2/1
ベテランぶるのを嫌うあまりに初心者ぶる自分がちっとばかしいたなあ。嫌いなことの反対をやろうとするのは危険だなあ。結局ぶってるだけだから、同じところにいるってことだもんなあ。
2/3
鬼は外、福は内。本当は一つなんだぞ!と説明したけど、最近の炒り豆は美味しく出来てるんだなあ、ほっとくと袋全部食べそうな勢いだったからさすがに、また明日ねと途中で止めさせた。確実に中年のオジサン分くらいは食べたな...うちの子。ホントよく食べるんだ。
2/5
手続きすべて済み、新居の鍵が私らのものとなる。前の方が信じられないくらいにきれいに使ってらした様子がそこここから感じられる。今より広いリビングで倅が楽しそうに走り回ったり高足ハイハイをしている様子を見て転居を決めて良かったなぁと思った。
2/7
僕の月曜クラスでは「これは見世物になるか」という視点は意識的に排除している。意図の全ては役者の創造性のモーターが順調に回ることに向けられる。何が望みでも何が好みでもいいけど、その始まりは役者の好奇心以外今の僕には考えられない。
「しなくてもよい」を採用する人は思いのほか多いようだ。わけもなく忙しいこの時代もあるんだろうな〜。
無気力だって、「しなければならない」が生み出していると言えなくもない。実はとってもシンプルな望みが、たーあっくさんのものに覆い隠されちまってんだ。
2/8
最近殊に自分はたくさんのサポートを受けているなあと感じる。実際にサポートしてくれる人がふえたことも確かだが、何よりも自分がサポートを受け取るようになったことが大きいと思う。いずれにせよ、感謝したい。
「生か死か」の二者択一ではなく、「生も死も」の二者両取りっていうのもあるんじゃないかなぁ。そんで...じゃあ「生でもない死でもない」ってのは最悪だよなって視点もあるけど、僕はそれもありって思わなくもない。
2/10
友人の依頼で或る私塾の代講。初対面の若い役者さん達と終日演技レッスン。結局台本を使ったり台詞を云ってもらったりはしなかったけど、みんなとっても熱 心に興味を持ってついてきてくれた。シンビアンとはまた違う魅力を持った役者さん達とレッスンをして新たに思うところが多かった。
2/14
モチはモチ屋。…クラモチはクラモチ屋。
凡ゆる学問をおさめ無知は損だぞという人が、泳げないというだけで命を落とす話。
酒に酔った若者がボートを漕いで海に出ようとするが、いくら漕いでも進まない。疲れ果て爆睡の後、朝日で目覚めた彼はボートが杭に縛られたままだったことに気づく。
昔京都の瞑想センターで聞いた講話のうち、いまだにずっと覚えてる二話。
2/16
アイロンがかかっているかどうかではなくて、アイロンをかけるっていう行為をしたかどうか、そしてそれをどんな心持ちでしたか。そういう表現者になりとうございます。
どうやら僕は交友関係が広く、いろんな人脈を持っている人だと思われているらしい(...笑っているのは誰だ!?)。できるなら、そんな期待に添える人物になりたいものだ。
2/18
失敗しちゃえる人、絶対しない人、しない方法を説く人、してもいいんだよっていう人、その意味を問う人、逆に成功に目を向ける人…うーん、そのどれでもなくて、ただ「失敗したくないなぁ」って素直に言える人になりたいな〜。
2/19
うちの子は逃げ足が速い。妻に言ったら「そりゃあたしだ。あたしも逃げ足は速かった」…。
オレは逃げ足は速くない。そこで進化したのが嗅覚だ。…君子危うきに近寄らず。基本的に恐がりです。m(_ _)m
2/21
終日ドラマの撮影でした。終電前で帰れて良かったです。風呂に入って今やっと一息。数日前からすごく疲れている自覚がありますがわりかし上手に自分を操縦できてると思います。何より飲酒の習慣をなくして本当に好かったと、こうやって疲れてる時は特に思います。
2/22
好き嫌いの激しさは自分でも認める。ただ、僕の場合はそのモノコト自体が嫌いなのではなく、今じゃね〜だろ!とかこの場所でそれ出すかよ!みたいなタイミングっつうか、その間の悪さに対して嫌うことが九割がたなんじゃないかなって思った。
だから、好き嫌いの反応を盲目的かつ自動的にするのでなく、できるだけ一間おいて…ちょっと寝かせてからするのは、僕の安全を守り可能性を護るために必要なことなんだな〜と思う。
2/25
今さらですが、わたしは辰年の女性に非常に御縁があります。今年年女のみなさまどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m。ちなみにわたしは巳年、似た感じですがサイズが違います…。
2/27
この地球にいるかぎりいろんなことがプラマイ0になるという「正負の法則」は生きるための素晴らしい知恵だと思う。特に、図らずも運命のいたずらで負を負った人には心の支えとなるだろう。
ただもし賢明にも、自ら望んで選んで負を重ねようとするのなら、エネルギーがダウンしないやり方もあるはず。好奇心と喜びだけで正も負も重ねる...あると思います。
とにかく箱に詰めてダンボールが増えていくことが喜びの妻。本番直前にダンボールに詰め込めるように不要品処理ばかりする俺。結構大切なものをゴミ袋に放 り投げたり、知らぬ間にダンボールの中にバナナの皮を入れたり、挙げ句にダンボールの山をアスレチックにして遊ぶ倅。引越しも楽しまねばね。
2/28
微香または無臭の柔軟剤ってのもあるんだろうなあ。最近のは海外のだけでなく日本のもなんだか匂いがきつくて、少しお下品な感じがします。そもそも柔軟剤なんて使わなくても・・・とか言うと妻とひと揉めしそうでそこは我慢しています。
Who is KAZU?
- KazuhiroKuramochi
- ボイススタイリスト 。通称・うごき先生&ムッシュ倉持。アレクサンダーテクニーク教師。俳優として美輪明宏演出舞台に18年レギュラー出演。日本アレクサンダーテクニーク協会会員。ボディシンキング&シンキングボディ認定講師。中高国語教師資格所持。早稲田大学文学部日本文学科卒業。妻、長男と埼玉県越谷市在住。身長180cm、体重83kg。趣味は日本舞踊、太極拳、ジャグリング
2012年3月5日月曜日
2012年2月3日金曜日
2012、一月のつぶやきから
1/7
ease(英語、特に名詞として)って好いことばだなあ。今の自分にピタッとくる。じ〜んとしみてくる。しばらくマイ・テーマにしよう!
1/8
「…したい」と思ったことやそう思って始めたことは、自分にそれをする能力があるかとか資格があるかとかを考えて不安になったことはこれまで一度もない。 さすればそのことをする能力や資格を疑う自分がいたら、それは本当は「…したい」ことではないのではないだろうか。なんて思う。
私の場合、自分が発信することを一番聞かせたい相手は自分です。だから他人様の発信もまずこの人はこれを自分自身に聞かせたいのだろう…と思います。その上で、わたしが受け取りたいことがあれば有難く頂戴します。…ちなみに、この発信もそうです。
今日は春に転居する先のリフォームについて協力してくれる叔父さんを訪ね色々話を聞く。自分が無知な世界の話でも前向きに誠実にそして気楽に思考行動していこう。これは自分が経験すべくしてしていること。出来るだけ楽しんでいこう。ましてや自分がこれから生活する家のことだもんね。
1/11
やんちゃが始まった間もなく一歳八ヶ月の倅。普段倅に甘めの妻。だんだん様子を見て俺と妻と態度を変えてくる倅。ちょっと舐められ出した感じの妻。なかなか寝ない上にコップの水をこぼした倅。珍しくブチ切れた妻。面白がってる俺。妻の本気にあっという間に眠りについた倅。こいつは世渡り上手か?
