんな世界を
人は今この瞬間にも創れる

ただ…
人が
それを本当に望んでいるかは
疑わしい

方々からの力が
見事に均衡のとれた
そんな静けさを
人は自らのうちに持っている

ただ…
人が
今はそんな静けさを怖れてる
ような気もする

陽を浴びて星を見上げていい
喜びも悲しみも怒りも味わい尽くしていい
からだの隅々まで呼吸していい
静かに眠りについていい

ただ…
人は
それだけでは満足できないと
どうしてもどうしても…思ってしまう

2011年3月30日水曜日

護身術

護身術

護身術には二種類ある
ひとつは敵の攻撃に対する応じ方

もうひとつは
そもそも敵が攻撃を仕掛けることができない在り方
敵の攻撃を寄せ付けない在り方

応じ方と在り方

たぶん在り方で九割は身を護れる
残り一割の応じ方のうちの九割は在り方で磨かれる

で、応じ方の残る一割は笑顔をつくること

スマイル…スマイル

ってことは 9/10 たす 0.9/10 で 99/100 …!?

そう、在り方を磨くことで99%身を護ることができる

よしその在り方を磨こう…!?

*    *    *

ちなみに

そもそも敵も攻撃も存在させない在り方

というのもあるらしい

ただ、それではそもそも護身する必要がないので

護身術とは云わないだろう



…でも、こっちのほうがよくない?!