条件のない愛...あれ?そもそも条件がないから愛と言えるんだよな。
1/12
「私がやりたいことをする」つまるところこれなんだなあ。制限はあっていい、あったほうが面白い?でもその制限のなかであくまで私がやりたいことをする。 人の望み?応えたいなら応える。でもそれはあくまでも「私がしたいことだからする」んだよ。私の人生の主役を私以外にしては駄目だ、絶対に。
1/15
安納いも蒸かしておやつ。甘くて美味い。金運上がりそうな色もまた好し。
1/16
今では一生懸命は間違いでないどころか一所懸命が誤りのように思われることさえある。個人的な印象としては一生懸命は気分的で雰囲気でしかなく自己陶酔的だ。一所懸命は具体的で対象が明確かつ行動的な印象を持つ。だから僕は一所懸命が好きだ。正誤を問うと了見が狭まる、創造的に好みに向かう。
1/17
朝日ジュニアシリーズ「週刊マンガ世界の偉人」にはエジソン、ヘレンケラーらと並んでMJやジョブズまで入ってる。ジョブズは喪もあけてないのに早くないか?なんて俺は思ってしまうのだが…。
1/18
今朝また暴走自転車のヒヤリハットを目撃した。しかもまたヘッドホン♪認知判断操作の認知を鈍らすヘッドホンは飲酒運転と同等に危険だ。国がやらないなら条令からでもいいヘッドホン自転車運転禁止を期待する。
1/19
初めてiPhoneで音楽を聞きました。何だか音の感じがおかしいけどフルボリュームにしたら妙にリアルな感じでさすがAppleと思ってました。で、あれっ!?と思ったらヘッドホンジャックが外れてました。本日昼頃駒込辺り、山手線車中でシナトラをガンガン♪鳴らしてたのは私ですm(_ _)m
思わずクビをすくめてペコペコして「スミマセン」って言ったけど、誰も、一瞥もくれなかった。頬筋ピクリともしなかった。・・・やっぱ東京ってコワい。。。
1/20
払った分だけ取り返すって考え方はしないなあ。・・・払うか払わないかは相当吟味して考えるけど。払ったら後は出来るだけ自分の心は自由でいたいなあ。・・・もちろんお金の話です。
1/21
「携帯なんて使えれば何でもいい」とこれまで本当に壊れるまで使い倒してきた妻が僕のiPhoneを見て「これイイわね。私も欲しいなあ」だって!あまりイメージできないかもしれませんが、妻のこの発言は僕にとって本当に驚きです。こういう奇跡が起こる日常が僕は好きです。やっぱジョブズ凄い!?
1/22
好きに理由はない/嫌いに謂れはあるだろう/信じるに訳は要る?/不信に理由は必要だよな/嫌悪も不 信もきっと事情があってのこと/ってことは元々はそうではなかったってこと?/どうでもよかったってことも含めて/で不思議なのは人って好きや信じる訳を 言う/だけじゃなくそうだと決めたりする/
iPhoneになると、携帯メールは「メッセージ」という扱いになるんだなあ。いずれにしても、スマホでのメールは文章が極端に簡素化される。一見素っ気なく、でも的確に要点を備えたメールに憧れていたわたしはスマホの打ち込み辛さはそう云う意味で好い練習になる。
Don't think, just touch her!
1/24
今日は仕事で裃を着ています。妻に写メを送りました。せがれに見せたら、パパ!って言ったよってメールが帰って来ました。なんだか嬉しかったです。
1/25
天然酵母の食パン。昨日届いたやつ今朝頂く。美味しい。味と薫りが子どもの頃を思いださせる。感覚の記憶って偉大。
ギャラなんかどうでもいいから、自分はこの役で…この仕事でめっちゃ試したいことがあってワクワクしてる。そしてこの役を演じ終えた時に、自分は絶対に以前より成長してる。自らの成長に専心したら緊張や他人の目は消えるよ。そんで時折厳しいけど面白くて 楽しくて仕方がない本当の探究が始まるんだ。
1/26
この道のり(やり方)で行けばいつかはあそこまで必ず到達できるなっていう確信は、でも到達までどんだけかかるかわかんないっていう不安を凌ぐ。目標に向けて全体像が掴めなかったり、初体験だったり、情報が少なかったりする時は信じられるやり方で進むのが結局ははやい。っつうか楽しく前進できる。
で、大体が自分の外に信じられるやり方を探すんだけど、実はそれは自分の中にすでにある。…でも、それが信じられなくてもっといいやり方があるんじゃないかって外に探しに行っちゃう。…信じればすべてすでにある。おじさんやっとこさ実感し始めました。
1/27
麦とホップ間違い探し...仲間さんがボブになってるとか、ペロッと舌を出してるとか、酔っ払っちゃってほっぺた赤くなっちゃってるとか...やってくれないかなぁ
「教えることが好きです」そう言うと、俗にいう<教えたがり>のイメージや<お前に一体何が教えられるんだ⁈>っていう邪気が立ちこめる。僕にとって教えるってそういう行為じゃあないんだけど、でも今は「教える」ってことばしかしっくりくるものがないんだ。
1/28
ひと月ぶりに家族で整体。学び多き有意義な時間。子どもに厳しくすること、すなわち親が自分を厳しく律すること。整体師の先生のお言葉に納得。子どもに伝わる情報っていうのは、言語じゃなくて行為そのものなんだろうな。
1/29
今日のジャグリングWSを振り返る。なぜ球を投げ続けることをやめてしまうのか。あれは成功してしまうことへの恐れだと自覚する。未知の領域に行けるのに行くのを自ら止める。特に左腕がビビりだす。そして右腕が頑張る。
ただ続ける回数を増やすことを望むと無意識に「いつもの体勢に入る」。左脚を引いて重心を置き右半身が前に出る半身となる。それに気づいて意識的に右脚を引き逆の半身になると全てが新し過ぎて自分が機能しない。
そして調子が出てきた頃に生まれるのが胸椎での頑張り。要は胸を張りオラ!オラ!と自分の幅を広げ過 ぎてしまう。大劇場演技の癖?は一つの解釈。共生共鳴を望んでいるのに、森の中で一本だけ巨大化した大木なんて。根本には自分への不信感か?呼吸と共に頭 を含めた私全体を取り戻す。体調い心鎮まる。
最後に3時間半共に頑張った参加者の前で最高記録のパフォーマンスを得る。ちっぽけではあるが確かな自分への信頼、そしてその場への信頼が球を投げ続けさせた。いつまでも出来そうな気もしたけど、皆がワッと沸いてくれた時に一気に満足感を得て自分で球を収めた。成功を怖れる収め方とは全く違った。
信頼があり、抑制を利かせながら、すべき行いを成したら、結果的に人が喜んでくれた。僕の思うところの理想的なパフォーマンスの過程です。素晴らしい学びでした。ジャグリングとハッシーとまゆみちゃんと参加者の皆さんに感謝!
1/30
今朝起きてせがれにジャグリング見せたら絶叫して喜んでくれました...何よりです。本で読んだらあれはカスケードっていう技なんだなあ。
土曜日の整体と日曜日のジャグリングを経て、いつもの体操を全面的に変えたくなった。そもそもメニューなんてものはあってないようなものだけど、何だろう、新たなねらいが見えてきたってことかな。妻がやってるおっぱい体操はとても参考になる。
「お父さんが妊娠したら、絶対におっぱいトラブルになりますね」って整体師の先生に言われた私。どう返答してよいか悩みましたが仕方ないから「すでに妊娠してます」ってお腹さするしかできませんでした。でも男性の乳がんもあり得ることを学びました。
昨日のハッシーのリードで一番凄いのは、初めは投げた玉を取らずに落とさせたこと。本当に取りたくなったら取ってって言ってくれたこと。則ち「落としてはいけない、取らなくてはいけない」が無くなり、私達の心にスペースが出来る。そのスペースに「取りたい」って望みが流れ込んだんだ。
「しなければならない」を無くし、「したい」にすることでパフォーマンスの向上を図るのはわかる。でも、「しなければならない」が強い時は、「しなくてよ い」とハッキリ告げられること、「しない」と決めてしないことを実行してみることは、とっても意味があるプロセスだと思った。
マラソンやり始めた時に決めたことがある。「走りたくなるまでは決して走らず歩きつづける」…このルールは走り込みの時期にも大会でも採用し続けた。マラソンで望む結果が得られたのは、このルールのお陰だと思っています。昨日もあのルールを自分に用いたことで当初の目標を達成できたと思っています。
1/31
レッスンしている時の僕は比較的、男には優しく女には厳しいような気がする。
突然自分が「ぼっすぃ」になる。もちろんそういう自分に気づいているし、本当に大切なことを伝える時だと自覚している。でも、「ぼっすぃ」になってる自分を非難するもう一人の自分が見える。
よく考えるとレッスンに限ったことではないかもしれない。それは相手がそうされるのを求めてるんだって考え方もあるけど好かない。やっぱりそんな自分と関わりを続けてくれる方々に感謝したい…そういうことなんだな〜。
一月が終わった。元旦には考えもしなかったこと、そして嬉しくもドキドキすることが既に幾つか起こった。あ〜、でもどっかで心の底で望んでいたことなんだろうかなあ。で、31日になんつうか一段ステージの高いアクションも起きた。二月どうなるんだ?春には?今年俺はどうなるんだ?全然読めないー!
ease(英語、特に名詞として)って好いことばだなあ。今の自分にピタッとくる。じ〜んとしみてくる。しばらくマイ・テーマにしよう!
1/8
「…したい」と思ったことやそう思って始めたことは、自分にそれをする能力があるかとか資格があるかとかを考えて不安になったことはこれまで一度もない。 さすればそのことをする能力や資格を疑う自分がいたら、それは本当は「…したい」ことではないのではないだろうか。なんて思う。
私の場合、自分が発信することを一番聞かせたい相手は自分です。だから他人様の発信もまずこの人はこれを自分自身に聞かせたいのだろう…と思います。その上で、わたしが受け取りたいことがあれば有難く頂戴します。…ちなみに、この発信もそうです。
今日は春に転居する先のリフォームについて協力してくれる叔父さんを訪ね色々話を聞く。自分が無知な世界の話でも前向きに誠実にそして気楽に思考行動していこう。これは自分が経験すべくしてしていること。出来るだけ楽しんでいこう。ましてや自分がこれから生活する家のことだもんね。
1/11
やんちゃが始まった間もなく一歳八ヶ月の倅。普段倅に甘めの妻。だんだん様子を見て俺と妻と態度を変えてくる倅。ちょっと舐められ出した感じの妻。なかなか寝ない上にコップの水をこぼした倅。珍しくブチ切れた妻。面白がってる俺。妻の本気にあっという間に眠りについた倅。こいつは世渡り上手か?
条件のない愛...あれ?そもそも条件がないから愛と言えるんだよな。
1/12
「私がやりたいことをする」つまるところこれなんだなあ。制限はあっていい、あったほうが面白い?でもその制限のなかであくまで私がやりたいことをする。 人の望み?応えたいなら応える。でもそれはあくまでも「私がしたいことだからする」んだよ。私の人生の主役を私以外にしては駄目だ、絶対に。
1/15
安納いも蒸かしておやつ。甘くて美味い。金運上がりそうな色もまた好し。
1/16
今では一生懸命は間違いでないどころか一所懸命が誤りのように思われることさえある。個人的な印象としては一生懸命は気分的で雰囲気でしかなく自己陶酔的だ。一所懸命は具体的で対象が明確かつ行動的な印象を持つ。だから僕は一所懸命が好きだ。正誤を問うと了見が狭まる、創造的に好みに向かう。
1/17
朝日ジュニアシリーズ「週刊マンガ世界の偉人」にはエジソン、ヘレンケラーらと並んでMJやジョブズまで入ってる。ジョブズは喪もあけてないのに早くないか?なんて俺は思ってしまうのだが…。
1/18
今朝また暴走自転車のヒヤリハットを目撃した。しかもまたヘッドホン♪認知判断操作の認知を鈍らすヘッドホンは飲酒運転と同等に危険だ。国がやらないなら条令からでもいいヘッドホン自転車運転禁止を期待する。
1/19
初めてiPhoneで音楽を聞きました。何だか音の感じがおかしいけどフルボリュームにしたら妙にリアルな感じでさすがAppleと思ってました。で、あれっ!?と思ったらヘッドホンジャックが外れてました。本日昼頃駒込辺り、山手線車中でシナトラをガンガン♪鳴らしてたのは私ですm(_ _)m
思わずクビをすくめてペコペコして「スミマセン」って言ったけど、誰も、一瞥もくれなかった。頬筋ピクリともしなかった。・・・やっぱ東京ってコワい。。。
1/20
払った分だけ取り返すって考え方はしないなあ。・・・払うか払わないかは相当吟味して考えるけど。払ったら後は出来るだけ自分の心は自由でいたいなあ。・・・もちろんお金の話です。
1/21
「携帯なんて使えれば何でもいい」とこれまで本当に壊れるまで使い倒してきた妻が僕のiPhoneを見て「これイイわね。私も欲しいなあ」だって!あまりイメージできないかもしれませんが、妻のこの発言は僕にとって本当に驚きです。こういう奇跡が起こる日常が僕は好きです。やっぱジョブズ凄い!?
1/22
好きに理由はない/嫌いに謂れはあるだろう/信じるに訳は要る?/不信に理由は必要だよな/嫌悪も不 信もきっと事情があってのこと/ってことは元々はそうではなかったってこと?/どうでもよかったってことも含めて/で不思議なのは人って好きや信じる訳を 言う/だけじゃなくそうだと決めたりする/
iPhoneになると、携帯メールは「メッセージ」という扱いになるんだなあ。いずれにしても、スマホでのメールは文章が極端に簡素化される。一見素っ気なく、でも的確に要点を備えたメールに憧れていたわたしはスマホの打ち込み辛さはそう云う意味で好い練習になる。
Don't think, just touch her!
1/24
今日は仕事で裃を着ています。妻に写メを送りました。せがれに見せたら、パパ!って言ったよってメールが帰って来ました。なんだか嬉しかったです。
1/25
天然酵母の食パン。昨日届いたやつ今朝頂く。美味しい。味と薫りが子どもの頃を思いださせる。感覚の記憶って偉大。
ギャラなんかどうでもいいから、自分はこの役で…この仕事でめっちゃ試したいことがあってワクワクしてる。そしてこの役を演じ終えた時に、自分は絶対に以前より成長してる。自らの成長に専心したら緊張や他人の目は消えるよ。そんで時折厳しいけど面白くて 楽しくて仕方がない本当の探究が始まるんだ。
1/26
この道のり(やり方)で行けばいつかはあそこまで必ず到達できるなっていう確信は、でも到達までどんだけかかるかわかんないっていう不安を凌ぐ。目標に向けて全体像が掴めなかったり、初体験だったり、情報が少なかったりする時は信じられるやり方で進むのが結局ははやい。っつうか楽しく前進できる。
で、大体が自分の外に信じられるやり方を探すんだけど、実はそれは自分の中にすでにある。…でも、それが信じられなくてもっといいやり方があるんじゃないかって外に探しに行っちゃう。…信じればすべてすでにある。おじさんやっとこさ実感し始めました。
1/27
麦とホップ間違い探し...仲間さんがボブになってるとか、ペロッと舌を出してるとか、酔っ払っちゃってほっぺた赤くなっちゃってるとか...やってくれないかなぁ
「教えることが好きです」そう言うと、俗にいう<教えたがり>のイメージや<お前に一体何が教えられるんだ⁈>っていう邪気が立ちこめる。僕にとって教えるってそういう行為じゃあないんだけど、でも今は「教える」ってことばしかしっくりくるものがないんだ。
1/28
ひと月ぶりに家族で整体。学び多き有意義な時間。子どもに厳しくすること、すなわち親が自分を厳しく律すること。整体師の先生のお言葉に納得。子どもに伝わる情報っていうのは、言語じゃなくて行為そのものなんだろうな。
1/29
今日のジャグリングWSを振り返る。なぜ球を投げ続けることをやめてしまうのか。あれは成功してしまうことへの恐れだと自覚する。未知の領域に行けるのに行くのを自ら止める。特に左腕がビビりだす。そして右腕が頑張る。
ただ続ける回数を増やすことを望むと無意識に「いつもの体勢に入る」。左脚を引いて重心を置き右半身が前に出る半身となる。それに気づいて意識的に右脚を引き逆の半身になると全てが新し過ぎて自分が機能しない。
そして調子が出てきた頃に生まれるのが胸椎での頑張り。要は胸を張りオラ!オラ!と自分の幅を広げ過 ぎてしまう。大劇場演技の癖?は一つの解釈。共生共鳴を望んでいるのに、森の中で一本だけ巨大化した大木なんて。根本には自分への不信感か?呼吸と共に頭 を含めた私全体を取り戻す。体調い心鎮まる。
最後に3時間半共に頑張った参加者の前で最高記録のパフォーマンスを得る。ちっぽけではあるが確かな自分への信頼、そしてその場への信頼が球を投げ続けさせた。いつまでも出来そうな気もしたけど、皆がワッと沸いてくれた時に一気に満足感を得て自分で球を収めた。成功を怖れる収め方とは全く違った。
信頼があり、抑制を利かせながら、すべき行いを成したら、結果的に人が喜んでくれた。僕の思うところの理想的なパフォーマンスの過程です。素晴らしい学びでした。ジャグリングとハッシーとまゆみちゃんと参加者の皆さんに感謝!
1/30
今朝起きてせがれにジャグリング見せたら絶叫して喜んでくれました...何よりです。本で読んだらあれはカスケードっていう技なんだなあ。
土曜日の整体と日曜日のジャグリングを経て、いつもの体操を全面的に変えたくなった。そもそもメニューなんてものはあってないようなものだけど、何だろう、新たなねらいが見えてきたってことかな。妻がやってるおっぱい体操はとても参考になる。
「お父さんが妊娠したら、絶対におっぱいトラブルになりますね」って整体師の先生に言われた私。どう返答してよいか悩みましたが仕方ないから「すでに妊娠してます」ってお腹さするしかできませんでした。でも男性の乳がんもあり得ることを学びました。
昨日のハッシーのリードで一番凄いのは、初めは投げた玉を取らずに落とさせたこと。本当に取りたくなったら取ってって言ってくれたこと。則ち「落としてはいけない、取らなくてはいけない」が無くなり、私達の心にスペースが出来る。そのスペースに「取りたい」って望みが流れ込んだんだ。
「しなければならない」を無くし、「したい」にすることでパフォーマンスの向上を図るのはわかる。でも、「しなければならない」が強い時は、「しなくてよ い」とハッキリ告げられること、「しない」と決めてしないことを実行してみることは、とっても意味があるプロセスだと思った。
マラソンやり始めた時に決めたことがある。「走りたくなるまでは決して走らず歩きつづける」…このルールは走り込みの時期にも大会でも採用し続けた。マラソンで望む結果が得られたのは、このルールのお陰だと思っています。昨日もあのルールを自分に用いたことで当初の目標を達成できたと思っています。
1/31
レッスンしている時の僕は比較的、男には優しく女には厳しいような気がする。
突然自分が「ぼっすぃ」になる。もちろんそういう自分に気づいているし、本当に大切なことを伝える時だと自覚している。でも、「ぼっすぃ」になってる自分を非難するもう一人の自分が見える。
よく考えるとレッスンに限ったことではないかもしれない。それは相手がそうされるのを求めてるんだって考え方もあるけど好かない。やっぱりそんな自分と関わりを続けてくれる方々に感謝したい…そういうことなんだな〜。
一月が終わった。元旦には考えもしなかったこと、そして嬉しくもドキドキすることが既に幾つか起こった。あ〜、でもどっかで心の底で望んでいたことなんだろうかなあ。で、31日になんつうか一段ステージの高いアクションも起きた。二月どうなるんだ?春には?今年俺はどうなるんだ?全然読めないー!
2012年1月14日土曜日
12月のつぶやきから
12/1
家を出るとき、寝相の悪いうちの子が、布団からはみ出さずに音無しく寝ていた。たぶん今朝はそれだけ寒いのだろう。
俺のおばあちゃん。今日12月1日は九十九歳の誕生日。大正元年生まれです。皆で白寿のお祝いをしました。
フォロワーの皆さんからの、祖母へのたくさんのお祝いのお言葉ありがとうございます。何千人と赤子を取り上げたお産婆さんで八十まで現役でした。結婚前妻 に「カズシロは稼ぎは無いけど気持ちだけはやさしい子だから見捨てないでね」と言ってくれた有難いお方です。妻曰く「あれには参った」そうです。
12/2
近所の小さな交差点。横断歩道の向こうから傘をさした小学生の大群。あれよあれよという間にのみ込ま れ身動きがとれない。傘の海に腰まで浸かったまましばらく立ち往生。何とか渡りきり安堵してたら、一部始終見てたらしき見送りのお母さんが…スミマセン。 ん…ちょっと美人♪雨の朝。
12/3
やっと予約が取れた倅の整体の先生。はいはいや歩きを見て貰い優等生だとお褒めの言葉を貰う。それでも幾つか課題はあって、それが見事に親の状態と重なっ てる。子どもをケアしたいなら親が自分をケアすること。理屈はATと同じだ。幸運にも僕も見て貰って頸椎一番と五番を治す。もの凄く具合がいい。
12/4
帰宅するとせがれが野原しんのすけ化している。半ケツちんちんブラブラ...。俺は爆笑。妻は深刻な顔。それくらいなんだ!?(^o^)
12/5
九十歳でバリバリの新車に乗り替える。僕の夢のひとつです。
12/9
親は子どもが遊んでいるより勉強しているほうがうれしい?僕の知人は算数や英語をやる近所の幼稚園を冗談じゃない!といい、少し遠いけど一日中遊ばせている幼稚園に子どもを預ける。僕も同感である。
12/10
マーラーの理論の再接近期。うちの子はまさにここの時期。勉強すればするほど、この時期の重要性を思い知る。そして自分も振り返る…いや、覚えちゃいないけどさσ(^_^;)
自然な演技をしたいならすべてのアクションを自発的にすることです。それが俳優がそこで生きているってことだと思います。アイデアの元は誰でもいいので す。でもそれを自発的にアクションしなければそれはデッドしたやつ、デッドさせられたやつです。自分の主導権を誰かに渡したら絶対ダメです。
12/11
今日、「内発的」「外発的」ということばを覚えました。「自発的」とかより使い勝手が好い感じがします。
12/12
結婚して丸七年経ちました。今日は八回目の結婚記念日です。昼間は撮影でしたが、外した結婚指輪をうっかり衣装のポケットに入れたままにしてしまったこと を帰路で思いだし現場に戻りました。妻はこの日にがっつり風邪で寝込んでいます...が、お祝いの出前寿司はぺろっと平らげました。
12/14
諸行無常が大自然の真理です。ですから昨日の演技をするどころか、さっきの演技を繰り返そうとすることは、そう思った時点ですでに自然に逆らっていることで、自然な演技にはなるはずはないと思います。僕は死ぬほどやっているのでこれだけは確信を持って言えます。(涙)
本日は討ち入の日。8時からの今夜はヒストリーに吉良側の用心棒小林平八郎役ほかで出演いたします。づらカズをお楽しみください。
みんながアトリエ公演の仕込みをしている間にデニーズで最近の教育事情のレポート作成。結構はかどった。
12/16
アトリエ公演稽古は久しぶりにBONSAIブラザーズ三人雁首揃えての芝居づくり。菊池さんの作家力、たんじさんの演出力が確実に進化してるのを実感。 やってりゃそれは当然?でも進化ってなかなかできないよね。そういうとこにいることが嬉しくて、僕は僕でひたすら「細部の指導」にのみ専心する。
いいかい!この世には成功とか失敗とかは存在しないんだよ。結果が出た時にそこにあるのは新しい情報と未来への可能性…あるのはこれだよ。
12/19
よく「天才を育てた親」って言い方をするけど、それは違って「天才のままでいさせた親」って言うほうが的確な表現なのではないかな。いわゆる<無為>ってこと...。親として、難しいアクション...だなあと思います。
12/21
今年を素晴らしい一年だったと振り返ることはやっぱり不謹慎でしょうか。
「まだ頂上じゃない」ってイライラしながら登山をするような生き方はもうしません。だいたい、そもそも頂上は「死」…ですから。
だからといって登山をやめるようなことはしません。っていうか、やめようにもやめられない登山ですから。
やっぱり登山っていいなあ…と。擬似的に何度も「死」を体験できるし、「登山」の楽しみかたを探究できる。
来年に引っ越す方角は家族全員にとって吉方位だそうです。お世話になっている先達さんに見てもらい、御札も頂いてきました。良かったです。
12/22
生徒さんが受けとったものそれが先生であるわたしが教えたことです。教えたつもりはなくともあなたから学んだと云われたら仕方ありません。逆に、教えたつ もりでも生徒さんが受けとっていなければそれは教えたことにはなりません。教育と云うコミュニケーションの難しく面白いところです。
ただ、もうひとつ。生徒さんが自分で認識していなくても受けとっているものがあったりすることがあります。いずれ気づいて認識したり、認識しないまま独特な展開をしたりもしたりして...。教育の摩訶不思議な魅惑的なところかもしれません。
で、教育の一番面白いところは教えながらほぼ同時に先生も生徒さんから学んでいるというところです。まさしくインターレッスンです。ぶっちゃけ先生が自身 で認識してない学びもたくさんあると思います。先生が役者と同じく、三日やったらやめられない...と云われるのはそのためかもしれません。
←んなことは誰も云ってません?!...アトリエSYMBION年間クラスは六年続いて今年度で閉幕です。これまで受講してくれたみなさん!もしわたしが 今後いい役者やいい教師になってたら「あいつはオレが育てたんだ」とぜひ自慢してください。それは事実です。...そうなるよう..精進しますw
12/24
「山田まちこコーチ高そうな毛皮」って、カミサン見てるのそこかい!?
12/25
自分の軸を取り戻そうと訓練中の役者はその新しい自分の扱い方に慣れないため一時期味気のない演技になる傾向がある。その時に何も知らない連中から面白くないとカラフルな演技を要求され折角の改革が台無しになることはしばしばあることだ。自分への信頼は改革には必須だ。
辛い思いをしなくては、自らを苦しみに追い込まなければ向上はあり得ないっていうのは先輩方が自らの過去を肯定する為に言ってるのが殆どだ。自己肯定は悪いことではないけど、大切なのはあなたには楽しみながら向上するっていう選択肢もあるってこと。自分の望む方法を選んで欲しい。
いやぁ真央ちゃん素晴らしい。久しぶりにあの域の演技を見させてもらった。あの意識状態に行ったらジャンプどうこうじゃなくなるし、何が起きてもクリアな意識でいられる。そして見る者は吸い込まれる。滑り出しだけで感動したよ。
12/26
上手な演技とか下手な演技とかにこだわりたいなら、それは上手なやり方か下手なやり方かを検証する必要があります。上手くなりたいと云いつつ変われない人は大抵がこれまでの自分の「やり方」を振り返ったり、それを変えようとしたりしません。多分そうするとこれまでを否定する気がするのでしょう。
12/27
自分の「やり方」を振り返ったり変えたりしない人が向上を望んでするのは、その「やり方」のまま分量を増やそうとすることです。「自分はまだ足りない」という発想になります。結果は悪化するか変わらずともひどく疲労します。・・・これは実体験です。
野村監督は一言でバッサリです。「考え方を変えずに技術の向上はありえない」
玄関、風呂、トイレ、車、窓、テレビの裏、冷蔵庫の掃除完了。松飾りも用意した。台所はカミサンに任せる。明日は氏神様にお札を返して新しいのを頂いてこよう。二尺の牛蒡締めはなかなかないんだけど手に入れることができたぞ。
12/31
ちょうど十年前、2001年の大晦日に妻と出会いました。たまたま行った先輩宅の年越し飲み会にたまたま来ていた妻と会ったわけです。彼女はその日仏旅行 から帰国したばかりでした。その年の秋が9.11でしたからそういう中でもビュンビュン海外に遊びに行くような人です。皆様もよい出会いを!
家を出るとき、寝相の悪いうちの子が、布団からはみ出さずに音無しく寝ていた。たぶん今朝はそれだけ寒いのだろう。
俺のおばあちゃん。今日12月1日は九十九歳の誕生日。大正元年生まれです。皆で白寿のお祝いをしました。
フォロワーの皆さんからの、祖母へのたくさんのお祝いのお言葉ありがとうございます。何千人と赤子を取り上げたお産婆さんで八十まで現役でした。結婚前妻 に「カズシロは稼ぎは無いけど気持ちだけはやさしい子だから見捨てないでね」と言ってくれた有難いお方です。妻曰く「あれには参った」そうです。
12/2
近所の小さな交差点。横断歩道の向こうから傘をさした小学生の大群。あれよあれよという間にのみ込ま れ身動きがとれない。傘の海に腰まで浸かったまましばらく立ち往生。何とか渡りきり安堵してたら、一部始終見てたらしき見送りのお母さんが…スミマセン。 ん…ちょっと美人♪雨の朝。
12/3
やっと予約が取れた倅の整体の先生。はいはいや歩きを見て貰い優等生だとお褒めの言葉を貰う。それでも幾つか課題はあって、それが見事に親の状態と重なっ てる。子どもをケアしたいなら親が自分をケアすること。理屈はATと同じだ。幸運にも僕も見て貰って頸椎一番と五番を治す。もの凄く具合がいい。
12/4
帰宅するとせがれが野原しんのすけ化している。半ケツちんちんブラブラ...。俺は爆笑。妻は深刻な顔。それくらいなんだ!?(^o^)
12/5
九十歳でバリバリの新車に乗り替える。僕の夢のひとつです。
12/9
親は子どもが遊んでいるより勉強しているほうがうれしい?僕の知人は算数や英語をやる近所の幼稚園を冗談じゃない!といい、少し遠いけど一日中遊ばせている幼稚園に子どもを預ける。僕も同感である。
12/10
マーラーの理論の再接近期。うちの子はまさにここの時期。勉強すればするほど、この時期の重要性を思い知る。そして自分も振り返る…いや、覚えちゃいないけどさσ(^_^;)
自然な演技をしたいならすべてのアクションを自発的にすることです。それが俳優がそこで生きているってことだと思います。アイデアの元は誰でもいいので す。でもそれを自発的にアクションしなければそれはデッドしたやつ、デッドさせられたやつです。自分の主導権を誰かに渡したら絶対ダメです。
12/11
今日、「内発的」「外発的」ということばを覚えました。「自発的」とかより使い勝手が好い感じがします。
12/12
結婚して丸七年経ちました。今日は八回目の結婚記念日です。昼間は撮影でしたが、外した結婚指輪をうっかり衣装のポケットに入れたままにしてしまったこと を帰路で思いだし現場に戻りました。妻はこの日にがっつり風邪で寝込んでいます...が、お祝いの出前寿司はぺろっと平らげました。
12/14
諸行無常が大自然の真理です。ですから昨日の演技をするどころか、さっきの演技を繰り返そうとすることは、そう思った時点ですでに自然に逆らっていることで、自然な演技にはなるはずはないと思います。僕は死ぬほどやっているのでこれだけは確信を持って言えます。(涙)
本日は討ち入の日。8時からの今夜はヒストリーに吉良側の用心棒小林平八郎役ほかで出演いたします。づらカズをお楽しみください。
みんながアトリエ公演の仕込みをしている間にデニーズで最近の教育事情のレポート作成。結構はかどった。
12/16
アトリエ公演稽古は久しぶりにBONSAIブラザーズ三人雁首揃えての芝居づくり。菊池さんの作家力、たんじさんの演出力が確実に進化してるのを実感。 やってりゃそれは当然?でも進化ってなかなかできないよね。そういうとこにいることが嬉しくて、僕は僕でひたすら「細部の指導」にのみ専心する。
いいかい!この世には成功とか失敗とかは存在しないんだよ。結果が出た時にそこにあるのは新しい情報と未来への可能性…あるのはこれだよ。
12/19
よく「天才を育てた親」って言い方をするけど、それは違って「天才のままでいさせた親」って言うほうが的確な表現なのではないかな。いわゆる<無為>ってこと...。親として、難しいアクション...だなあと思います。
12/21
今年を素晴らしい一年だったと振り返ることはやっぱり不謹慎でしょうか。
「まだ頂上じゃない」ってイライラしながら登山をするような生き方はもうしません。だいたい、そもそも頂上は「死」…ですから。
だからといって登山をやめるようなことはしません。っていうか、やめようにもやめられない登山ですから。
やっぱり登山っていいなあ…と。擬似的に何度も「死」を体験できるし、「登山」の楽しみかたを探究できる。
来年に引っ越す方角は家族全員にとって吉方位だそうです。お世話になっている先達さんに見てもらい、御札も頂いてきました。良かったです。
12/22
生徒さんが受けとったものそれが先生であるわたしが教えたことです。教えたつもりはなくともあなたから学んだと云われたら仕方ありません。逆に、教えたつ もりでも生徒さんが受けとっていなければそれは教えたことにはなりません。教育と云うコミュニケーションの難しく面白いところです。
ただ、もうひとつ。生徒さんが自分で認識していなくても受けとっているものがあったりすることがあります。いずれ気づいて認識したり、認識しないまま独特な展開をしたりもしたりして...。教育の摩訶不思議な魅惑的なところかもしれません。
で、教育の一番面白いところは教えながらほぼ同時に先生も生徒さんから学んでいるというところです。まさしくインターレッスンです。ぶっちゃけ先生が自身 で認識してない学びもたくさんあると思います。先生が役者と同じく、三日やったらやめられない...と云われるのはそのためかもしれません。
←んなことは誰も云ってません?!...アトリエSYMBION年間クラスは六年続いて今年度で閉幕です。これまで受講してくれたみなさん!もしわたしが 今後いい役者やいい教師になってたら「あいつはオレが育てたんだ」とぜひ自慢してください。それは事実です。...そうなるよう..精進しますw
12/24
「山田まちこコーチ高そうな毛皮」って、カミサン見てるのそこかい!?
12/25
自分の軸を取り戻そうと訓練中の役者はその新しい自分の扱い方に慣れないため一時期味気のない演技になる傾向がある。その時に何も知らない連中から面白くないとカラフルな演技を要求され折角の改革が台無しになることはしばしばあることだ。自分への信頼は改革には必須だ。
辛い思いをしなくては、自らを苦しみに追い込まなければ向上はあり得ないっていうのは先輩方が自らの過去を肯定する為に言ってるのが殆どだ。自己肯定は悪いことではないけど、大切なのはあなたには楽しみながら向上するっていう選択肢もあるってこと。自分の望む方法を選んで欲しい。
いやぁ真央ちゃん素晴らしい。久しぶりにあの域の演技を見させてもらった。あの意識状態に行ったらジャンプどうこうじゃなくなるし、何が起きてもクリアな意識でいられる。そして見る者は吸い込まれる。滑り出しだけで感動したよ。
12/26
上手な演技とか下手な演技とかにこだわりたいなら、それは上手なやり方か下手なやり方かを検証する必要があります。上手くなりたいと云いつつ変われない人は大抵がこれまでの自分の「やり方」を振り返ったり、それを変えようとしたりしません。多分そうするとこれまでを否定する気がするのでしょう。
12/27
自分の「やり方」を振り返ったり変えたりしない人が向上を望んでするのは、その「やり方」のまま分量を増やそうとすることです。「自分はまだ足りない」という発想になります。結果は悪化するか変わらずともひどく疲労します。・・・これは実体験です。
野村監督は一言でバッサリです。「考え方を変えずに技術の向上はありえない」
玄関、風呂、トイレ、車、窓、テレビの裏、冷蔵庫の掃除完了。松飾りも用意した。台所はカミサンに任せる。明日は氏神様にお札を返して新しいのを頂いてこよう。二尺の牛蒡締めはなかなかないんだけど手に入れることができたぞ。
12/31
ちょうど十年前、2001年の大晦日に妻と出会いました。たまたま行った先輩宅の年越し飲み会にたまたま来ていた妻と会ったわけです。彼女はその日仏旅行 から帰国したばかりでした。その年の秋が9.11でしたからそういう中でもビュンビュン海外に遊びに行くような人です。皆様もよい出会いを!
2011年12月30日金曜日
いつもこれの繰り返しだ
このまま前に進めばそれは獲得できる
すでに挑戦を済まし、勝利を獲得し
自分にはその資格と価値があることも証明されている
その時まで、ほんの少しだけ時間があって
あといくつかの手順を踏めばそれは獲得できる
で、ここにきて起こる不安・・・
前進をのぞみ
成長をのぞみ
発展をのぞみ
幸せをのぞんでいるのに
そこに到達する直前に現れるおそれ
誰かが云ってた
人は不幸せになることより
幸せになってしまうことのほうが怖いんだって
受けとればいい
受けとるだけでいい
変化は自然に起きている
変化は自然なことだ
その流れに乗っていればいい
いや、逆らわないだけでいい
拒まなければそれでいい
これまでだって
全部うまくいってたじゃないか
俺がビビらなきゃ
なんにも問題なかったじゃないか
みんな当たり前だと思っていたじゃないか
誰も俺を試してなんかいない
そうなる・・・
そうなることは誰のものでもない
ただ俺がそうなる・・・
それは誰も傷つけない
そうなる・・・
それだけなんだよ
すでに挑戦を済まし、勝利を獲得し
自分にはその資格と価値があることも証明されている
その時まで、ほんの少しだけ時間があって
あといくつかの手順を踏めばそれは獲得できる
で、ここにきて起こる不安・・・
前進をのぞみ
成長をのぞみ
発展をのぞみ
幸せをのぞんでいるのに
そこに到達する直前に現れるおそれ
誰かが云ってた
人は不幸せになることより
幸せになってしまうことのほうが怖いんだって
受けとればいい
受けとるだけでいい
変化は自然に起きている
変化は自然なことだ
その流れに乗っていればいい
いや、逆らわないだけでいい
拒まなければそれでいい
これまでだって
全部うまくいってたじゃないか
俺がビビらなきゃ
なんにも問題なかったじゃないか
みんな当たり前だと思っていたじゃないか
誰も俺を試してなんかいない
そうなる・・・
そうなることは誰のものでもない
ただ俺がそうなる・・・
それは誰も傷つけない
そうなる・・・
それだけなんだよ
2011年12月28日水曜日
「対応する」っていう落とし穴
現場によって演技を変える、というアイデアは間違っていないか?
これまでにあまり経験したことのないある特殊な作品に出演した際
「この場面ではこういう演技が良い」という考えを持ち
いつもとちょっと違うアプローチの演技をした
結果後に映像を見ると作品に合っていない演技をしている
・・・ように私には見えた
映像作品は監督さんのもの
OKはいろんな理由で出しているだろうし
監督さんへの信頼はその時も今も充分にある
もちろん他者からの評価は問題ではない
・・・ぶっちゃけ概ね好評だった
あくまで自己の探求についての考察だ
良かれと思って演じた演技がその狙いと離れている
現場に合わせる、作品に演技を合わせる
・・・のではない
演技は作品に結果的に合っていくものなのだ
こちらが決め込み固めていなければ
現時点で自分が理解しているATの手の使い方と同じだ
まずはこちらの在り方の質が問われる
そして・・・それだけでいい
どうも、状況を見たり相手の立場に立ったりという考えが先走り
結果本当に状況や相手を捉えられていないことがまだまだ起こる
「うまく現場のノリに対応した」とか
「作品に合わせて演技を変えた」とか
そういう言葉をこれ見よがしに言い出した時はかなり危険だ
大抵が実は全体的でなく「頭」で芝居をしている
どんな状況であろうが
どんな作品であろうが
私が役を頂いて演じる以上
まず私が私でいることが必須だ
私がぶれていたら私のすることはすべて・・・
より一層ぶれる
状況に足許を掬われるな
私が私でいさえすれば
どんな状況でも
私は自在に変化できる
演技を変えるな
私の協調作用が良ければ
演技は自然に変わり
自ずと作品に適応する
二番手や裏技などはない
自らが最も信じられる最高の理想のやり方で
妥協なく道を歩く
もうそれが出来る
もうそれをしていい
そうしていかなくちゃ
・・・死ぬとき後悔しないために
これまでにあまり経験したことのないある特殊な作品に出演した際
「この場面ではこういう演技が良い」という考えを持ち
いつもとちょっと違うアプローチの演技をした
結果後に映像を見ると作品に合っていない演技をしている
・・・ように私には見えた
映像作品は監督さんのもの
OKはいろんな理由で出しているだろうし
監督さんへの信頼はその時も今も充分にある
もちろん他者からの評価は問題ではない
・・・ぶっちゃけ概ね好評だった
あくまで自己の探求についての考察だ
良かれと思って演じた演技がその狙いと離れている
現場に合わせる、作品に演技を合わせる
・・・のではない
演技は作品に結果的に合っていくものなのだ
こちらが決め込み固めていなければ
現時点で自分が理解しているATの手の使い方と同じだ
まずはこちらの在り方の質が問われる
そして・・・それだけでいい
どうも、状況を見たり相手の立場に立ったりという考えが先走り
結果本当に状況や相手を捉えられていないことがまだまだ起こる
「うまく現場のノリに対応した」とか
「作品に合わせて演技を変えた」とか
そういう言葉をこれ見よがしに言い出した時はかなり危険だ
大抵が実は全体的でなく「頭」で芝居をしている
どんな状況であろうが
どんな作品であろうが
私が役を頂いて演じる以上
まず私が私でいることが必須だ
私がぶれていたら私のすることはすべて・・・
より一層ぶれる
状況に足許を掬われるな
私が私でいさえすれば
どんな状況でも
私は自在に変化できる
演技を変えるな
私の協調作用が良ければ
演技は自然に変わり
自ずと作品に適応する
二番手や裏技などはない
自らが最も信じられる最高の理想のやり方で
妥協なく道を歩く
もうそれが出来る
もうそれをしていい
そうしていかなくちゃ
・・・死ぬとき後悔しないために
2011年12月8日木曜日
おもちゃのピアノ
最近時折せがれのおもちゃのミニピアノを弾くようになりました
いつも即興で
でもなんらかのメロディーがあって
しかも両手で
たまに、おっ!これ結構好くないか?
なんて思う曲も出来てくるのですが
もう二度と弾けません
すこしこころが動きます
・・・これを残しておきたい
昔の僕だったら残そうとしたり
曲を形作ろうとしたりしたかもしれません
でもそれは今の僕はしません
そんなことをしたら
今度また気まぐれに弾く曲が
つまらなくなってしまいそうだから
いつも新しい・・・
それは僕の最大の興味あるテーマです
舞台演技なんていう
何度も何度も同じことを言ったりしたりするのが仕事だからでしょうか
それをいつもいつも新しいことにするのが
この仕事の一番面白いところです
残そうとすること
繰り返そうとすること
なぞろうとすること
それはもう新しくなくて
物騒な言い方ですけど
それはもう僕にとっては<死>と同じです
「初心」ってことばがありますが
僕はこれを今この瞬間の自分の心遣いの理想としています
過去の「初心」に戻るのではなく
いつも「初心」でありたい
いつも新しいことにしたいのです
もちろん僕の弾くピアノは
結局はどっかで聞いたことのあるようなメロディーになります
でもそれは何かを
なぞったり、繰り返したりしたものではありません
だからその時の僕は創造性のなかにいて
楽しくワクワクしながら遊んでいられます
いつか自分が弾いていたものと同じ曲を
いつか自然と再び弾きはじめるかもしれません
そのときはそれが自然に残るものになる時でしょうか・・・
だとしても
それは決して僕が残したものではないし
そもそも僕のものでもないのだと思います
いつも即興で
でもなんらかのメロディーがあって
しかも両手で
たまに、おっ!これ結構好くないか?
なんて思う曲も出来てくるのですが
もう二度と弾けません
すこしこころが動きます
・・・これを残しておきたい
昔の僕だったら残そうとしたり
曲を形作ろうとしたりしたかもしれません
でもそれは今の僕はしません
そんなことをしたら
今度また気まぐれに弾く曲が
つまらなくなってしまいそうだから
いつも新しい・・・
それは僕の最大の興味あるテーマです
舞台演技なんていう
何度も何度も同じことを言ったりしたりするのが仕事だからでしょうか
それをいつもいつも新しいことにするのが
この仕事の一番面白いところです
残そうとすること
繰り返そうとすること
なぞろうとすること
それはもう新しくなくて
物騒な言い方ですけど
それはもう僕にとっては<死>と同じです
「初心」ってことばがありますが
僕はこれを今この瞬間の自分の心遣いの理想としています
過去の「初心」に戻るのではなく
いつも「初心」でありたい
いつも新しいことにしたいのです
もちろん僕の弾くピアノは
結局はどっかで聞いたことのあるようなメロディーになります
でもそれは何かを
なぞったり、繰り返したりしたものではありません
だからその時の僕は創造性のなかにいて
楽しくワクワクしながら遊んでいられます
いつか自分が弾いていたものと同じ曲を
いつか自然と再び弾きはじめるかもしれません
そのときはそれが自然に残るものになる時でしょうか・・・
だとしても
それは決して僕が残したものではないし
そもそも僕のものでもないのだと思います
2011年12月1日木曜日
今年の11月を終えて
いつもの易では
11月の今月はあまり好くなく
でしゃばらずに目上の人の云うことをよく聞いて
おとなしくしているように
そう云われていました。
わたしにとって11月は正直好ましい月ではありません。
父の亡くなった月であることだけでなく
阿佐ヶ谷で13年一人暮らしをしていた時は
毎年といっていいほど気持ちがダウンして
引きこもりになるのが11月でした。
だからサイコロ振ってみたときは
まあ、やっぱりそういうことね・・・
そんな感じでした。
でも、終わってみたら
なんでしょう・・・
とっても幸せな一ヶ月だったなあと思います。
からだ、こころ(思考)、仕事、そしてわたしを取り巻く状況が
どんどん望ましい方向へ変容していきました。
望んでいた方向かといえば決してそうではなく
想定外のこともたくさんあったのですが
でも、結局はそれは向きあってみれば望ましい方向でした。
もちろんいくつかのマイナスもありました。
でもそれはあっという間にわたしの前を通り過ぎ
結果的には、なんでもないこと・・・になっていました。
もしかしたら易が外れていたわけではなかったかもしれません
でしゃばりたくなったときは抑制したし
ちょっとした局面では目上の人の云う通りにしてうまくいくこともありました
端から見て目立つってこともなかったと思います
・・・そのアドバイスを守ったおかげで得た結果かもしれません。
もうこれからの11月は大丈夫だな。
それくらい自信も持てた気がします。
去年父の七回忌もすんでいるし
20代30代の頃と比べれば少しは知恵もついて
ちょっとは上手に生きられるようになった
・・・そう思うことにします。
本当に今年の11月は
ずっと暖かい日だまりのなかにいるようで
何かに温かく見守られているようで
しあわせでした。
11月の今月はあまり好くなく
でしゃばらずに目上の人の云うことをよく聞いて
おとなしくしているように
そう云われていました。
わたしにとって11月は正直好ましい月ではありません。
父の亡くなった月であることだけでなく
阿佐ヶ谷で13年一人暮らしをしていた時は
毎年といっていいほど気持ちがダウンして
引きこもりになるのが11月でした。
だからサイコロ振ってみたときは
まあ、やっぱりそういうことね・・・
そんな感じでした。
でも、終わってみたら
なんでしょう・・・
とっても幸せな一ヶ月だったなあと思います。
からだ、こころ(思考)、仕事、そしてわたしを取り巻く状況が
どんどん望ましい方向へ変容していきました。
望んでいた方向かといえば決してそうではなく
想定外のこともたくさんあったのですが
でも、結局はそれは向きあってみれば望ましい方向でした。
もちろんいくつかのマイナスもありました。
でもそれはあっという間にわたしの前を通り過ぎ
結果的には、なんでもないこと・・・になっていました。
もしかしたら易が外れていたわけではなかったかもしれません
でしゃばりたくなったときは抑制したし
ちょっとした局面では目上の人の云う通りにしてうまくいくこともありました
端から見て目立つってこともなかったと思います
・・・そのアドバイスを守ったおかげで得た結果かもしれません。
もうこれからの11月は大丈夫だな。
それくらい自信も持てた気がします。
去年父の七回忌もすんでいるし
20代30代の頃と比べれば少しは知恵もついて
ちょっとは上手に生きられるようになった
・・・そう思うことにします。
本当に今年の11月は
ずっと暖かい日だまりのなかにいるようで
何かに温かく見守られているようで
しあわせでした。
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